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澪『永遠にともに』  

1 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 18:15:51.94 ID:IOd+VqaJ0
季節は冬。

雪が降らないと誰もが思っているようなこの街にも数十年に一度の気まぐれなんて物があるようで、日本一の歓楽街と揶揄されるこの街は一昨日からの豪雪により薄い白粉なんかを纏っていた。

今日はクリスマスからマイナスすること十月十日。先のそれと並び立つ日本の二大恋愛デー、聖バレンタインだ。
ここに来るまでに立っていた看板には『バレンタインデー特別価格!』やら『チョコの様に甘~い夜を』という酷くお寒い文字がミミズの様に羅列されていた。

……まあ、それを酷くお寒いと揶揄してしまう事からお分かり頂ける通り、私にはフランス辺りの高級チョコを渡すような相手は端から居ないわけだ。
ああ……さっき路上でキスをしていたカップルの頭を一升ビンで殴りたい……。それはもうドクロちゃんみたいにエスカリボルグで、ガツンと。

「先輩……、そんな顔して飲むとせっかくのお酒が美味しくなくなりますよ?」

一軒目の大衆居酒屋からそんな事を言われている気がするが、そんな言葉は全く耳に引っかからない。

「うるさい。じゃあ何か芸でもしてみせろ。私を笑わせる事が出来たら甘~い口づけをくれてやる。もちろんディープだぞ?」
「その時は損害賠償を請求し」
ドガッ!
「に゛ゃっ!!」

手刀一発 to 脊椎。

「私の唇より神聖な物などない。寧ろ唇を当てられた方が金を払うべきだ」
「だからって殴らなくても……」
「殴ってるんじゃない。身長を縮めてるんだ」
「尚悪いわ!」


2 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 18:21:20.37 ID:IOd+VqaJ0
さっきから的確にツッコミを入れて来るこのやかましいアホ猫のような奴の名は中野梓。
私の高校時代の後輩で、軽音部内の同じバンドにギターで所属していた。
専門学校から地方音楽事務所を経て、現在は東京を拠点に活動しているプロのギタリストというのがこいつの職業である。
高校時代はもう少しお淑やかで物腰も柔らかいいい子だったのだが、仕事の影響と東京での暮らしが原因でやや愉快すぎる奴になってしまった。普段何も予定無い時は基本的に我が秋山宅に居て、飼い猫的存在として私が面倒を見たりしている。

「お前が居ない間ボケる奴が身近に居なかったからツッコミ足りてないんだ。だから今日はガンガン行くぞ」
「うう……これ以上小さくなったら本当に損害賠償請求しますからね……」

そう、梓は先週まで行われていたメジャーアーティストの全国ツアーにサポートメンバーとして参加していた為今日が久々の再会&飲み会となったのだ。確か最後に会った時がツアー中盤の武道館公演の時だったから……約一ヶ月振りか。
今日は本来なら家で一緒に祝い酒のつもりだったのだが、生憎私に急な仕事が入ってしまったのでもうどうせならと梓を職場まで呼び寄せ、そこから直接馴染みのこの店に飲みに来たのだ。
……まあそのおかげで見たくも無い文字や光景も多々見せつけられてしまった訳だが。

「まあまあ澪、そうカッカしなさんなって。カルシウム摂ってるか? 煮干しが良いよ、煮干しが」

梓が注文したモスコミュールを作る様子も無く、カウンターの中のそいつは皿に盛られたチョコを手に取る。

「……そのチョコ、お前にあげた訳じゃないんだぞ?」
「ん~、だって店に貰ったものなんだから私にだって食べる権利はあるっしょ? 一応従業員だし」

そんな事を言って三個目のブロックチョコを口に運ぶこいつの名前は田井中律。
私の幼馴染で、梓や私と同じく軽音部に所属していた。パートはドラム。走り気味のドラマーだった。
一応部長だったが怠慢な態度でその役職に臨んでいた為、あまり相応しいとは言えなかったかもしれない。
現在は地元を離れて東京の小さな会社に勤めている。確か……子供向け玩具の製造会社だったか?
まあそんな一般社会人のこいつが何故カウンターの中に居るかといえば、週末限定でこの店の手伝いをしているからである。傍から見れば酒を作る以外は遊んでいる風にしか見えないのだが、律目的で店に来る客も居るというから侮れない。







3 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 18:26:25.10 ID:IOd+VqaJ0
「そういえば律先輩、最近痩せました?」

律のウエスト辺りを眺め、梓が問う。

「おお? 何だ何だ? 褒めてんのか?」
「いえ、何だか洋服のサイズがダウンして見えたんで」

……そうか?

「偉いっ! 褒めて遣わすぞ梓! お前は褒め上手だ!」

そう言ってようやくトングとグラスを手にする律。手の動きの素早さは相変わらずだ。
宙を舞った氷がまるで呼ばれるようによく冷えたグラスの中へ吸い込まれていく。まあかっこいいと言ってやらんでもない見応えのあるパフォーマンスだな。流石は元走り気味のドラマー。手は動く。

「でも痩せた訳じゃないんだよ。いつも店用に着てる服が乾かなくてさ、今日はワンサイズ下のやつを引っ張り出してきたんだ。だから痩せたわけじゃない。まあ半分正解だな」

そう言ってグラスにメジャーカップで計ったウォッカを注ぐ律。表情は苦笑いと言ったところか。

「へぇ~、可愛いですねそれ」
「何と言っても私のお勧めブランドだからな」
「セール品のまとめ買いだろうが」
「げっ! バ、バラすなよ澪~!」

手は止めず声と顔だけで入れられるその抗議を軽く無視し、カウンター後方にあるアラビア文字の洒落た壁掛け時計に目をやる。







4 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 18:31:14.32 ID:IOd+VqaJ0
「遅いな……」

約束の時間からもう大分時間が経つ。彼女に限ってそんなに大きなヘマはしていないと思うが……ひょっとして何か問題でもあったか?
そんな心配は無用と思いつつも随分と珍しい遅刻に何かを感じ、焼酎グラスの隣に放置していた携帯電話を手に取った瞬間だった。

―――キイイイイイィィ

出入り口のドアから発せられる軋音。大方潤滑油でも切れたのだろう。何だかお化け屋敷みたいだな。

「すいません! 遅くなりました~!」

そう言ってバタバタと店内に入って来る白いコートの女性。外が余程寒かったのだろう。鼻も頬も真っ赤で、身も竦めている。
「いらっしゃいませ『RISE』へようこそ~! 寒かったみたいだね? 熱燗が良いかい? それともホットカクテル?」

律がいつも通りの接客用語を笑顔で叫び、さっとカウンターを出てコートを預かる。ちなみに『RISE』とはこの店の名前。店舗の入れ替わりが激しいこの界隈では古株的な立ち位置のバーである。

「ん~と……何も食べてないんでサンドイッチとビールを下さい」

ありゃー!と律。

「さっきのでサンドイッチ切れちったんだよね~……」

その最後を齧ったのは、他ならぬ私と梓である。

「あ、でも代わりにいい物があるよ! 忍ちゃ~ん!」

その律の呼び声に応え、レスラー体型の強面お兄さんが駆け寄ってくる。







5 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 18:36:46.50 ID:IOd+VqaJ0
「な~に~りっちゃん? あたしになんか用ぉ~?」

……お聞き頂いた通り、彼は世間一般で言うところのゲイさんである。お姉ぇ言葉歴二十数年のつわものだ。

「サンドイッチ切れちゃってさ、代わりに忍ちゃんのアレ出してあげたいんだけど、いいかな?」
「あらぁ~、あんな物でよければいくらでも出して頂戴! でもボったくっちゃダメよ?」
「わ~ってるって! サンキュ!」

そして素早く去ろうとするその大きな背中を梓がぽんぽんと叩く。

「あら! よく見れば子猫ちゃんに澪ちゃんじゃないの! いつの間に来てたの?」
「一時間くらい前だよ。忍さんあっちで盛り上がってたからさ」
「呼んでくれれば顔見せたのにぃ~! あ、子猫ちゃんこの前はありがとね! すっごく楽しかったわ!」
「いえいえ、こう見えても顔広いんで」

確か忍さんがどうしても行きたがっていた外国人アーティストの来日公演のチケットを梓が取ってあげたんだっけか。プラチナチケットだっただけに一般ではまず手に入らなかった所を、梓が事務所に頼んで特別に関係者席を取ってもらったのだとか。

「でもびっくりしたわ! まさかサインまで貰えるなんて思ってなかったから卒倒しかけたわよ!」

その外国人アーティストがゲイであるという事を、私は知っている。

「その巨体を運べる人なんていないから倒れちゃだめですよ?」
「あぁ~ん!! 今日一発目の言葉責めえええええぇえぇぇぇ!!」

見るも恐ろしい阿鼻叫喚地獄絵図を他所に、私は今しがた店に入って来たばかりの連れを隣に座らせる。律も素早くビールと突き出し代わりの乾き菓子を出し、店の奥へと引っ込んで行った







7 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 18:43:48.29 ID:IOd+VqaJ0
「うぃ、お疲れ」
「お疲れ様です」

忍さんと一緒に暴れ回っているアホ猫をさっと無視し、私は彼女と一週間ぶりの乾杯をした。
こんな寒い日でも一杯目がビールとは何だかよく分かっていると感心してしまう。実は『とりあえずビール』は科学的見解からも胃に優しいのだ。酒飲みの豆知識である。

「随分掛かったみたいだね。何か問題でもあった?」
「いえ、道が混んでただけです。仕事は予定より早く終わらせました」

あの量の報告書をこの短時間で上げてしまうとは……流石は元関西支社セールス部門のぶっちぎりトップ。やはり本社に来てもらって正解だった。他の社員もお先と言われた時にはさぞかし真っ青になっただろうな。

「よし、御苦労様。流石は私の右腕だね。頼りになるよ」
「澪さんに比べたらまだまだですよ。秋山新主任!」」
「おっ、言うねぇ言うねぇ~!」

美人で仕事が出来てよいしょ上手なこの娘の名前は平沢憂。
梓と同じく高校の後輩だが、こちらは軽音部には所属していなかった。正確には軽音部のメンバーの妹というのが彼女との間柄である。
私が高校を卒業してからは全く連絡を取っていなかったのだが、去年の正月に帰郷した際スーパーの駐車場で偶然再会し、色々と話し込んでいる内に私が勤めているK社という会社の関西支社で働いているという事が判明したのだった。

その時はそれで終わったのだが、それから数カ月が経ったある日に私の所属する本社営業課で緊急の欠員が発生。
どうしようかと頭を抱えたが「そういえば……」と彼女の事を思い出し、即座に本社への転勤を打診したのだ。
それを快く受諾してくれ、彼女は現在K社東京本社営業課の私の班で働いている。
先にも述べた通り自他公認の私の右腕的存在で、常にサポートや裏の作業に手を回してくれているスーパー……いや、ハイパーウーマンだ。
今日とてかなりの量の残業を頼んでいたのだが、きちんと約束の時間までに終わらせて平然と飲み来るとは最早驚嘆の域だ。
まああの鬼畜ばりの超速タイピングと指が見えないと揶揄されるテンキー捌きを持ってすれば至極当然の様に感じるからまた怖い。
恐らくだが、タイピング全国ランキングに余裕で載るぞ、この娘。







8 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 18:48:39.48 ID:IOd+VqaJ0
「やっほ~憂! 久し振り~!」
「あっ、梓ちゃん! 久し振り~!」

そう言って私の目の前でカツンとぶつかり合う二つのグラス。この二人も約二ヶ月振りの再会となるはずだ。

「鬼の秋山からしごかれてたんだって? たいへ」
ドゴッ!!
「んごぉっ!!」

裏拳一発 to 鳩尾。

「人をどっかの野球部の名物監督みたいに言うな」
「そ……そんな……つもりは…………」

そう言ってカウンターの上に崩れ落ちるアホ猫。だらしない、

「ジム通いが聞いて呆れる耐久力だな」
「わ、私が通ってるのはスポーツジムですよ?」
「なんだ、ボクシングじゃなかったのか」
「なんで今から矢吹ジョーを目指さないといけないんですか……。突き指でもしたら仕事に差し支えが出ます」
「突く程指が長いか? そんな身長で一丁前に身体を語るな」
「に゛ゃっ!?」

その言葉に反応して犬歯剥き出しで食いつこうとするアホ猫を指一本で制していると、奥に引っ込んでいた律が何やら湯気を上げる容器を持って戻って来た。
楕円形でサンオレンジカラーの洒落た器。この店のグラス食器類は全て店主のこだわりで揃えられている。
インテリ好きなだけあってその数は日毎どんどん増えて行っているらしく、律曰く全てに目を通すだけでも楽しいらしい。







9 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 18:53:25.12 ID:IOd+VqaJ0
「憂ちゃ~ん、うちの店自慢の忍シチューだよ!」
「げっ!!」
「に゛ゃっ!!」

思わず梓と揃って飛び上がってしまった。
今憂ちゃんの目の前に置かれたのは忍さん特製の本格ビーフシチュー。略して忍シチューだ。素材からこだわって完成に三日を費やすという採算度外視のまさしく逸品。
この店で人気ぶっちぎりナンバーワンを誇るメニューなのだが、あくまでシェフの気まぐれメニュー的な存在なのでいつもあるとは限らない。
だがまさかそれがあったなんて……。不覚だった……。

「うわ~! 忍さんのシチュー久しぶりです!」
「昨日余った分を開店前にスタッフみんなで食べたんだけど、それだけギリギリ余ってたんだ。何もお腹に入れないで飲みのはよくないからね。まして……」

いつの間にか律の背後に立っていたその人物がこちらを一瞥してニヤリと一言。

「鋼の肝臓を持つ澪ちゃんが相手だしね!」

そう言って付け合わせのサラダとパンの乗った皿を音も無く置くこの人物はこの店の店主兼経営者、マスターである。

「マスター……何だか貶されてる気がしてならないんですけど……」
「ん? 褒め言葉だよ褒め言葉! 当店の在庫キラーナンバーワン! あきいいいいぃぃぃやまああああぁあぁぁぁぁ!! みいいいいいおおおおおおおおおぉぉぉ!!!」

イェイ! と言って奥に引っ込んでいくマスター。今日は裏で売り上げ計算をするって言ってたっけか?
何にせよ相変わらず飄々とした人だ。遠回しに高級焼酎ばかり飲み過ぎだと言われている気がしたが、あの顔で言われると反省はしないが憎めない。
まあマスターはいつもの事だからいいとして、今は隣のドアホを黙らせるとしよう。







10 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 18:58:03.47 ID:IOd+VqaJ0
「おい、息が荒い、涎が垂れてる、髪が私に当たってる。早くそこをどけ」

私の視界を覆うようにして憂ちゃんに出された忍シチューを凝視する梓。

「はよどかんかい」
「に゛ゃっ!?」

言っても聞かないようなので羨望に塗れた表情を浮かべる顔面にベースで鍛えた握力を駆使したアイアンクローを掛けた。

「ぬああああぅ……! い、痛い! 痛いです!」

なんとか席に押し戻すが、それでも室内犬が主人にじゃれる様に舌を出すのは変わらない。

「ちょっとは落ち付けよ……。動物じゃないんだから」
「先輩だってさっき奇声上げてたじゃないですか!」

その言葉に思わずうろたえる。反論しなければ。

「あれは……ちょっと動揺しただけだ」
「ちょっと? あれがちょっとですか!? いつも色気より食い気のくせに!」
「何だと!? それを言ったらお前だって同じだろうが!」
「同じシャツを三年も着る人に言われたくありません!」
「私のは一枚何万円もする丈夫な奴なんだよ! お前のジーンズなんか所々破れてるじゃないか!」
「ビンテージですよビンテージ! めちゃくちゃ高かったんですから! これでムスタングが二本買えるんですよ!」
「そんな薄汚れた虫喰いジーンスに大金叩くなんてアホらしい!」
「先輩がいつも持ってるブランドバッグだってパチもんかもしれないじゃないですか!」
「何ぃ!」
「何ですか!」







11 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 19:03:16.34 ID:IOd+VqaJ0
「うわぁ~美味しそう! いただきま~す!」
「ぞうぞ!!」
「召し上がれ!!」

そう言ってカウンターを陣取る我々は三人同時にグラスを空にする。
私は計六杯目の米焼酎、梓は計四杯目のジンバック、憂ちゃんは二杯目のビールをそれぞれカウンターの中に要求し、律はそれに苦笑いで応えた。

「何だかいいトリオになったよなお前ら。高校時代より随分楽しそうだ」

ささっとビールを注ぎながらそんな事を言う律。まあ確かにそれはそうなのだが……。

「でも、三人とも嫁入りは遅そうだな」

ほ~ら、やっぱり来た。相も変わらず一言余計な奴だな。まあ自分でも婚期は遅いと思っているので言い返せないのが癪なのだが……。

「でもさ、嫁入りと言えばもう来週なんだよな」

そう言って憂ちゃんのコースターの上にグラスビールを置く律。

「……来週ですね」

律の言葉に頷いて梓は横を見る。

「来週……だな」

私もそれに倣って横を見る。目線の集まる先に居る彼女は出されたビールをクイッと三分の一程飲み干し、二口サイズ程の肉を頬張る為に用意されたフォークを手にした。

「……そうですね」







12 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 19:09:39.06 ID:IOd+VqaJ0
その口調がややアンニュイな物に聞こえたのは、私達には計り知れない様々な物が彼女の中で渦巻いているからなのだろう。その胸の中を占めるのは感慨深さか、はたまた別の何かか。……正直、私には知る由も無い境地だ。

「私実家に帰るとだらしなくなるからなぁ~……。朝ちゃんと起きれるかな?」
「起きなかったら叩き起すまでです。往復ビンタとパイルドライバーのどっちがいいですか?」
「まぁ~! この娘ったらなんて口をきくの!? 保護者を出しなさい!」
「この人です」

そう言ってこちらに向けられた人差し指をすかさず掴み、テレビでやっていた合気の真似をしてくりっと捻る。

「だああああああああああああああ!!! ギブギブギブギブギブ!!!!」

必死にカウンターでタップしようとする手をすかさず律が掴み、にんまりした顔でアホ猫に迫る。

「ごめんなさいは? お嬢ちゃん」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいいいいいぃぃ!!!」

どうやら本気で反省しているようだ。誠心誠意がこもったその謝罪をしかと聞き届け、私と律は同時に手を離す。その直後すぐさま半泣きの顔で人差し指にふーふー息を吹きかける梓。子供か。

「うう……私の職業がギタリストと知ってこんな事を……」

至極真っ当な抗議を述べるお子様ギタリストに向かい、ざまあみろ~!と年上の風上にも置けないような台詞を飛ばす律。やんちゃでお子様な部分もまだまだ残ってはいるようだ。

「まあ来週まで保てばいいさ」
「その後は?」
「知らない」
「律先輩の鬼ぃ~!」

やんややんやと繰り広げるいつもの応酬劇。それを左耳が騒がしく感じつつ、チラと視線を逆に送ってみる。
何だかよく分からない表情でとろとろの肉を頬張るその顔。普段はなかなか見せる事のない薄曇りの表情だ。
その顔を作らせる原因は分かっているのに何も言ってあげられない私は上司失格なのだろうか? ……いや、プライベートな事にずけずけと土足で侵入する事の方がきっとダメなのだろう。







13 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 19:15:21.01 ID:IOd+VqaJ0
だから私は何も聞かない。彼女が自分から言いたくなるまでは絶対に。言いたく無ければそれでいい。
……まあ、黙って見守るさ。上司として、先輩としてね。

二月、雪の歌舞伎町。いつもの様に集まっていつものように飲んでいる私達。
それこそいつもと何も変わらない光景なのだが、何だかいつもと少しだけ空気が違う。
きっと……皆そわそわしているんじゃないかな。かく言う私も何だか落ち着かない。
そんな各々の抱く感情が渦巻くバーのカウンター。
ふと自分の人生なんかを考えてしまったり、でも分からなかったりの応酬劇を酒で加速させる私は……どうなんだろうね?

翌週に控えた一大イベント。今は只々思いを馳せる。
私達の親友、そして憂ちゃんの姉である平沢唯の挙式まで……あと一週間。
私は溜息を一つ吐き、律といがみ合っているアホ猫の皿から山葵醤油煎餅を根こそぎ奪い、その一つを品も無くボリボリと貪るのだった。







14 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 19:20:55.60 ID:IOd+VqaJ0
相変わらず代わり映えのしない光景だな……と思ってしまう。
東京の日毎変わり行く景色に慣れてしまったのだろうか?それともほんの一月前にこの地の土を踏んでいたからだろうか?
……どちらにしろ変わりない。自分の中でこの街はもうホームタウンでは無くなっているのだ。それに対して寂しいとかそんな感情が全く湧いてこない私は冷たい人間なのだろうか?
……ダメだ、それも分からない。

地元を離れてもうすぐ八年。泣く泣くこの街から旅立った高校卒業直後の私も先月で二十五歳になった。
随分と色々あった気がするが、只々単調な日々の繰り返しであったのかも知れない。
現にこうして振り返ってみれば八年という日々が異様に短く感じられているのだ。感覚的には高校時代の三年間よりも数倍早かったと思う。
いつの間にか社会人として世の中の歯車となり、大人になるに連れ朧気ながらに描き始めていた未来のビジョンを遵守している自分に呆れるばかりだ。……まったく、嫌になるな。

「何だかテンション低いですね? ひょっとして飛行機酔いでもしました?」

そう訊いて来るのは毎度頑なに空港から地元の街までの運転を拒むアホ猫だ。
今回など私が鍵を渡された数秒後に助手席でニコニコと缶コーヒーを啜っていたから驚いた。
毎度毎度輪をかけて秋山澪調べのふてぶてしさワールドレコードを更新しているが、次回の帰省時にこれを更新されようものならいくら温厚な私とてもう黙っていないだろう。その際には鼻でピーナッツでも食べてもらおうか。鼻でピーナッツでも。

「別に。何でもないさ」

軽く受け流す。

「へぇ……そうですか」

そんな事を言いつつ、いつの間にか買っていたホワイトのブロックチョコを私の口に押し込む梓。

「夜だから血糖値が下がってるんですよ。脳を活性化させて下さい。眠気覚ましにもなりますよ?」
「だったらミントガムの方がいいんじゃないか?」
「そんな気の利いた物は持ってません。コンビニで栄養ドリンクでも買って下さい」

相変わらずお厳しい事だ。いつもあとワンプッシュが惜しいな、こいつは。







15 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 19:26:20.36 ID:IOd+VqaJ0
「へいへい。ありがたき御忠告を本当にありがとうございます梓大明神」
「む、分かればよろしい」

普段ならここでモンゴリアンチョップでもお見舞いしてやる所だが、今はそんな気力さえ湧かない。
やれやれ……めでたい事の前日だというのに、何でこうもテンションが上がらないんだろうね……。

「あ~眠い……って、ありゃ? もう到着ですか」

先程から時折目を擦っていた梓が停車を合図にシートを起こす。相変わらずマイペースな奴だ。

「何だか回を重ねるごとに到着するスピードが上がってますね」

それをお褒めの言葉を受け取り、頑なに口を閉じるトランクを解錠してやる。

「まあ毎度毎度運転してればこうなるさ」

そんな事をかっこよく言ってポケットの中の携帯を取り出す。
サブディスプレイが表記するアラビア文字が示す時刻は二十一時五十八分。約束まではあと三十分もある。一度車を置いて出ても十分間に合うだろう。

「じゃ、明日はよろしくお願いしますね」

後部座席に寝転がっている黒いケースを回収し、トランクの中のバッグを肩に掛けた梓が運転席側に回り込んできてそう言った。

「ああ、寝坊するなよ?」
「当たり前です! 私のドレス姿を見て先輩が卒倒しなけれ」

そこまで聞いて軽のレンタカーを急発進させる私。生憎だが戯言に付き合う余裕は持ち合わせていない。
さらばだアホ猫。絶対に遅刻なんてしてくれるなよ? お姉さんとの約束だからな?







16 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 19:30:19.67 ID:IOd+VqaJ0
家の前から乗った黒タクシーを降りた私は、飛び込んできた光景に思わず頭を掻いた。
まだ約束の十分前だというのに既に二人とも到着しているというのが本当に素晴らしい。今しがた別れたばかりのアホ猫ギタリストに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものだ。

「私が最後か。これは失礼したな」

偉大な二人を一瞥し、鼻を鳴らして白い息を吐く。

「私も今来たところ。タッチの差だったわね」
「寒い~……早く入ろうぜ~……」

という事はまさかのまさかでこいつが一番乗りか。それはそれは悪い事をした。

「あれ? 梓ちゃんは?」
「おさらいがしたいから来れないんだとさ。珍しく本気だよ」
「何だよプロのくせに……。何回武道館で演ってんだよ……」
「プロだから、だろ? お前だって何杯作っててもカクテルの分量が分からなくなる時くらいあるだろ。それを極力潰すのがプロだ」
「へいへい……」

淡いレモン色のマフラーに顔を埋め、その中に温かい息を吐きだす律。震える手を見れば分かるが、もう寒くて堪らないようだ。
朝の便でこちらへ戻って来たらしいが、昼間に送って来た写メールと同じ格好をしている所を見ると街で豪遊して直接ここに来たと見える。

「まあ何はともあれさっさと入ろうぜ? お湯割りが飲みたい」
「そうね。私も早く焼き鳥が食べたいわ」

そう言ってモナリザもびっくりの微笑みを見せるこの美女の名前は琴吹紬。
高校時代の同級生で、律や私と同じく軽音部に所属していた。パートはキーボード。
高校卒業後は紆余曲折あって、現在は地元でジュエリーショップのオーナーなんかを務めている。支店が西日本に四店舗だったか? 業界内でも噂の新鋭企業なのだと雑誌に載っていた。
今着ているコートも随分と高そうだな。恐らく私とは一生縁が無い様なメーカーの物なのだろう。







18 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 19:35:27.50 ID:IOd+VqaJ0
「じゃ、入ろうか」

私が先陣を切ってドアの中へと突入を図る。今年の正月にも来たから約一ヶ月振りか。
うん……この机と言い箸箱と言い店員と言い、やはり懐かしさも新鮮味も全く無い光景だな。……まあそれが当たり前なんだけどね。


「よく考えたらムギと会うのは去年の五月以来か」

乾杯を終え、突き出しのチリビーンズを口に放りながら私は言う。
ちなみに去年の五月とは梓が初めて武道館に立った記念のライブを見る為に仲間全員が東京に集まった時の事を指す。
あのライブは本当に楽しくて感動的だった。今思い出しても目頭が熱くなる。

「ええ、今年は支店の開店準備で忙しかったから。せっかく皆で集まる予定だったのに約束破っちゃってごめんね」

そう謝るムギの左手を見れば早くも中ジョッキが空になる寸前になっていた。相変わらずアルコールの申し子だな。

「気にするなよ。私達みたいに決まった休日が取れる訳じゃないんだからさ」
「そうそう。気楽なOL稼業の私達と一企業を肩に担う社長を一緒にしちゃ~お天道様が許さねえってもんよ」

江戸っ子のチャラけた言い回しでムギを笑わせる律。
それにしても本当に大したものだ。二十五歳でもう立派な企業家じゃないか。どことなく社長の風格もある気がするし、それにどんどん綺麗になっている気もするな。
その内どこかのワイドショーで取り上げられそうだ。『噂の企業の女社長』あたりで特集が組まれたらブルーレイで録画しておこう。

「でもこうして二人と会えたのは嬉しいわ。ひょっとしたら来年の正月まで会えないかもって思ってたから」
「ま、そこは唯に感謝しないといけないな。私もムギに会えてよかったよ」
「そんなこと言っちゃって~! 本当は唯のウエディングドレス姿見たら泣いて悔しがるくせに澪ちゃんは~!」

その稚拙なからかいに思わず回答が詰まる。慌ててビールを口にして誤魔化そうとしたが、長年の付き合いがあるおデコさんには通じなかった。







19 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 19:40:30.19 ID:IOd+VqaJ0
「あ、あれ? ひょっとして……図星?」
「ち、ちが……う……」

ダメだ。今のは我ながら下手な弁解だったと思う。

「ま、まあまあ。澪ちゃんならすぐにいい彼氏が出来るわよ! ね、りっちゃん!」
「そ、そうだぞ澪! 澪は顔もスタイルもいいんだからすぐにみっちゃんみたいに……」

グサリと遠慮なしに貫かれる私のフラジャイルマインド。言われるまで気付かなかったが、私の心は思っていたよりもずっと深刻なダメージを負っていたようだ。

「あっ……ご、ごめん! それが原因だったのか……」
「……いや……いい……」

私と律を交互に見るムギ。まあ二人の間でしか成立しない話題でテーブルの上の空気を占拠するのは良くないな。この際だから洗いざらい吐いてしまおうか。

「ああ……えっと、みっちゃんって言うのは私が入社してからずっとよくしてくれてる上司で、律の店の常連なんだ。休みの前の日なんかずっと一緒に飲みに行ってたんだよ」

そこでビールを二啜り。中ジョッキ残り三分の一。

「よく愚痴を聞いてもらったりしてさ、どっちかが嫌な事があったら一緒に飲んでハシゴして朝まで騒いでってのがずっと続いてたんだよ。口癖は「彼氏なんていらない!」で、二言目には「どっかにいい男は居ないのか!」ってよく叫んでた」

それがさ……と続け、チリビーンズを口に放ってビールで流す。中ジョッキ残り十分の一。

「今年の頭にいきなり「結婚します!」だなんて言い出したんだよ。おまけに三月には寿退社だってさ」

あら……と眉を八の字に曲げつつ、ムギはグラスの中を空にしてそのまま注文ボタンを押した。私もそれに倣ってグラスを空ける。まだ料理が一品も来ていないというのに、二人ともとんだ酒欲だ。







20 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 19:45:57.35 ID:IOd+VqaJ0
「私、何にも聞かされてなかったからショックでさ……。それからその人が一気に縁遠く感じちゃって、最近は全然飲みにも行かなくなっちゃったんだよ。向こうは向こうで仕事の引き継ぎとか忙しいし、私も婚約指輪見たら誘いにくくて……」
「そう……なんだか複雑ね。祝ってあげなきゃいけないのは分かってるけど……って感じ?」
「ん……そんなとこ」

そこで登場した店員にムギは慣れた口調で焼酎のセットを注文し、私はもう少しビールで胃を慣らそうと中ジョッキのおかわりを注文した。
それを繰り返し確認を取っていそいそと去って行く若い店員の薬指にはめられたリングがやたらと目につく。煌々と光を放つそれの存在意義がこんなに疎ましく思えた事は無い。

「なあ、ムギはどうなんだ? 恋人とか……結婚とか……」

ん~……と呻りながら焼き鳥の盛り合わせ用に置かれたキャベツに端を伸ばすムギ。そんなにタレが美味しいのだろうか? 目一杯浸して口に運んでいる。

「私はあんまり興味ないかな……」

あっけらかんと言い放つ。口調は軽い。

「一人で生きて行くのには何かしら不便な世の中だけど、家庭を持つと何かしら犠牲になる物も出て来るだろうし。私は仕事にウエイト置いてるからそういうのはいいかな。子供も出来ると大変そうだし」
「おっとちょい待ち」

その言葉に反応したのは律だ。短大卒で保育士の免許も持っている子供大好き人間。実際に保育園で働いていた事もあり、今はその経験を生かして玩具の製造会社に勤めているのだ。やはり言いたい事はあるだろう。

「子供もいいもんだぞ。他所の生意気なガキんちょだったらそりゃ~なかなか馴染めないだろうけど、でもやっぱり可愛いもんさ。接してると分かるよ」

熱弁気味に語る律。だが、それにも「ん~……」と呻りを上げるだけのムギ。やはりそこは人の好き好きなのだろう。正直好みの範疇を出ない押し問答だ。
無理に子供を産まなきゃいけない時代でも無いし、世の中は少しずつ女性が一人で生きていける様になってきている。顕著な例として少子化や晩婚化だって進んできているし、不景気だって影響しているだろう。
そこにスポットを当てると自動的に結婚や子供、それ以前に男女交際というものの意味すら深く深く考えさせられる。







21 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 19:50:57.07 ID:IOd+VqaJ0
「何で人って恋愛するように生まれたんだろうな……」
「おや、深い事をおっしゃいますね澪さん? その真意とは?」

うん……と深く考えてもいない持論を展開しようとしたその時だった。

「お待たせいたしました~。生ビールの中と『巡風の寶』のボトルセットですね」

先程の若い店員が話を遮るように割って入って来た。別に悪意は無いのだろうが、些かタイミングが悪かったのは否めないな。
テキパキと私のビールやムギの焼酎セットを並べ、「ごゆっくりどうぞ」なんて至極常套的な言葉と共に一礼をする店員。大きなトレイを持ったその左手には相変わらずキラリと輝くリングが居座っている。

「で、どんな話だったっけ? 澪先生」

仕切り直すようにニヤニヤと訊ねて来る律。だがその顔に些かの悪戯心を感じた私は「やっぱりいい」と小さく答え、二杯目のビールをくいっと煽ったのだった。


その後、明日の前祝いと称して催されたこの集いは結局二時間程で解散。
だらだらと高校時代の思い出話なんかを話していたのだが、ムギのボトルが空になったのと注文した料理を全て食べきったのが重なり、ちょうどいいかという事で早めの解散に踏み切った。どうせ十数時間後にはまた会うんだ。酒も飲む事になる。
顔の赤い律と水でも飲んでいたかのような顔をしているムギが乗った二台のタクシーを送り、私は少し酔い醒ましの散歩をする事にした。家まで約三キロ。歩いて帰ってしまってもいいかもしれない。
今日は……星が綺麗だ。


たまたま目に着いた河川敷の小さなベンチ。
この街に居た時にはまだ設置されていなかったというのに、一体いつの間に住民が搾取された血税が投入されたのだろうか? ……正直誰も座らないぞこんなベンチ。
私が今座っているのはたまたまであって、日頃からこんな何も無い川を眺める暇な市民が居るものか。……と、そんな悠長な酔っぱらい思想を密かに展開していた時、膝に乗せていたバッグが微かに震えたのが分かった。
すぐさま中を漁り、スプレーに当たって傍迷惑な軽低音を撒き散らす携帯を取り出す。

「……何だこんな時間に」







22 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 19:56:44.71 ID:IOd+VqaJ0
サブディスプレイに表示された文字は一つ。それは、恐らく統計を取ればぶっちぎり一番で私の携帯の着信履歴を埋めているであろう人物の名前だった。
別に無視しても良かったのだが、まあ仕方なくボタンを押し込んで通話を開始させる。

「切るぞ」
『わ! ちょ、ちょっと待って下さいってば!』

どうせ大した用事でも無かろうに。電話代の無駄だ。

『あの……今何処にいます?』

何だってんだ一体……。

「河川敷だ。酔い醒ましの散歩中だよ」
『それってバス停近くのですか?』
「そうだ」
『ああ、よかった! じゃあお願いがあるんですけど、今から家に来てもらえませんか?』

……はぁ?

「何が「じゃあ」だよ! これでも結構飲んだんだぞ? 帰って寝るって……」
『そこを何とか! 明日の唯先輩の式が台無しにならないかが先輩の双肩に掛かってるんです!』

……ん?

「どういう事だよ?」

訝しげに訊ねるが、正直一気に酔いなど醒めてしまっていた。

『あの……それが……』







23 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:01:54.18 ID:IOd+VqaJ0
直後、受話スピーカーの向こうから聞こえた言葉が嘘では無いと判断した私は、即座にベンチから立ち上がって歩き始めた。
これが本当ならあのアホ猫一匹に任せてはおけない。下手をすれば本当に式がぶち壊しになってしまう。……それだけは絶対に防がなければならない。
親友の人生で一度の晴れ舞台を壊させてなるものか。
そう心の中で反芻した私は、買ったばかりのヒールの踵を折る覚悟で走り出した。


「ああ、すいません先輩……」

申し訳なさそうに頭を下げる梓。夜中なので声は押さえ目だ。

「いいって、それより中に」

コクリと頷き音が鳴らないように戸を引いて私を招き入れるあたり、恐らく両親は既に就寝中なのだろう。仕方なく私もこそこそとヒールを脱ぎ、抜き足差し足でリビングへと向かう。
確かオーディオやギターの音が漏れないようにと防音性を重視した設計になっていると言ったな。そこまで行けば大丈夫か。
そう思っていると他の木製扉とは明らかに違い、やけに重厚に感じる扉の前に梓が立った。

「開けますね」

重そうな扉についているのはよくスタジオの出入口のドアについている専門的なノブだ。

「えらく本格的なんだな……」

そのやや過剰気味な装飾の入った銀のドアノブをガチッと下げて扉を引く梓。これを毎度繰り返していたら大変そうだ。とても老後の事まで考えて設計したとは思えない。

「どうぞ」

促されるまま流されるまま、そのドアの中へと歩を進める。割と覚悟はしていたつもりなのだが、私はその光景を見てやはり愕然としてしまった。

「おいおい……」






25 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:08:20.11 ID:IOd+VqaJ0
冗談だろ……なんて思ってしまうが、どうにもこうにも映る全てがリアル過ぎて溜息すら出ない。何にせよ面倒臭い事になりそうだ。……ついてない、不幸だ。

「あっれぇ~~? 澪しゃんじゃないですかぁ~」

視線の先に居た彼女が突っ伏していたガラスのローテーブルから身体を起こし、とろりとした目でこちらに手を振る。
テーブルの上には山積みのカクテル缶。
それは全てがロング缶で、近所のスーパーに陳列されたものを丸ごと持ってきたように感じる。おまけに二十~三十本程もあるそれらは全てプルトップ押し込み済みときている。
恐らく中身は全て空なのだろう。彼女の律儀な性格とでろんでろんなあの顔を見れば一瞬で分かる。
これは断言できるが、あんな酔い方をした人間はろくな行動を取らない。そしてまともな言動は絶対によこさない。絶対に、だ。

「梓」
「……はい」

私に続いてリビングに入り込み、再びドアノブを元に戻す梓。その返答にはいつものチャラけ具合が感じられない。
恐らくだが彼女を押さえるので精一杯だったのだろう。最早疲労困憊といった具合だ。きっと今ソファーに寝転がれば一瞬で夢の世界へ旅立ってしまうんだろうな。
だが、その前にこの質問にだけは答えてもらおう。

「お前……何本飲んだ?」

私の発言と同時に一瞬の間が訪れ、喉を鳴らした音の後その言葉は続いた。

「……ゼロです」

何処となく申し訳なさそうに俯く梓。責任でも感じているのだろうか? ……いや、きっとそうなんだろうな。

「そうか……」

こうなったら手段は一つだ。タイムリミットは朝の九時。徹夜覚悟でやるしかない。







26 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:12:08.99 ID:IOd+VqaJ0
「梓、パソコンの電源入れろ」
「パソコン……ですか?」

きょとんとして首を傾げる小さなギタリスト。

「ああ、今はお前のラッキーガールっぷりを信じるしかないみたいだからな」

普段から豪語してる中野梓=天女説だって信じてやるさ。だから神懸かり的な力を使っていい奴を引き当てろよ。

「ネットで『酔い』スペース『醒ます』、それで数が多ければスペース『緊急』を加えて検索だ」

えらく初歩的でどうしようもない手段だが、今は文明の力に掛けよう。

「時間が無い。出来る限り早く多く調べてくれ。一秒も惜しい」
「わ……分かりました」

そう言って部屋の隅に置いてある一世代前の物と見えるデスクトップ型パソコンに駆け寄り、電源ボタンをオンに入れる梓。OSの立ち上げまでにはまだ時間が掛かるだろう。仕方が無い事だが、本当に一秒でも惜しい状況だ。
できるだけハードディスクが重くなっていない事を祈ろう。それこそこのパソコンだと楽譜なんかのデータが圧縮されずに保存されてありそうで怖いな。

「さて……」

パソコンを梓に任せ、私はにへら笑いでテーブルの上に積み上がった缶を一つ一つ持ち上げている彼女に近寄る。
恐らく何を言っても無駄だし、何をしても朝には覚えていないだろう。
……だが、一応は務めを果たさねばなるまい。知ってしまったからには見て見ぬふりが出来ない性分だ。
それに、この種火が散拡してしまったら一生取り返しのつかない事態にもなりかねない。火は消す方がずっと難しいのだ。なら、着火する前に防がねば。

「おい、どういうつもりだ?」







27 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:16:56.97 ID:IOd+VqaJ0
虚ろな目で「アハハ~」と再びテーブルに突っ伏す彼女。
その拍子に積み上がった缶の一部が床に転げたが、そこからは液体なぞ一滴も零れやしなかった。一体この缶達と何回ディープキスを交わしたのだろうか?

「明日は大事な式と披露宴だぞ? そんなんで出られるのか?」

ん~? と唇を尖らせて見せ、頬をテーブルに擦りつける彼女。その頬と吐息の熱で白く曇る透明ガラス。そのまま溶けてしまいそうだ。

「自分が何やってるのか分かってるのか!!」

語尾を強めてみても全く動じない。気にしていないというよりは耳に入っていないようだ。

「おい! 聞いてるのか!!」

相変わらずテーブルに突っ伏したまま、ごろんとこちらに背を向ける彼女。部下にこんな態度を取られるようでは上司失格だな。

「憂ちゃん!! おい憂!!」

Yシャツの首根っこ部分を掴み、強引にテーブルから持ち上げてこちらを向かせる。とろんとした目は明らかに焦点が合っていないが、そんな事はお構いなしだ。

「こら!! 私の目を見ろ!!」

ん~? とまたしても首を傾げる彼女。……だんだんイライラして来た。きっと梓もこんな感じで散々振り回されたのだろう。そりゃあ疲れるってもんだ。

「最近様子がおかしいと思ってたけど、まさかこんな事すると思って無かったよ……」

もう一度聞く、と前置きをし

「自分が何やってるのか分かってんのか!! 明日は唯の披露宴だぞ!? そんなんで出られるのかって聞いてるんだ!! 答えろ憂!!」







28 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:23:03.99 ID:IOd+VqaJ0
そう捲くし立てる私。だが、何年振りかで上げたその怒鳴り声を彼女は軽くスルーし、満面の笑みでこんな事を言ったのだった。

「ぁたし~、しきにもぉ~、ひろうえんにもぉ~、でっませぇ~ん!」

……は?

「でないで~、とうきょうに……かえっちゃいまぁ~す!」
「な、何言って……」
「ねぇ~……みぉたんもぉ~……いっしょにぃ~……ぴゅ~~~ってぇ~、かえろっ? アハハハハ~!」

首を左右交互に傾げ、眉を八の字に反らせながらいつもの笑い上戸っぷりを見せつけて来る彼女。だが、不思議とその発言が偽りであるとはまるで思えないのだ。寧ろ真摯にさえ受け取れてしまう。
あまりにふざけた企画と提案だが、彼女は本気の本気でそれを口にしている。私には分かるんだ。伊達に一年間も同僚だった訳じゃないし、何より彼女は私の右腕なのだ。嘘か本当かくらいの見分けは付く。

「何でだよ……? 唯の事祝いたくないのか? 唯と喧嘩でもしたのか?」

ん~ん、と首を横に振る彼女。
それが行って、来て、また行ってを繰り返した後、相変わらず焦点の合わない目が私を見つめる。眉も八のままだ。

「じゃあ……唯の相手か?」

その言葉にピクンと微かな反応があった。どうやら図星なようだ。脳が動いているのかどうかも疑わしいが、仮に動いていないのならば無意識下での回答という事になる。

「そうなんだな?」

真剣な眼でじっと見つめるが、その弛緩しきった表情筋は再び笑顔を形成してにへら笑いを繰り出してくる。

「あんなやつきえちゃえばい~んですぅ~!!も~い~よ~! きえちゃえ~! おね~ちゃんにちかづくなぁ~!」
「お、おい! 何てこと言うんだ! おまえの義兄になる人だろ!?」
「アハハ! あんなやつがおに~ちゃん? じょ~だんじゃないっ! じょ~だんじゃないよぉ~! アハハハハ!」







30 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:28:14.35 ID:IOd+VqaJ0
……ダメだ。このままででは話にならない。

「梓、どうだ?」
「ま、まだ立ち上がりません……。多分このパソコンめちゃくちゃ重いです……」
「じゃあ携帯でも調べてみてくれ。このままじゃ本当に式がぶち壊れる」

憂ちゃんが出席しなかった場合の唯のテンションなんて考えるだけ無駄だ。
それに出たとしてもこんな調子で暴走されてはひとたまりも無い。至って分かりやすく人生最悪のメモリーになってしまうだろう。
そんなラクーンシティーで行われる立ち食いパーティーみたいな式に立ち会うのは死んでもごめんだ。後の世の語り草になること間違い無し。ちょっと想像してみよう。

………………。

……うわ、ダメだ! そんなの絶対ダメだ!考えただけで地獄絵図もいいとこだ!
唯の笑顔を曇らせるのなら例えこの妹だって許すわけにはいかない。その為なら私は鬼にでも何でもなってやる。

……覚悟しろよ? 憂ちゃん。


「助けてぇ……もうやだよぉ……」

真夜中の中野家リビング。只今絶賛拷問中。
聞き分けのない酔っぱらいの手首を縛り上げ、手当たり次第の毛布で包み、前後から石油と電気ストーブの熱波を浴びせ、休みなく水とグレープフルーツジュースを交互に飲ませている。
目隠しと称して装着させたアイマスクの端からはボロボロと涙が零れ落ちているが、そんなことは一切お構いなしだ。

「胃がはち切れても飲み続けるんだ。汗も枯れるまで掻け」

いやっ……! と拒む口を無理矢理開けてジュースを流し込み、三本目の一リットルパックを空にする。






32 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:33:19.35 ID:IOd+VqaJ0
「も……もう大丈夫ですから……ほ、ほどいてっ……!」
「ダ~メ」

玉のような汗が浮かぶ顔と髪が張り付く首筋をタオルで拭い、私もそれで自身の汗を拭う。
高かったお気に入りのシャツがびしょびしょだ。肌にぴっとり張り付いて心地悪いし、もういっそ脱いでしまいたい。

「先輩……これ本当に効くんですかね?」

私と同じく、憂ちゃんに強く抱きついておしくらまんじゅうを仕掛けている梓が訊ねて来る。こちらも火照り顔だ。

「知るか。これしか方法が無いんだからとことんやるしかないだろ」

重いパソコンと週末の夜中だけあってなかなか繋がらないネットを駆使し、酔い覚ましの方法をリサーチした梓が漸く導き出した答え。詳細は以下の通り。

一、とにかく汗を掻け。新陳代謝を促進して、肝臓の働きを活発にすべし。
二、水分を多く摂れ。果物系のジュースもよし。何度もトイレへGO。
三、気合と根性。酔いなど気の持ちようだ。どすこい。

……以上を最適な手段として考え会議を重ねた結果、出来あがったのが現在のこの部屋の状況だ。もうずっとストーブを全開で働かせ続けている為この部屋の室温は恐らく悠に三十度を超えているだろう。
その上で更に毛布に押し込まれ、逃げられないようにおしくらまんじゅうで拘束されている彼女の体感温度はいかほどのものか。
……まあシャツの中でたんまりと汗を掻いているから大丈夫だろう。

「これ……ひょっとしたら私達が保たないんじゃないですか?」

もう水分が染み込む余地も無い程のシャツで汗を拭う梓。若干涙目なのは気のせいでは無いだろう。

「キバれ。その分だけ明日の披露宴で飲む酒が美味くなる」
「一睡もしないで披露宴に臨むなんて無謀ですよ~! 絶対途中で寝ちゃいますって!」







33 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:37:38.61 ID:IOd+VqaJ0
ごもっともだ。だがそれは私も同じ。

「安心しろ。お前が寝たらひっそりと瀬戸内海に捨てて来てやる」
「ひ、ひどっ!」
「タコとかも住んでるねん」
「意味分かんないですよ!」

その真摯な抗議をさらっと無視し、これで最後となるグレープフルーツジュールのパックを開封する。
梓に買いに行かせたそれももうすっかり常温だ。温い。……いや、熱い。

「さあ飲め憂ちゃん。嫌とは言わせない」
「も…………もうダメ…………飲めないよぉ……。澪さん……もう許して…………」
「ああ許してやるさ。このジュースと水を一リットルずつ飲み干して、四回くらいトイレに行ったらな」

その憂いを帯びてえらく官能的に感じる物言いに加虐心を煽られ、ついつい口調もキツくなってしまう。そして荒い息を吐きだす口の中へとジュースを流し込むべく顎を掴み、目配せして梓に頭を固定させる。

「あっ……あぁ……」

口から一滴も零させないよう、数回に分けて百ミリリットル程度の赤紫液を注ぎ込んだ。ついでに私も一口、梓にも一口。
チラと見ればまたしてもアイマスクの端から伝い落ちる涙。最早それすらも加虐心を煽るパーツにしか見えない。
そしてもう何度目かも分からない震えが彼女の体を支配している事に気付く。

「梓、トイレ」

その言葉を聞き、黙って毛布を取り払って憂ちゃんを立ち上がらせる梓。
身体の前で手首を縛り上げているスポーツタオルの端を掴み、トイレへと連行するその姿はさながら看守と囚人だ。






35 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:42:54.42 ID:IOd+VqaJ0
「……五時か」

ふぅ……と息を一つ吐き出す。その息すらも熱くて堪らない。鼻孔を擽るのは三人の内誰の物ともつかない汗の匂いだ。
三人とも……いや、私と憂ちゃんは間違い無く運動不足だからing進行形で老廃物が出て行っているのかもしれないな。
……と、そんな事を思いながら部屋の隅に放置されたゴミ袋に目をやる。机の上に山積みとなっていたカクテル缶を全て放り込んだそれ。
あの缶の中身が全て身体に入ったというのだから恐ろしい。……私も控えねば。


『憂が……家に上がり込んでお酒飲んでるんです。止めても聞かなくてもう泥酔どころじゃないんですよ……。これじゃ明日は式どころか間違い無く一日寝たきりです……』


私の耳に飛び込んで来た深夜の超衝撃ニュース。そんなまさか……と思っていた矢先、梓が喋っている後ろで誰かが何事かを喚いている声が聴こえ、それはすぐさま私を突き動かした。
そして実際現場に来てみればこの有様。おまけにその原因が明日から義理の兄になる人間ときたもんだ。

……確かに憂ちゃんは前からその唯の婚約者があまり好きではないと言っていた。
あちらが憂ちゃんを快く思っていないだとか、唯とその人が付き合っているのが信じられないとか、そんな旨の控えめな言葉を酒の席で時折耳にしていたの思い出す。
挙式が近付くなるに連れてその話題を口にする事が無くなったのですっかり忘れていたのだが、もしかしたらそれが裏目に出てしまったのかもしれない。
一人で悩んで押し殺して、抱え込んで抱え込んで……とうとう爆発させてしまったのだろうか。それもよりによってこんな大切な日の前夜に……。

……だったら、私にも責任はある。よく分からないからと聞いたふりをして受け流していた自分が今更嫌になるな。
きっと誰も親身になって聞いてあげなかったから憂ちゃんは愚痴すらも言えずにストレスを溜めて結果こんな事をしたんだ。
考えても見ろ、憂ちゃんが愚痴をこぼす相手なんて誰が居る? 最近は唯や両親と連絡を殆ど取っていないと言っていたじゃないか。ならば、今一番身近な人間が誰かなんて考えずとも分かる。
仕事もプライベートもべったり一緒で、酒を飲むのも必ず一緒な人間は何処のどいつだよ? 東京の片隅で憂ちゃんと寄り添って生きてるのは誰だ?

……今、私が出来る事は一つ。自暴自棄になった憂ちゃんが後で自分が取った行動を後悔しないように、正しい方へと導くだけだ。
正直今実行しているこの作戦に一体どれ程の効果があるかは分からない。だが、もう時間も無いんだ。成功すると信じ込むしかない。それしかないんだ。







36 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:48:03.85 ID:IOd+VqaJ0
二人が出て行ってから十五分程経っただろうか? 開きっぱなしのドアから足音が聞こえて来る。

「先輩」

ボーっと自分の爪先を見て二人の帰りを待っていた私を呼び、梓がゆっくりとリビングに戻ってくる。その後ろについて来るのは、もう手も縛られていなければ目隠しもされていない憂ちゃんだった。

「だいぶ意識がはっきりしてきたみたいですよ。真っすぐ歩けるし、酔いもかなり醒めたみたいです。」

確かに。真っ赤に腫れた虚ろな目を見ればよく分かる。これは酔っている時の目では無い。叱られている時の子供の目だ。いきすぎた悪戯を咎められる時のか弱い目。
大方自責の念に駆られて猛省中と言ったところか。まあ作戦はおおよそ成功とみて間違い無いだろう。些か効き過ぎで気味が悪いが、憂ちゃんは元から酒には強い方なのでまあ納得するとしようか。

「……あ……あの……」

オドオドと立ち竦む憂ちゃん。どことなく肩を震わせている様な気がする。

「まあ座りなよ。怒って無いからさ」

それを証明する為に一応微笑んで見せる。

「……はい」

力無く答え、それに応じる憂ちゃん。梓はそれを見届けて二つのストーブの電源を切り、熱を逃す為に外へと続く扉を開いた。
それと同時に些か冷たすぎる空気が部屋に入って来る。まあこのくらいで風邪はひかないだろう。

「まあ……色々溜まってたんだな。こういう時もあるさ」

目を合わせずに床を眺めるだけの憂ちゃん。頷きはしない。







37 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:52:23.36 ID:IOd+VqaJ0
「でもさ、はっきりさせておいた事があるだろ? 今後の為に」

正座のまま憂ちゃんに近付き、顔を上げさせて問う。

「唯の旦那になる人の事が……嫌いなんだな?」

何だか随分と躊躇った様に体を捩った憂ちゃんだったが、隣に立った梓に肩を叩かれ、申し訳なさそうに一度だけ頷いた。

「その人と唯が結婚するのが嫌で、式に出たくなくてこんな事をしたんだな?」

その質問にもやはり些かの背徳感を感じたようだったが、やがてコクリ……と、ゆっくり首肯を繰り返した。あれだけ羽目を外した後でもやはり醒めれば生真面目な娘だ。影口を言っているようで嫌なのだろう。
……でも、それは人にとって本当に大切な所だったりするんだよな。

「……言ってくれればよかったのに」

思わずクスリと笑いが出る。そして曇ったままの瞳に向け、私は言った。

「いいじゃないか、嫌いだって」

数瞬の間を置き「……え?」と漏らす憂ちゃん。それを見つつ、更に続ける。

「唯が好きな人だからって、憂ちゃんが好きになる必要なんか一パーセントだってないんだぞ? 嫌いだって全然構わないんだ」

その言葉に暫し茫然となる憂ちゃん。

「で……でも…………」

数秒を置いて返ってきたそんな返事は、何処となく歯切れの悪い物だった。







38 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 20:57:26.44 ID:IOd+VqaJ0
「でも?」
「え、えっと……」

そこで再び俯く愛しの後輩。やはり可愛いものだ。

「嫌いなら嫌いでいいじゃないか。憂ちゃんが嫌いならそれでいいんだよ。唯の事を考えてるのは分かるし、どうせその旦那さんを貶す事が唯まで貶す事になりそうで怖い……なんて考えてるんだろ?」
「あ……」

ど真ん中ストライクの図星だったようだ。ぐうの音も返ってこない。

「気にしすぎだよ憂ちゃん。真面目すぎるって」

努めて明るく言ったつもりだったが、憂ちゃんは首肯しなかった。それが憂ちゃんが憂ちゃんたる所以なのかもしれないけどな。

「……憂ちゃん、よく聞いて」

そう言ってもう一度顔を上げさせる。まだ少しだけ焦点が定まっていないような眼だ。まあ意識がはっきりしているのでじき治るだろう。

「憂ちゃんが式に出たくない理由は良く分かった。私は偉そうなことを言えるような立場じゃないし、憂ちゃんが本気で式に出たくないなら引き止めたりはしない」
「せ、せんぱ……!」

手で梓の言葉を断ち切る。まだ話は終わっていない。

「でも、唯の花嫁姿はもう今日しか見られないんだ。今日を逃せばもうその機会は一生やってこない。その唯の姿を見て一番喜んでいいのは旦那になる奴なんかじゃない。小さい頃からずっと一緒だった、血を分けた妹である憂ちゃん以外に居ないんだよ?」

更に続ける。







39 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 21:02:37.23 ID:IOd+VqaJ0
「旦那なんて嫌いでいいさ。唯の事だけ祝えばいいんだよ。ジレンマはあるかもしれないけど、今日この日だけは唯の事を見ててあげて欲しいんだ。面倒臭い事なんて全部後回しでいい。その愚痴なら私達が幾らでも聞く。出来る事なら協力もする。でも……」

そこで私は手を握った。少しでも説得力が出るように。

「今日唯を祝わないなら……きっと憂ちゃんは一生自分を責める。そうなったら辛いのは憂ちゃんじゃない。……唯なんだよ?」

ハッとした顔で様々な感情が混濁した表情を見せる憂ちゃん。そんな彼女の目を見つめ、私はゆっくり手を解いた。

「そうなったらもう唯とは今までみたいに接する事は絶対出来ない。……私も梓も、そんな事になって欲しくないんだ」

唯と憂ちゃんが不仲? 一体何処の昼ドラの一節だよ。そんなの想像しただけで目眩がする。……そりゃ大きな溜息だって出るってもんだ。


妙な空気が流れるリビング。私が最後に言葉を発してからは約十分程が経過しただろうか。それ以降は喉を鳴らす音も鼻を啜る音すらもしていない。
憂ちゃんは下を向いたまま。梓も眉を八の字に曲げてじっと私を見ているだけ。
まあ、どう考えたってここを何とか出来るのは私だけだ。そんな事は分かっている。この重苦しい空気を何とか晴れやかな方向へ……。それが今私に課せられた使命だ。

「憂ちゃん」

ここは……少し長くなるが、語るしかないか。説得力があればいいが、そこは日頃から鍛錬しているトーク力が物を言う。

……頼むぞ、私。

「憂ちゃんが東京に引っ越してもう半年以上経つよな。いろいろお世話になったし、したつもりもある」

頷く憂ちゃん。

「その上で聞きたいんだ。憂ちゃん、私の事どう思ってる?」
「えっ……?」







40 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 21:06:57.66 ID:IOd+VqaJ0
唐突な質問だ。答えられない方が当たり前だと思うが、ここは譲らない。

「答えて」

あ……、と下を向こうとする顔を押さえ、それを許さない。
一瞬目を逸らした憂ちゃんだったが数秒でそれを戻し、やがてくぐもった口調でボソッと言葉を紡ぎだした。

「澪さんは……優しくて……いい人だと……思います」

一瞬の空白。そして次の瞬間、私は梓と一緒に思い切り吹き出してしまった。

「何それ! 告白を断る中学生みたいだよ!」

確かに私も全く同じ事を思ってしまった。思ったより天然なのかもしれないな、この娘は。

「いい人か~、それは嬉しいな!」

頭にポンと掌を乗せ、グシグシと撫でと撫で回す。片目を閉じて眉を八の字にしている所を見ると少し痛かったのかも知れないな。だが止めない。

「じゃあ私も言うぞ」

手を止め、しっかりと目を見つめる。

「私は憂ちゃんの事、妹みたいに思ってる」

私がその言葉を放った瞬間、部屋の空気が止まった。何だか分からない表情をして目をパチクリさせる憂ちゃん。……そんなに意外な言葉だったのだろうか?。







41 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 21:13:24.14 ID:IOd+VqaJ0
「憂ちゃんの事、私はただの後輩だなんて全然思って無い。仕事のパートナーとしてもまた然りだ」

何だか苦笑いが出てしまう。だが赤面ものの言葉を発しているのは確かだ。仕方があるまい。

「私さ、高校卒業して東京に出て来てからはそれまでの友達と連絡取らなくなって、大学でも全然友達が出来なくて四年間ず~っと一人だったんだよ。それこそ社会人になるまで楽しかった事なんて殆ど無かった。大学関係では一つも無かったかな」

で、と頭から手を離す。

「普通に卒業して今の職場で働き出したんだけど……最初の研修が辛くってさ。営業に回される新人は通常研修の他に大声で挨拶の練習とか、営業トークの実践練習とか。私そういう体育会系のノリが本当に無理だったから毎日胃が痛くて……」

今こうして思い出すだけでも泣きそうだ。胃にポリープでもできなきゃいいけどな。

「で、研修が終わって今の課長の下に就いたんだ。色々教わったけど何一つ満足に出来無くてミスしまくってさ、もう本当に辞めたかった。キツいのがさ、課長が怒らないんだよ。全部笑って許すんだ。だから余計申し訳なくてまた胃薬胃薬……。本当に一生分飲んだ気がする」

外から入って来る冷気が勢いを増す。風が強いようだ。私は頭を掻き、続けた。

「それである日めっちゃくちゃなミスしてさ。もう残業どころじゃ無いレベル。しかもそれが私じゃ出来ない仕事でね、結局課長の土日丸ごと潰しちゃったんだ。あの時は流石に泣いたね。会社では絶対に泣かないようにしてたのに、ボロボロボロボロさ」

入り込んで来た風が髪を揺らす。何だかとても心地良い。

「でも、それでも怒らないんだよ。それどころか笑顔で「気にするな」だよ? おまけに「顔色が悪い!それを改善しないと仕事教えない!」なんて言われちゃってさ。もうがっくし」

床に置いてあったグレープフルーツジュースを一口啜る。……苦い。

「で、何がいけないかって考えたら、私その時自炊して無かったんだよね。毎日昼夜コンビニ弁当。忙しいから仕方ないって思ってたけど、よくよく考えればあれがいけなかったんだな」

美味しくなくて殆ど残して、全然食べて無かったから本当に倒れる寸前だったもんな。実は自分でも気付いていた。







42 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 21:17:34.75 ID:IOd+VqaJ0
「それで、毎日早起きして弁当作りを始めたんだ。会社帰りにスーパー寄って食材買って帰る感じ。大学の頃は自炊してたし、わりかし得意だったから苦にならなかったよ。早起きも得意だったしね」

ふぅ……と息を吐く。こんなに長い独白は初めてだ。

「で、自炊再開して一週間位経った日かな? いつも通りスーパーに寄ったら見慣れない店員が居たわけ。たまたまそのレジが空いてたからそこで精算しようとしたらさ、そいついきなり固まってレジ打ちしないんだよ。何だこいつ?って思って顔見たら……」

懐かしい話が小っ恥ずかしいのか、そっぽを向いているアホ猫を顎で指す。

「こいつだったんだ」

ニヤ~っとして顔を見ようとするが、赤い顔でそっぽを向いたままこちらを見ようとしない。……ま、いいか。

「もうびっくりしてさ~。閉店間際の店で大騒ぎだよ。梓のシフトが終わるまで待って、家で朝まで飲んだよな」
「ええ……まあ……」

頭を掻く梓。

「ふふ……。でも、朝方になって先に寝た梓の顔見てびっくりしたよ」

その事に触れるな! と視線で訴える梓。……だが断る。

「夜は全然気付かなかったけど、ビックリするぐらい真っ青だったんだ」

憂ちゃんがチラと梓を見る。まあここにいるのは血色良好な梓だ。放っておけば宙返りでも始めそうだが、あの時のこいつは本当にいつ死んでもおかしくないような顔をしていたからな。
……まあその分今こうしている事はいいことだ。間違い無く。

「起きるまで待って話を聞いたら一週間で五食しか食べて無かったんだとさ。ギター買う為に金溜めてて、家賃と携帯と光熱費払ったら残りが三万円。その内の二万五千を貯金に回してたんだってさ」

黙って頭を掻く梓。まるで子供みたいだ。







44 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 21:22:44.65 ID:IOd+VqaJ0
「それから殆ど私の家で過ごすようになったんだよな。毎日家で一緒にご飯食べて、お互いの仕事の話しながら酒飲んで寝て、起きたらこいつは帰宅、私は仕事、んでまた夜集まっての繰り返し。それが一年くらい続いたかな?」

そこで梓の顔を見る。高校時代から全然変わっていない顔。
だが、あの頃と今とでは見え方が全く違う。……何だか、似てるじゃないか。私達。

「そしたら私……いつの間にかこいつの事妹みたいだって思うようになってたんだ」

その言葉にピクンと梓が反応した。あれだけ意固地になってそっぽを向いていたのに、今はパッと目が合う。その目を見て私は微笑んでみた。梓も目を逸らさない。

「ず~っと寂しかったからさ、きっと誰かに甘えたかったんだよ。そこに現れたのがこいつだった」

そこでまたジュースを一啜り。……苦い。

「汚い家に住んで、ご飯も食べないでお金貯めて、ギター弾きながら倒れて、こんな奴になってるとは思わなかったけど……」

ふぅ……と息を一つ。

「……放っとけないんだ」

……あぁ恥ずかしい。今すぐ酒にでも逃げたい気分だ。だが、生憎まだ話は終わっていない。きっと真っ赤になっているであろう自分の顔を両手で「ペシ」と叩き、憂ちゃんの顔を見る。

「憂ちゃんだってそうだ。私の無理な頼みで東京に出てきてくれてさ、文句一つ言わないでいつも一生懸命働いてくれてる。仕事を離れてもいつも一緒に居てくれて……本当に嬉しいんだぞ?」

じっと目を見る。こういう時は視線を逸らさないのが決まりだ。

「私は憂ちゃんの事、本当の妹みたいに思ってる。どれだけ憂ちゃんが好きか語らせたら唯にだって負けないさ」

そこでもう一度掌を憂ちゃんの頭に乗せる。







45 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 21:27:48.27 ID:IOd+VqaJ0
「だから、これからは嫌な事があったらいつでも私に愚痴ってくれよ。それがどれだけ汚い言葉だってちゃんと聞いてあげる。絶対外に漏らさないし、私はいつでも憂ちゃんの味方だ」

頭に乗せた手をそっと後頭部に持って行き、逆の手を腰に回してそっと身体を抱き寄せる。

「私が東京のお姉ちゃんになるからさ、これからはもっと甘えてくれよ。唯とはちょっと違うかもしれないけど、唯には言えない事も聞いてあげられる。私が拠り所になってあげる。だから……甘えてくれよな」

チラ、と梓を見る。何か言いた気な素振りをしているので、首肯して促した。

「そうだよ憂。この前律先輩がお前らいいトリオだなって私達に言ったけどさ、アレ間違ってるよ」

そう言って梓は先程まで私の手が乗っていた場所にそっと小さな掌を乗せる。

「私達いつも一緒に居るし、もう三人姉妹みたいなもんじゃん! 仲なんて良くて当たり前なんだよ!」

ウリウリと手を撫でながら梓が続ける。

「次からは一緒にヤケ酒だからね! 理由も言わないで一人酒なんて許さないよ! ね、先輩?」
「当たり前だろ!」

差し出されたそのバトンをさっと受け取る。

「私達は三人姉妹! 澪と憂と梓で三人姉妹だ! 楽しい事も辛い事も全部三等分だぞ? いいな憂ちゃん!」

私の腕の中で固まっていた身体が小さな嗚咽と共にプルプル震え始める。

早くも何かを三等分する時が来たようだ。







46 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 21:33:17.53 ID:IOd+VqaJ0
「よし! 泣いちゃえ憂ちゃん! 今日まで我慢した分全部出せ!」
「出し惜しみはダメだよ憂! まだ酔いが完全に醒めてるわけじゃないんだから少しでも水分出しちゃえ!」

そう言って徐に涙を煽る私と梓。

「澪さん……梓ちゃん…………」

そして促されるままそれに応じる憂ちゃん。

「私…………私は……っ!」

やがて漏れ出す嗚咽。私と梓に縋って涙を流すその姿は、私達が初めて見た憂ちゃんの弱い部分だったのかもしれない。

「よしよし」

これからはきっとこんな顔を沢山見せてくれるだろう。私は彼女の姉として、それをちゃんと受け止めたいと思う。

……ああそうだ。

「……唯の事、私達と一緒に祝ってくれるか?」

その言葉からほんの数秒程の間を置き、憂ちゃんは首を二回縦に振った。

「よし、約束だぞ?」

その言葉にまたしてもコクンコクンと二回振られる首。それにつられて私も梓も頷く。グシグシと頭を撫で、当分泣き止みそうにない次女を私達は笑って抱き続けた。

三人姉妹は仲がいい。今日からずっと、仲良しなのさ。






47 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 21:38:21.08 ID:IOd+VqaJ0
「はぁ~…………」

気持ちいい。脳まで溶けそうな気分だ。

「ふぅ~…………」

恐らく彼女も同じ事を思っているのだろう。顔が弛緩しきっている。

「メエエエエエエェェ」
「おいコラ」

この一連の流れを見事に草食動物の鳴き真似で立ち切ってくれたアホ猫。いや、バカ山羊か。これがツッコまずにいられるものか。

「今のはどう考えてもほぉ~……って言わなきゃいけない場面だろうが?」
「だって……三番目に振られたらボケないと……」

割と本気で言っているらしい。いつの間にこんな芸人気質になったんだこいつは……。


現在時刻は朝六時半。
先のアルコールをぶっ飛ばせ大作戦で汗びちょびちょになった私達は梓の提案で近所のスーパー銭湯に来ていた。
石鹸から着替えまで全部揃っているから手ぶらで気軽に行けるという事だったのだが、その予想右斜め上を行く施設の充実度にはまあ驚かされた。
清潔感漂うフロア、ずらっと並んだマッサージチェア、バリエーションに富んだ売店の品揃え、家族連れをターゲットとしたであろう個室の休憩所。
下町アニメなんかに出て来る巨大煙突の伸びた銭湯を想像していただけに、頭の中で流れていたかぐや姫の神田川が一瞬で止んでしまったのは言うまでも無い。

で、今は着替えやタオルを買って早速摂氏四十三度の大風呂に浸かっている訳だ。
開店直後という事もあり、なんと三人同時に一番風呂をゲット出来てしまった。……何だかまったり幸せだ。






50 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 21:44:53.92 ID:IOd+VqaJ0
「それにしても……何だか呑気ですよね~……」

ん? 何がだ?

「知り合いの結婚式の朝にボーっと湯船に浸かって、呑気にビバノンノンやってるんですから」

そう言う事か。……まあ

「いいじゃないか。最後のアルコール抜き作業だよ。お前が発案した中では最上級クラスの良案だ。褒めて遣わす」
「それはそれは身に余る光栄でございます。ところで殿」
「む、何じゃ?」

本音を言うと姫がいいんだが……まあ似合わないか。

「ベタな質問ですけど、風呂上り何飲みます?」
「ん~……生中?」
「コラ」

梓からの至極真っ当なツッコミを受け、秋山流迎え酒案は恙無く廃案となった

「酒は論外として、そこはコーヒー牛乳でしょうが。銭湯で飲む瓶のコーヒー牛乳程美味しい物なんかありませんよ」

何やらこだわりをお持ちの様だ。

「コーヒーはブラックって決めてるんだ。知ってるだろ」
「うわ……カッコつけですか? 憂はコーヒー牛乳飲むよね?」
「私はスポーツドリンクがいいかな……。湯船に浸かってる時って意外と汗か」
「ドアホー!!」
「わああああああああぁ!」







52 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 21:49:21.15 ID:IOd+VqaJ0
突如頭を掴まれて湯船に突っ込まれた私と憂ちゃん。
いきなりだったのでお湯が少し気管に入ってしまった。水中から何とか帰還して激しく噎せた後、猛烈な口調でアホ猫に抗議を入れる。

「何すんだこのロリ体型!」

首でも絞めてやりたいところだったが、いかんせん咳が全く止まらない。憂ちゃんが背中を撫でてくれるのは嬉しいがな。

「もう! 二人とも日本の心が全っ然分かってないです! 日本人なら銭湯の湯上りはコーヒー牛乳オンリーでしょうが!」

そう言い放ち、プク~と頬を膨れさせてプイッと反対を向いてしまう梓。視線の先の富士山に何を想うか? ……まあどうでもいい。

「それにしても……気持ちいいですね……」

そう微笑んで伸びをする憂ちゃん。
自身が人生で一番と揶揄した号泣の後なだけあって、目は真っ赤に腫れ上がっている。もう水分が入り込む余地も無い程汗でびしょびしょだった私のシャツを更に濡らしただけの事はあるな。

「ああ……最高だな」

湯けむりに包まれた女風呂内を見渡す。大風呂、水風呂にジャングル風呂、電気風呂に打たせ湯もある。こんな洒落た物が近場に出来ていたなんて知らなかったな。
少なくとも私がこの街に居た時にはまだ建物すら無かったはずだ。変わり映えがしないと思っていたが、実は小さな所は日々変わっているのかもしれない。







53 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 22:01:04.58 ID:IOd+VqaJ0

「……い~い湯だな」

人がちょっと物思いに耽っていればいきなりアホ猫が後ろを向いたまま歌いだした。何だ? 合の手でも入れて欲しいのか?

「アハハン」
「い~い湯だな」
「アハハン」
「ロケッ~トお~っぱ~い 持て余すわ~たし♪」
「ブホッ!?」

まさかのクリティカル。私と憂ちゃんのHPは一気に黄色へと変色し、酸素不足のステータス異常まで喰らってしまった
ああ……出ない……。 息が苦しくてツッコミが出せない……!
言いたい……。中野印のまな板女!と叫んで水風呂の中へ沈めたい……! ああ……もう……。


「んぐ……んぐ……んぐっ…………」
「…………」
「プハ~! もう最高っ!」
「……おい」
「あ、梓ちゃん……」

さすがに憂ちゃんもこれにはツッコミを入れたそうだったが、アホ猫がそれを察する様子は無い。

「天下一品! 甘さが絶妙! 変わらぬこの味! かわいいは正義!」

突然栄養ドリンクのCMの半ば辺りで入るようなナレーションの口調で叫びだす梓。







55 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 22:06:32.13 ID:IOd+VqaJ0
「身長急伸! 体質改善! タウリン配合! 西表山猫っ!」

それが……と揚々右手の瓶を掲げるアホ猫。

「風呂上りの友! イチゴ牛乳ううううううぅ!!!」
ガツン!!
「に゛ゃっ!!?」

拳一発 to 後頭部。

「コーヒー牛乳はどうしたあああああ!!」

あれだけコーヒー牛乳の魅力を私達に吹き込んでおいたにも拘らず、何の躊躇いも無くイチゴ牛乳を買ってきて一気飲みを披露した梓。
おかげで何度も湯船に顔を突っ込まれながら『現代コーヒー牛乳学』なる長時間講義を受講させられた事への怒りが沸々と沸き上がってきて一気に爆発した。

「だって美味しそうだったんですもん!」

さも当然かの様に言うアホ猫。だがそうは問屋が卸さない。

「意志が弱すぎるだろ! そこは嘘でもコーヒーを牛乳買ってこいよ!」

更に続ける。

「おまけに何ださっきのキャッチフレーズは! 身長伸びたり苺違いだったり!」
「誇大広告はしてません!」
「じゃあそのピンクは山猫の血か!」
「違います! ヘモグロビンです!」
「血だろうが! それ血だろうがこのタコ!!」







56 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 22:12:29.71 ID:IOd+VqaJ0
そこで梓は犬歯を剥いて

「キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード!」
「あずさヴァンプじゃねえええええ!!」

急に真顔で

「怒鳴ってる秋山澪、蕩れ」
「次世代担ってんじゃねええええええぇぇ!!」
「み、澪さん……」

舌戦まがいの応酬合戦を繰り広げていた私と梓に、人差し指を鼻の前で立てる憂ちゃんが介入した。
その幼子を叱るようなジェスチャーでふと我に返り、喧しい二つの声がフロア全体に響き渡っていたと気付く。
これはやってしまった……と思わず口を塞いだが、どうやらこの施設内には、まだ私達以外の利用客が一人も入場していなかったらしく、暇そうな従業員が遠巻きに見えるだけだった。

「公共の場で大声上げちゃいけませんよ?」
「お前の……!」

反射的にツッコミを入れようとする手と口をぐっと抑え、アホ猫をキッと睨む。奴はそんな私の行動を見てニヤリと笑い、瓶を持つのと反対側の手でポケットをまさぐった。

「ほら、いいからマッサージ受けましょうよ」

そう言って手近なマッサージチェアに銀色の硬貨を放り込む梓。イチゴ牛乳のお釣りだろう。
アホ猫から三百円分の働きを要求され、すぐさまそれに応える従順なパートタイムチェアー。梓は子供の様にぴょんとそれに飛び乗って肩腰背中あたりを鉄の指で刺激させだした。

「ほにいいいぃぃ…………。 キ モ チ イ イ デ ス ヨオオオオオォォオオオオォォォォ」
「何で宇宙人なんだよ……」
「梓ちゃん……目が恐いよ……」
「ウイモ ナカマ、トモダチ」






58 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 22:17:38.74 ID:IOd+VqaJ0
そう言って人差し指を憂ちゃんに伸ばすアホ猫。それにたじろぎつつも律儀に応じようとする憂ちゃんを制し、肩を掴んでくるっと逆を向かせる。

「憂ちゃん、あいつに触ると自転車で空を飛んだり厄介な戦争に巻き込まれたりする事になるぞ。私達はあっちの畳ゾーンでお互いマッサージでもしよう」
「えっ? で、でも梓ちゃんが……」
「三人で行ってもどっちみち一人余るし、丁度いいだろ」

そう言ってさっさと歩きだす私達。だが当然梓も黙っていない。

「あ、あれ!? 私を置いて何処に行くつもりですか!? 宇宙戦争が起こりますよ!」

委ねたばかりのマッサージチェアから必死に身を起こそうとする数十分の雇い主。だが断る。

「後で起こしに来るからゆっくり寝てろ。今は平気でも後々身体が保たないぞ」

こいつの寝つきの良さは異常だ。あと五分もすれば夢の中で私の足でもぺろぺろ舐めていることだろう。

「私が痴漢に襲われたらどうするんですか~!」

そんな言葉聞くまでも無い。

「その痴漢にホテル代を渡すまでだ」

直後に返ってくる怨念めいた罵詈雑言を鮮やかにスルーし、私は憂ちゃんと共に畳ゾーンへと向かった。
安心しろ梓。この前ネットでモテ期診断したらもう三回全部終わってたじゃないか。
お前に手を出す物好きなんてこの地球上に居るかどうかも怪しいんだぞ? ゆっくり寝てろ。







59 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 22:23:04.13 ID:IOd+VqaJ0
「上手ですねぇ~……。練習でもしたんですか?」

マッサージ開始から五分。既にとろんとした目と口調になってきている憂ちゃんが発した言葉がそれだ。

「高校時代よく律にやらされたんだよ。ドラムは全身運動で疲れるから労われ~!ってな」
「なるほど……。じゃあ律さんも澪さんにマッサージしたり……?」
「いや、させなかったよ」

即答だ。

「あれ? そうなんですか?」
「ああ……、だって……」

程良くくびれたウエストに当てていた手を外し、時折アホ猫にしているようなセクシャルハラスメントを遂行する。

「こういう事をされたから……さ!」

その言葉と共にバストに伸びる十本の指。ムニュ、と指を押し返す程良い弾力が心地いい。

「ほわっ!?」

そういえば下着も汗で濡れていたから三人ともブラは着けて無かったんだよな。すっかり忘れていた。

「みみみみ澪さん!!? な、何してるんですかああああああああああぁ!」

必死に暴れて手を払い除けようとする華奢な身体の上に覆い被さり、身動きを取れなくした上で耳たぶに唇を近付ける。

「やっぱり梓とは違うな。揉みごたえが違うよ」






61 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 22:28:26.30 ID:IOd+VqaJ0
ビクッ!と身体を震え上がらせてもぞもぞと体をくねらせる憂ちゃん。随分と艶めかしい動きをするじゃないか。
何だか百合の気持ちが分からなくもない気分になって来た。

「ま、あいつのは揉む程ないけどな」

そう言ってその豊満な胸から手を離し、再びマッサージガールとしての役割に従事する。

「う……うぅ……」

私の突然の奇行に少し怯えた目をした憂ちゃんだったが、私がこれ以上セクハラを続ける気がないと無いと悟ったのか黙って私の親指に身を委ねてきた。

「じゃあ次はシャツの下から直にやろうか? 脱いで」
「ほわっ!?」

再び飛び上がって身を捩ろうとする肩を笑って叩き、色の白い右腕を取って優しく揉み始めた。
疲れで固まった身体を労わるように、少しでもそこから力が抜けるように、気持ちも少しは解れるように。そんな想いを少しだけ先行させ、ゆっくりと指圧を施して行く秋山流マッサージ。

「寝たくなったら寝ていいからな。九時前までには必ず起こす」

普段ならきっと「いえ……」と返ってくるであろう返事も、徹夜明け&風呂上り直後のマッサージの状態ではフィルターが掛かったらしく「はぃ……」と小さい呟きが畳に吸い込まれていっただけだった。
おやすみ、憂ちゃん。


マッサージ開始から約四十分。淡い緑の畳の上には、ものの見事にぐったりとした憂ちゃんが寝転がっていた。
私はかつてドラマー専属のマッサージ師だったので肩腕腰足を重点的に指圧するのが癖になっていたのだが、どうやらそれが当たりだったらしい。
デスクワークとキーボードタイプを生業の術とする私達OLにとって、その四個所はまさに秘孔も同然。仕事帰りに肩に掛けるバッグの苦痛な事と言ったらないのだ。
そこを慣れた手つきで揉み解してやると、憂ちゃんはまるで電池を抜かれたおもちゃの様にカクンと呼吸以外の動作を停止させたのだった。







62 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 22:33:43.92 ID:IOd+VqaJ0
「額に肉って書いときましょうか?」
「そんなことしたらお前の指を全部折る」

プクーと歩を膨らませるアホ猫。結局マッサージチェアでは寝られなかったらしく、二本目のイチゴ牛乳を片手に携えて今しがた畳ゾーンに参上したばかりだ。

そんなこいつが作る、極上物のふくれっ面。……可愛い。

「最近憂にばっかり優しすぎやしませんか? 私がツアーに行ってる時もあんまり電話くれなかったし」
「おーおー、妬いてんのか?」

膨れた頬を人差し指で押しながら問う。ぷにゅぷにゅとして気持ちいい。猫の肉球より断然気持ちいい。

「そんな事ありません!」

プイッと横を向いてそのまま憂ちゃんの隣に寝転がる梓。仮にこの三人が本当の姉妹なら間違い無くこいつが三女だな。体格的にも性格的にも。
周りに人が居ないと自堕落になる長女、しっかり者の次女、着の身着のまま我儘三女。何だか纏まりの無い三人だが、こうして見るとなかなか面白いじゃないか。

「おい梓、私にもイチゴ牛乳少しくれよ」
「嫌です! 欲しけりゃ自分で買って来て下さい!」

そう言って残り三分の一程が入った瓶を私から遠ざける梓。

「くれよ~」

私が少し近付けばそれに合わせて身体と瓶を遠ざけて逃げる。







63 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 22:38:51.19 ID:IOd+VqaJ0
「い~じゃんか~。減るもんでもないし」
「飲んでも減らない液体がありますか! 本当に国立出てるんですか!」
「ああ出てるとも。お前の隣のお嬢ちゃんは私よりレベルの高い国立を首席卒業だぞ~」
「憂はいいんです! 問題なのは先輩のおめでたい脳です!」

おっと、なかなか言うじゃないか。

「私にそんな事言っていいのかな梓ちゃ~ん?」
「な、何ですかその猫撫でご……に゛ゃっ!?」

身体を起こす暇を与えずにその小さな体に覆い被さり、仰向けになった梓の両手首を片手で掴んで自由を奪う。

「では、いただきます」

そう言って、もう中身が残り少なくなった瓶を取り上げ、梓に見せつける様わざとゆ~っくり口の前へと持って行く。

「ど、泥棒!」
「そうです私は泥棒です。だからこの瓶の中身も盗んでみせましょう」
「飲んじゃダメです~! 私のイチゴ牛乳~!」

足をバタつかせて必死に抵抗する梓。だが、そんな小さく軟弱な体で私に抗おうなどとは片腹痛い。
日頃の不摂生と運動不足が祟って若干ウエイトオーバー気味な私の身体を跳ね退けようなどとは考えるだけ無駄なのだ。

「じゃあ澪おねぇたん大ちゅき~!って感情たっぷり込めて言ったら返してやるぞ」
「なっ……! 何ですかそれ! 気持ち悪いです! キモいじゃ無くて気持ち悪いです!」
「じゃ、いただきま~す」
「ああ! わ、分かりました! 言います! 言えばいいんでしょ!?」







65 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 22:44:00.82 ID:IOd+VqaJ0
遂に観念したかアホ猫め。最初から素直に従っていればいいんだ。

「萌え萌え~な感じで頼むぞ」

一瞬あからさまに軽蔑の眼差しを向けてきたアホ猫ではあったが、この状況の悪さに屈したのか小さく首肯した。

「はいじゃあ三、二、一、キュー!」
「えりぃ~、小浜島はいいところさぁ~」
ガツン!!
「に゛ゃっ!!」

頭突き一発 to 額。

「誰がちゅらさんのおばあちゃんのモノマネやれって言ったんだよ! お前はいっつもネタのチョイスが微妙すぎだ!」
「これしか浮かばなかったんだから仕方ないじゃないですか! それに澪おねぇたんって何ですか澪おねぇたんって! 鏡の前で一人でやってて下さい!」
「そんな変態が何処に居るってんだ!」
「先輩は十分変態です!」
「な、なんだと~!!」

やんややんやと繰り広げられる何て事の無い応酬劇。それが終わった後、結局私達は畳の上に川の字を作って仲良く眠り耽っていたそうだ。
携帯のアラームに気付いた従業員のお姉さんが私達を揺すって起こしてくれたのが九時前十分。
寝起き最悪の私を丁寧に起こしてくれたお姉さんに回らない頭をフル回転させて礼を言い、隣で寝ている可愛い可愛い憂ちゃんを優しく起した。

それから続けてアホ猫を起こそうとしたのだが、こいつがまた頬を叩いても胸を揉んでもまるで起きやしない。
見かねた憂ちゃんが優しく身体を揺すったり耳元でアラームを鳴らしてみてもまるで駄目。
それどころかこのアホ猫は寝言で「おっぱい星人澪たん!」という何ともふざけた夢の中に居る事を自己申告しやがった。

結果、その言葉でトランスモードに入った私ことおっぱい星人澪たんが奴の鼻の中にイチゴ牛乳を投入し、ヨガとブレイクダンスを併せた様な奇妙なのた打ち回りを見せ起床したアホ猫の姿を二人して鑑賞する事と相成ったわけだ。
鼻から牛乳を地で行く何とも言えない姿に腹を抱えて爆笑し、それを受け人目も憚らず泣き出しそうになった梓を全力で慰めつつ、そこであまり時間が無い事に気付き、私達は後一回を惜しみつつ銭湯を後にする事にしたのだった。







67 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 22:49:03.80 ID:IOd+VqaJ0
梓と別れ、憂ちゃんと二人のタクシーの中。憂ちゃんはもう完全に酔いが醒めたようで、顔色も完全にいつも通りだった。
これから彼女は姉と婚約者の婚姻届提出に立ち合い、その足で結婚式の会場に入る事となっている。
赤い屋根のかわいいチャペルがある街一番のホテルが会場なのだが、よくもまあそんな立派な所を会場にしたものだ。人気で予約が取れないなんて噂を聞いた事があるし、ああいう所は本当に金が掛かるというのも知っている。

「そこを右で」

タクシーの運転手に指示を出す憂ちゃん。その顔を見る限りもう式に出るのを嫌がってはいないようだ。
よかった、本当に。……と、そんな事を思っていた時だった

「澪さん、澪さんには結婚願望ってありますか?」

思わず手に持ったコーヒーを零しそうになった。何なんだいきなりその質問は? ……まあ別にいいけど。

「ん~……今の所は無いかな。憂ちゃんは?」
「私も無いです」

実にさっぱりと応える憂ちゃん。

「何て言うか……興味が湧かないんです。今は仕事が楽しいし」

そう言えば昨夜ムギもそんな事を言っていたな。憂ちゃんは意外とエリート思考なのかもしれない。確かに私を置いてさっさと出世して行きそうな気がするな。
まあ四月からは私が二階級分上の上司になるんだから、まだまだ抜かされそうにはないが。

「正直、澪さんもあんまり結婚に興味とかないんだろうなって思ってました」

ほう? 何でだろうな。

「あんまりそういう話はした事が無かったけど、どんなにいい男の人がアプローチして来ても澪さん全々相手にもしてませんでしたし。恋愛も面倒くさがってるのかなって」







68 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 23:01:08.79 ID:IOd+VqaJ0
…………。

「はい?」

飲もうとしたコーヒーを元の位置に戻して問い直す。

「わ、私にアプローチ?! だ、誰が……?」

その言葉に目を見開く憂ちゃん。何か地雷でも踏んだか?

「うちの会社の人達ですよ? 澪さん散々食事に誘われたり飲みに呼ばれたりしてたじゃないですか!」

…………。

「……ええっ!?」

う……嘘だろ?

「あ……あれ、アプローチだったのか!? そういう意味で誘ってたのか!?」

その言葉にポカーンと口を開いて呆然となる憂ちゃん。やがて、数回瞬きをし

「ま、まさか気付いてなかったんですか!? うちの会社、澪さんに相手にもされなかったってヘコんでる人達で溢れてるんですよ!」
「えええええええええぇぇ!!?」

そんなの初耳もいい所だ。今度結婚する課長が陰でモテにモテているというのは知っていたが、私の噂なんて給湯室ですら聞いた事が無かったぞ?

「だから恋愛や結婚に興味なんて無いと思ってたのに……」







70 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 23:07:14.92 ID:IOd+VqaJ0
いや……確かに興味は無かったけど、それは私なんかを相手にする人が居ないと思ってたからで……。

「じゃあ……私、気付かない内にフッてた人達が居たって事か………?」

信じられないと言った目で私を見つつ、コクコク頷く憂ちゃん。

「ち……ちなみにその人数は……」

言い辛そうに顔を背け、何処となく申し訳なさそうな口調で憂ちゃんは答えた。

「私の知る限りでは……指の数じゃ足りません」
「じゅ、十!?」
「いえ……足も込みです」
「二十?!!」

何だ二十って? 成人か? 人が成るのか? ……いや、成っちゃいない。何も成就していないぞ?

「ほ、本当に一つも覚えが無いぞ? 何かの間違いじゃないのか?」

そう言う私に、一つ一つ細かく人物とアプローチ方法を伝えて来る憂ちゃん。それが何とまあ全部身に覚えのある話で、あんなのがアプローチだなんて思いもしなかったというのが本音だ。
しかもその中にはカッコいいなと思いつつ先日よその班の女性社員と職場結婚した男性社員まで居るじゃないか。
確かにレストランで食事をしないかと何回か誘われた事はあったが、堅苦しいのが嫌なので全て断っていたのだ。
……あれがアプローチ? 嘘だろ?

「男性が週末に食事に誘うなんて言ったら普通デートの申し込みですよ……」
「そ、そうなの……か?」
「そこからですか!?」






72 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 23:12:22.22 ID:IOd+VqaJ0
いや……確かに興味は無かったけど、それは私なんかを相手にする人が居ないと思ってたからで……。

「じゃあ……私、気付かない内にフッてた人達が居たって事か………?」

信じられないと言った目で私を見つつ、コクコク頷く憂ちゃん。

「ち……ちなみにその人数は……」

言い辛そうに顔を背け、何処となく申し訳なさそうな口調で憂ちゃんは答えた。

「私の知る限りでは……指の数じゃ足りません」
「じゅ、十!?」
「いえ……足も込みです」
「二十?!!」

何だ二十って? 成人か? 人が成るのか? ……いや、成っちゃいない。何も成就していないぞ?

「ほ、本当に一つも覚えが無いぞ? 何かの間違いじゃないのか?」

そう言う私に、一つ一つ細かく人物とアプローチ方法を伝えて来る憂ちゃん。それが何とまあ全部身に覚えのある話で、あんなのがアプローチだなんて思いもしなかったというのが本音だ。
しかもその中にはカッコいいなと思いつつ先日よその班の女性社員と職場結婚した男性社員まで居るじゃないか。
確かにレストランで食事をしないかと何回か誘われた事はあったが、堅苦しいのが嫌なので全て断っていたのだ。
……あれがアプローチ? 嘘だろ?

「男性が週末に食事に誘うなんて言ったら普通デートの申し込みですよ……」
「そ、そうなの……か?」
「そこからですか!?」







73 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 23:24:01.87 ID:IOd+VqaJ0
ダメだ……。あの憂ちゃんが頭を抱えてしまった。恐らくだが私は余程重症なのだろう。おまけに自覚症状まで無いときたもんだ。
……私、ひょっとしたら本当にヤバいんじゃないのか?

「澪さん……よかったら今度お祓い行きますか?」
ベシッ!
「あぅ!」

張り手一発 to 額。

反射的にとはいえ初めて憂ちゃんにツッコミを入れてしまった。梓より音が響かないのはきっと中身がぎっしり詰まっているからなのだろう。

「だ、だってもう悪霊が憑いてるとしか……!」
ベシッ!
「あぅぅ!」
2combos!
「で、でもこのままじゃ負けぐ」
ベシッ!
「あぅぅぅ!」
3combos!

……非常に悲しくなってきた。どうしよう……泣きそうだ。

「憂ちゃん……この話は今後封印な?」
「で、でも……」
「封印な?」

私から邪な何かを感じたのか、憂ちゃんは慌てて首を四回振った。







74 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 23:29:14.18 ID:IOd+VqaJ0
「あ……こ、ここです!」

必死にそう叫ぶ憂ちゃん。何事かと思って窓の外に目をやれば、私達の乗ったタクシーはもう平沢宅の前まで来ていたのだった。
慌てて鞄から財布を取り出そうとする憂ちゃんを制し、さっさと降りる様促す。後輩にタクシー代を出させる程私は小さな人間では無い。……本当だぞ?

「ありがとうございます。じゃあ……また後で!」

タクシーから降り、去り際にそう残して家に飛び込んで行った憂ちゃん。今日は何かと大変な一日になるだろう。頑張って欲しいものだ。
……でもよかった。一時はどうなる事かと思ったが、これで親族席に穴が空く様な事は無さそうだ。「また後で」という言葉に決して偽りは無いだろう。
良かったな、唯。

「お姉さんお姉さん」

ん?

「お姉さんみたいなべっぴんさんがモテない訳無いでしょうが。どう? うちの息子の嫁に来ない? 一応東京で国家公務員やってんだけどさ」

どうやらがっつりと話を聞いていたようだ。運転手が軽くジョークを飛ばしてくる。

「最近は不景気で結婚資金も溜まらない人が多いっていうからねぇ。うちの息子は仕事仕事で金はあるけど嫁さんもらいそこねたってんだよ。息子の老後が安定してるってのはいいけど、私も女房も孫の顔が見たくてねぇ……」

そう言い、赤信号でブレーキを踏む運転手さん。その口調には何処となく哀愁が漂っている。

「いいもんだよ、結婚ってのはさ。姉さんも今は仕事をしたらいい。でも、結婚したくなったら結婚したらいいさ。私は結婚してよかったって思ってるよ。最近は女房と飲む時間が一番楽しいんだ。後は孫が居ればもっと嬉しいね」

そこで運転手さんは振り返り

「どう? 息子の嫁に来るかい?」







75 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 23:34:38.75 ID:IOd+VqaJ0
そう言ってまたフロントガラスの方へと向き直った。依然信号は赤、車内に響くのは大きな大きな笑い声。

「まあ、考えときますね」
「おう、よろしくぅ!」

そう言ってギアを入れる運転手さん。何だかとても楽しそうだ。

現在時刻は九時十五分。帰って洗濯でもして、時間になるまでゆっくりするか。
まだ少しある式までの時間。始まりの鐘がこの街に響き渡るまで昨夜話題に上がった高校時代のアルバムでも見ておくとしよう。
まだ壮大な夢を描きながら生きていたあの頃の私達が収まった、皮の表紙のアルバムを。







76 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 23:39:54.45 ID:IOd+VqaJ0
おいおい……と思いつつ、私は溜息混じりにここまで送ってくれた父親の車を降りた。
手を振ってその白のセダンを見送り、足早に集団の元へと駆け寄る。

「また私が最後か。社長出勤で悪いね」
「遅い! 罰金!!」
ガツン!!
「に゛ゃっ!!」

手刀一発 to 脊椎。

「まだ時間にもなってないだろうが!これで罰金になるなら断固抗議する!」
「団長命令に背く奴は罰金五割ま」
ガツン!!
「に゛ゃあああ!!」

拳一発 to 前頭葉。

「生憎私は偉そうに振る舞う奴が嫌いでね。罰金なんて言葉聞いただけで胸くそ悪い」
「そんな汚い言葉使ってると婚期が遅れま」
ドゴッ!!
「かはぁ……っ!」

蛇拳一発 to 鳩尾。悪の陰謀は潰え去った。

「い……いつもは婚期なんて気にしてないのに……」
「梓ちゃん、さすがにタイミングが悪いわよ」
「そうだぞ。澪はデリケートなんだから」







77 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 23:45:01.69 ID:IOd+VqaJ0
そう言って梓を抱き止めるのは昨夜酒の席を共にしたムギ律コンビだ。
元々美人無二人がそれはそれは素敵なドレスをお召しになっていやがる。絵になるな。本当に。

ムギは見たまんまの女若社長スタイル。どんなジャンルのパーティーにでも今すぐ出席できそうだ。
身に着けている宝石の数々は自身が掲げるブランドの品だろう。首から下げた青のネックレスが一際輝いている。

そして律はムギとは趣の違う、まさしく若い人向け用といったシックなドレスを身に纏っていた。
ベースの色が黒なのでラインが締まって見え、スタイルのいいこいつにはぴったりな召し物だと思う。髪も美容室でセットしてもらったのだろう。仲間内という贔屓目抜きにしても見ても本当に可愛い。

「みんな似合ってるな~。本当に綺麗だ」
「そうかしら? でも澪ちゃんが言うなら間違いないわね。嬉しいわ」
「私のはレンタルなんだけどな。しかもワンサイズ下のヤツ。入ったのが奇跡だよ」
「ま、なんだかん」
「ただし梓、テメーはダメだ!!」
「えええええぇぇ!?」

まさかのダメ出しにたじろぐ梓。勿論冗談なのだが、その眼にはジワーッと涙のような物が浮かんで来る。

「い……一生懸命選んだのに……」

その姿を見てすかさず入るツッコミ。

「お……おいおい、真に受けるなよ梓」
「そうよ梓ちゃん。澪ちゃんが梓ちゃんの事そんな風に思う訳無いじゃない」

まあそうなのだが、普通に褒めるとつけ上がるので敢えて褒めないようにしているのだ。もちろん梓もそれを分かってやっている。だから正直先の二人のツッコミは要らなかった。いわば蛇足だ。
私と梓の間にある『言わずともがな』の専用シックスセンス。そこに入って来れる者など居ないし要らない。実際今だって舌を出してウインクしてくるアホ猫を見て私が思っている事を梓はちゃんと理解しているだろう。
私がこの中で一番可愛いと思っているのは、他ならぬ梓だという事をだ。







79 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 23:50:12.32 ID:IOd+VqaJ0
「そういえば和と先生は?」

和は同級生で、当時の生徒会長だった優等生だ。本日の主役、唯の幼馴染でもある。
そして先生とは我らが軽音部の顧問にして私の三年時の担任、山中先生の事だ。
私は下の名前でさわ子先生と呼んでいるが、律や唯は愛を込めてさわちゃんと呼んでいる。肝心の上の名前が変わる予定は……まだ無い。

「和は唯の所。さわちゃんは化粧中だよ。バッチリ決まってたけどまだまだ塗り直すんだってさ」

それを聞いて梓が呟く。

「まあ結婚式は出会いの場でもありますしね。幸せそうな新郎新婦の姿を見て「次は自分の番だ!」なんて思う人間も多いみたいです」
「じゃあさわちゃん……それを狙ってるのか?」
「恐らくは……。さっきの化粧も本気と書いてマジモードでしたし……」
「ああ……確かに……」
「ブーケが血で濡れなきゃいいですけど……」

本当にそうなりそうで怖いな……なんて思わせる先生はある意味本気で凄いと思う。決して尊敬できる事では無いのが残念だが。

「ま、それはさておき……受付に行くか」
「そうだな。……あ」

全員が歩き出そうとした瞬間、私はある事を思い出してそれを制した。結構重要な問題なんだよな……。

「みんな……ちょっと寄って」

頭の上にクエッションマ-クを浮かべつつも、全員がそれに従ってくれる。そして四つの頭が寄った所で私はその何とも小っ恥ずかしい質問を小声で飛ばした。

「ご祝儀……いくら包んだ?」







80 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/13(火) 23:55:29.33 ID:IOd+VqaJ0
全員が目をパチクリさせて私を見ている。まあそれもそうだ。こんな質問、式の直前にするべきではないのは重々承知。
だが……正直私はこういう場に参加するのが初めてで、右も左も分からないのだ。自分だけ素っ頓狂な額のご祝儀を包むというのは後々良くないだろうし、そうなっては流石に今後唯と顔を合わせ辛くなる。
なので私はまだ祝儀袋の糊づけをしていなかったのだ。一応下調べはしてきたが、みんなの意見を聞いて最終決定をしようという何とも人任せな情けない魂胆を持つ私。
まあ、端折って言えば恥を掻くなら相手は身内の方がいいという事なのだ。赤の他人に笑われたりするより千倍マシ。それに、相手がこのメンバーなら尚更である

「一応五万用意したんだ。ネットで調べたら親友でも一万が相場って言うんだけど、私達って職業もバラバラで正直給料も同世代の平均よりは安くないだろ? まして親友の結婚なんだから五万くらい包むかな……と思って」

あくまでしようもない憶測だったのだが、それについて各自が各々の意見を答えてくれる。最初は梓だった。

「私、五万包みましたよ。正直澪先輩がその位包むだろうと思ってそうしました」

流石はアホ猫。私の思考を読む事に関して右に出る者はいないな。

「私も。前々から溜めてたヘソクリが十万あってさ、この際だからって五万包んで残りは飛行機代に当てたよ。みんなが五万くらい包むんじゃないかと思ってさ。ムギは?」
「同じ。唯ちゃんの旦那さん私のお店で婚約指輪と婚約指輪買ってくれたし、流石に一万とかじゃ気が引けたから……」

じゃあ……

「……五万で良かったんだよ……な?」

全員が頷き、私も思わず安堵の溜め息を漏らす。金の問題では無い。これはあくまで気持ちの問題なのだ。

「普通に考えたら多分五万はめちゃくちゃ多いですけど、先輩の言う通り私職業が職業ですからね……。ミュージシャンは夢を売る商売ですから見栄を張ってでも少なくは見積もれません」
「私ちょっとキツかったけどな。まあ身近に結婚しそうなのも居ないし、ちゃんと貯金もあるから大丈夫だ」
「同じく。貯金は大事よね」







81 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 00:01:29.42 ID:lbnm/+LS0
そう、貯金は大事。私も毎月給料の半分以上を貯金に回しているのでそれなりの額が口座内には溜まっているのだが、それでもムギと梓に比べれば月とスッポンほど違うだろう。
一新鋭企業のワンマン社長と、事務所の幹部一同から寵愛を受けて度々ボーナスを貰うスーパーミュージシャン。
後者に於いては音楽のみの年収が三年前の実に十五倍と言うから凄まじい出世具合だ。我ながら実に変な方向にコネクションを持っているものだと今更思う。

「よし、じゃあ全員ご祝儀の準備も出来た事だし、今度こそ行くか」
「そうね、行きましょう」

そう言って歩き出す一同。チャペルはこのホテル内の敷地内でも本館から少し離れた所にあるのだ。少し歩く事になるが、この寒空の下では多少身体を動かすくらいが心地いい。
それにしても……今日の予想最高気温は十度くらいだったか? だとしたらおかしいな。いくら薄曇りとはいえ、電光掲示板が三度を示しているというのは一体どういう事なのだろうか?
そう心の中で呟きながら白い息を飛ばしていた時、梓がスッと隣に身を寄せてきた。

「澪先輩、お酒は控えて下さいね。あんまり酔うとみっとも無いですから」

何だ? いきなり後輩に説教され始めたぞ?

「私が一度でもお前の前でべろんべろんになった事があったか?」
「無いからですよ」

……はい?

「あまり酔った事も無い上に始めての結婚式で場の空気に馴染めず、アルコールで気を紛らそうとして失敗&暴走……なんて事結構あるんですよ?」
「ほう、成程ね。有り難く受け取っておこうか。逆にお前が酔ったら私が瀬戸内海まで捨てに行くから安心しとけ」
「ひどっ! せっかくアドバイスしたのに!」
「タコとかも住んでるねん」
「激しくデジャヴ!」

それもそうだ。ものの数時間前にしたやりとりなのだからな。既視感が無ければ逆に記憶力を疑うレベルだ。
お互いまだ二十代半ば。女は……これからだ。







82 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 00:06:55.61 ID:lbnm/+LS0
「凄いですね……」

チャペルの荘厳かつ静謐高貴な内装に見蕩れる梓の隣。私はもう直前となった式の開始に何故か意味も無く緊張し、初めて渋谷のスクランブル交差点に来た地方出身者のような挙動不審の態度をとってしまっていた。
ドラマの中でしか見た事のない、男女が永遠を誓う為の洋風施設。その想像の右斜め上を行くあまりの迫力に呆気なく飲まれた迷える子羊……私。
ああ主よ……私は朧気ながら仏教徒だった気がしますが、そんな小さい事は気にせずにどうか救い給え清め給え……。

「……って先輩、さっきから何をブツブツ呟いてるんですか?」

平然と場の空気に馴染んでいる梓が羨ましくて堪らない。こいつ……流石に肝が座っているな。……いや、私がおかしいだけか。

「い、いやさ……思ってたより数段凄くって……」

何だか冷や汗が額に滲んでくる。化粧が崩れなければいいが……。

「ああ、まあ最初はそういう人も多いですから。気にせず楽しめばいいんですよ」

これまた平然と言い放つ梓。まあ結婚式位でここまで緊張する人間も珍しいのだろう。一見私の事を窘めてくれているように見えるが、実は若干小バカにしている感じがしないでもない。
まあ今の私にそれを分析する余裕などありはしないので別にどうでもいいのだが。

「あ、司会の人が出て来ましたよ」

ハッとして前方に目をやる。さっきまではマイクスタンドしか立っていなかった場所にピシッと礼服で決めた男性が立っていた。
何処と無く見覚えのある顔だな。うろ覚えだが……こちらの地方アナウンサーだったか?
その後ろには五名の同じ服装をした若い女性達。いわいる聖歌隊というやつだろう。 一人は手にしている楽譜の色が違うのでオルガンの奏者と見られる。

「へぇ……讃美歌でも歌うのかな?」

最後に厳かな正装に身を包んだ司祭。碧い目の見違う事無き外国人だ。外国の方は年齢より老けて見られる事が多いらしいが、この司祭さんの場合見た目は六十過ぎて見える。
こういういわいる聖職と呼ばれる仕事に従事されている方は今迄何人か見た事があるが、やはり一様に雰囲気が違って感じられるのは気のせいでは無いだろう。
すーっと吸い込まれてしまいそうな優しい目。あんな目を普通の人間が持つ事などありはしない。きっと積年の功と弛まぬ施得があの目を作るのだろう。……私には一生縁遠い物に感じるな。







84 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 00:12:02.23 ID:lbnm/+LS0
「始まるみたいですね」

梓のその言葉と共に聖歌隊と神父さんが所定の位置に歩を進めた。
ただそれだけで場の空気がキュッと締まる。何処となくこの場に介した一同の緊張感が一体となっていく感じだ。
数秒前まで耳に入って来ていた微弱なノイズのようなザワつきが完全に沈静化し、それを合図にマイクスタンドの前に立っていた男性が慇懃かつ軽やかな口調で式の開始を告げる。

至極常套的であろう滑り出しを経由し、丁重かつおこがましくない口調で連ねられる言葉達。
そこに気の利いた些細なジョークで笑いを一つ取り、最後に今日が特別な日になるようにと祈りの言葉で挨拶を結んで頭を下げた司会の男性に拍手が起こる。
それに再度一礼し朗らかな笑顔を見せた男性は、早速この式に於ける一連の流れとプログラムを手元の紙で確認しつつ、すらすらと伝え上げた。

羨ましい。いくら本職の為せる業とはいえ、あれだけの話術を体得出来るセンスを私も手にしてみたいものだ。
努力だけでは敵わないものが世の中には絶対にある。それに嫉妬するのが人間だ。
そんな私は彼のトーク力に一営業ウーマンとして多大な羨望を覚えた。……そう、嫉妬である。

『それでは大変長らくお待たせいたしました。後方扉より素敵なご新郎、ご新婦様の入場でございます。皆様、どうぞ拍手でお迎え下さい!』

その言葉を合図に場内にはオルガンの音が鳴り響いた。この音色は私のようななんちゃって仏教徒でもどこか神聖な気分にさせる。
そしてそのオルガンで奏でられたのはテレビで結婚に関する話題の時によくBGMとして使用される、百人に聞けば百人が知っている曲だった。曲名までは流石に分からないが、結婚行進曲でない事くらいは分かる。
何はともあれその曲のお陰で一気に盛り上がった場内の一同は、今か今かとその扉が開かれるのを待ち侘びた。
家族、親戚、友人、同僚、知り合い、その他。各方面から集った約二百名の人間全てが一様に手を叩く準備をしてその時を待つ。

その歓喜の瞬間の号砲を鳴らす役割を負っているであろう二名のスタッフがゆっくりと扉の前に歩み寄り、金の壮麗な取っ手に手を掛けた。
気品溢れる厳かなその所作に場内中の注目が集まり、私の胸もこの上なく高鳴る。場内にゆっくりと広がって行く祝福のムード。
そしてそれが最高潮に達したのは、オルガンの奏でる曲が二拍の休止を挟んで再度頭から鳴らされた時だ。

寸分のズレも無く白い扉が開かれる。







85 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 00:17:27.87 ID:lbnm/+LS0
その向こうに立っていたのは、きっとこの日を迎えられた意味を何よりも尊く感じているであろう一組の夫婦だった。
二人を優しく迎え入れる為の拍手が大音量で巻き起こる。もちろん私もそれに倣い、出来るだけ大きな音で両手を打ち鳴らす。
場内の温かい空気に安堵したのか本日の主役二名は互いの顔を見合わせて笑顔で頷き合い、再び前を向いて深々と一礼をした。オルガンをかき消す程のボリュームで鳴る拍手をBGMに、スタッフに促されてゆっくりと場内に入ってくる二人。
新婦をリードしながら歩を進める新郎。その新郎の腕にしっかりと手を回し、まるで縋るかのように歩を共にする新婦。
……さっきの笑顔は何処へやら。新婦の頬には早くも透明な粒が伝っていた。

「……綺麗」

茫然として目を奪われている梓の言う通りだ。今世界で一番綺麗な女性。それは、この平沢唯を置いて他に居ないだろう。……あ、名字が変わったからもう平沢じゃないのか。

……………………。

まあいいや。


拍手が止んだ場内。しゃくり上げる新婦が泣き止むのを待ち、司会はプログラムを進行させた。
讃美歌の斉唱、司祭による聖書の朗読祈祷。正直ここら辺は私だけでは無く会場中が置いてけぼりだった。まあこんな物なのだろうか。
洋式の結婚式なので本来ならここが最重要部分だというのは朧気ながらに分かったのだが、司祭の口から流れ出るありがたい英文を皆あからさまにスルーしている。
……いや、言葉が悪かったな。皆聞こうとはしているのだ。ただ、あまりに発音がネイティブな為に誰一人として聞き取れる物が居ないだけ。
あと、この後に来るプログラムの方がやはり楽しみで仕方が無いというのもあるだろう。

『では、結婚の誓いでございます』

司会の男性がこの誓いがどういうものなのかをさっと説明する。あくまで概要的な話なので私はいまいち理解出来ず、思わず首を傾げているところに梓が耳打ちをしてきた。

「健やかなる時も病める時も~ってヤツですよ。結構いい言葉ですよ」

背伸びまでして律儀な事だ。ありがたいね、まったく。







86 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 00:22:39.82 ID:lbnm/+LS0
「なるほどな」

そう言い梓の口から耳を離すと、タイミング良く司祭がそれを述べ始めた。咳払いをし、カタコトの日本語で新郎に問う。

「アナタハ、ユイヲツマトシ、トメルトキモマズシイトキモ、スコヤカナルトキモヤメルトキモ、シガフタリヲワカツマデ、ショウガイ、カノジョヲ、アイスコトヲ、チカイマスカ?」

その問いに首肯はせず、言葉のみで返す新郎。

「はい、誓います」

柔和な口調の中に感じられる確固たる信念。
新郎新婦はこちらに背を向けているので表情を伺い知る事は出来ないが、きっと今この瞬間が彼の人生で一番カッコいい時なのであろう。隣で赤くなっている唯を見ればすぐ分かる。
……まあ、少しは羨ましく感じないでもないな。

「アナタハ、マサオヲオットトシ、トメルトキモマズシイトキモ、スコヤカナルトキモヤメルトキモ、シガフタリヲワカツマデ、ショウガイ、カレヲ、アイスコトヲ、チカイマスカ?」

こちらはコクリと一回頷き、少し言葉を震わせながら答える。

「はい、誓います」

司祭はその言葉の後二人を交互に見て、この誓いによって契られたこの先の長い生涯を心から祝福するように微笑んだ。

「ユビワヲ」

その言葉を合図に運ばれてきた指輪の乗ったトレイを司祭が受け取り、まずは新郎が指輪を取るよう促される。新郎はトレイからシルバーのリングを取り、数歩先に居る唯に歩み寄ると少し微笑んでスッと左手を取った。







87 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 00:27:49.71 ID:lbnm/+LS0
「いいなぁ……」

隣から聞こえた小さな声。
そのあまりに可愛い梓のぼやきに思わず笑いそうになったのを堪え、私はその小さな手を覆うよう掌を重ねた。梓もそれを拒む事は無く、小さく息を吐いて前を見続ける。
そして梓が溜息のようなものを吐いたその瞬間、唯の左手薬指には大きな大きなシルバーのマリッジリングがはめられたのだった。
……唯の奴、また泣きそうな顔になってる。

「アナタノバンデス」

司祭にそう促され、頷きはするもののなかなか指輪に手を伸ばす事が出来ない唯。
それでも必死に涙を堪えながら司祭に歩み寄る姿は、何故かは分からないれけど私の目頭まで少し熱くさせた。

「ガンバッテ」

私の耳にまでは入らなかったが、口の動きで司祭がそう言ったのが分かる。
その顔には相変わらず祝福の微笑みが浮かんでいて、優しい優しい……孫を見るかのような目が唯を見据えていた。唯もその目に気付いたのか、司祭に向かってコクリと頷き、大きく息を吐いて徐に指輪へと手を伸ばした。
自身の左手薬指で光を放つリングと同型異大のそれを差し出されたトレイから受け取り、新郎の前に歩み寄って立ち止まり、そっと新郎の左手を取る。
そして一度だけチラと新郎の顔を見て再び目線を手に落とし、おずおずと慣れない手つきで指輪をはめた。新郎は新婦だけを、新婦は新郎だけをそれぞれ見つめ、今度は司祭に促されるでもなく新郎が薄いベールを脱がせる。

果たしてこの数秒がこれからの二人にとってどれだけ尊いものなのか。
そして、それを見届ける事が出来るのが一体どれだけ幸せな事なのか。
それは、言葉などではどれだけの量を用いたとしても決して語り尽くすことの出来ない、今この瞬間だけの特別な……本当に特別な出来事。

その距離が徐々に狭まって行く。きっと互いに同じ事を思い、同じ事を感じているのだろう。
そんな他の誰もが知りえない二人だけのを感情私が勝手に想像した時、

生涯を共にする誓いをしたばかりのその二人は

ゆっくり……ゆっくりキスをした。







89 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 00:33:07.04 ID:lbnm/+LS0
「なあ……ライスシャワーって何の為にするんだ?」

チャペルの外で新郎新婦にかけまくった大量の米が地面に散らばっているのを見つつ、そう問った私を梓は冷ややかな目で見た。

「先輩……こと結婚に関する話になると本当に無知になりますよね?」
「うっさい」

実に的確な指摘なのだが、認めてしまうのも何だか癪なので濁して答えを促す。知らないものは知らないんだ。

「あくまで受け売りなんですけど……欧米ではお米という物が豊潤な恵みと子孫繁栄の象徴とされているとかで、それを新郎新婦に投げることによって幸せを願うんだそうです」

ほぉ、なるほどなるほど。

「じゃあアレだな。お節のカズノコみたいな感覚でいいって事か」
「え゛え゛っ!?」

梓が凝然として私の顔を見る。何だ何だ? いい喩えじゃないか。

「せ、先輩……。何でそんなロマンの欠片も無い発想しかできないんですか? 私達うら若き乙女ですよ!」

物凄く悲しい目で私に蔑みの視線を送ってくる梓。そんな表情を向けられるような事をした覚えは無いのだが……。

「だってそうじゃないか。カズノコだって正月料理に入ってるのは子宝に恵まれるようにって意味を含んでるからだろ? だったらカズノコもライスシャワーも変わらないさ。あ、カズノコ食べたくなってきたな」

自信満々に考案したばかりの持論を展開しつつ、先月食べたばかりのお節に想いを馳せる私。
だがそんな私に向けられたのは、あからさまに侮蔑に塗れた悲しい視線だった。送り主はもちろん梓。それも速達だった。

「どうかしたのか二人とも? なんか固まってるけど」
「り、律先輩!」







90 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 00:38:21.12 ID:lbnm/+LS0
突如背後から現れたその人物に縋りつき、捲くし立てるように言葉を紡ぐ梓。

「あなたの幼馴染の価値観はどうなってるんですか! 式を終えたばかりのアツアツな二人に向かって鰊の卵を投げつけようとしてるんですよ! 犯罪です……、これはもう犯罪なんです!」

なん……だと……?

「そ、そんなこと言ってないだろ! ライスシャワーの子孫繁栄でカズノコ感覚の正月料理って言ってるだけじゃないか!」
「は、はぁ? お前達何言ってるんだ? とにかく落ち着けよ……」

これまたあからさまな困惑顔で私と梓を窘めに入る律。今日はまだ酔って無いぞ?

「だって澪先輩が!」
「梓が私の事を!」

はいはい……と仰々しく両手を広げてみせ、律は私と梓の首根っこを掴んで何やら人が集っている方へと歩き出した。

「わっ! な、何ですか!」
「は、離せ! 何処に連れてくんだよ!」
「いいから黙ってろアホ姉妹」」

そこで律は大きく白い溜息を一つ虚空へ吐き出した。
一応日光が降り注いでいるとはいえ、それは一度薄雲のフィルターを通してある為熱は完全に奪われている。なので今肌に触れているのは紫外線たっぷりの温かくも無い美肌殺人光線に他ならないのだ。
電光掲示板の表示は六度。今日は放射冷却感謝デーらしい。……まあ放射冷却に関しては名称と存在しか知らないので、先の表現が間違っていても苦情は一切受け付けない。……一切だ

「あっ! 澪ちゃ~ん! あずにゃ~ん! りっちゃんも~!」

そこで律は私達から手を離し、その声を飛ばしてきた階段上の人物へ手を振って去って行った。声を飛ばしてきたのは真っ赤に腫らした目をした花嫁。そう、今しがた式を終えたばかりの唯である。
その唯の手に握られているのは綺麗な花束。花嫁が放り、受け取った女性が次の幸せを得られるとされている幸運の素。そう、ブーケだ。







91 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 00:43:42.82 ID:lbnm/+LS0
「げっ……」

ブーケを何とか手中に収めようとするやや殺伐とした雰囲気の女性達の輪。そしてその輪に向かって無邪気に戦の火種を撒こうとしている狂気の花嫁。
形容しがたい修羅の香りに、私と梓は思わず竦み上がった。

「な……何やねんこの空気! みんな顔が東京もんみたいになっとるで!」
「地獄や……! わてら地獄に送り込まれてもうたんや……!」
「な、なんでや! わてらそないな悪どい事してへんで!」
「知らんわ! せやけど……せやけどここは……地獄や!」

この世にも恐ろしい危険地帯へと私と梓を赴かせた閻魔野郎律が遠くでムギと笑っているのが見える。こちらに向けて突き上げられる二つの拳。何だそれ?頑張れって事か?

「わ……私、ブーケなんて欲しくないぞ! 結婚なんてもうちょっと先でいい!」
「私もですよ! まだまだ気ままなミュージシャンライフをエンジョイしたいのに!」

だがその私達の懇願は天まで届く事は無く、蜘蛛の糸が垂れてくるなんて事はもっと無く、その代わりに唯がゆっくりこちらに背を向けたのだった。

「行っくよ~!!」

その言葉から約二秒後、一旦身体を前屈みに曲げて助走をつけた唯の手から鮮やかにも程がある純白のブーケが空高く放たれたのだった。
MLB選手の放つスリーポイントシュートの様に綺麗な放物線を描くそれが薄曇りの空に映える。意外と重みがあるのだろうか? 結構な距離を稼ぎつつブーケは人々の輪の頭上を……ってオイ!?

「ええええええぇぇ!?」

……来る。ブーケの描く放物線は、どう計算したって間違い無く私の顔から胴にかけてを予想着弾点としている。
マズい……。このままでは今年中にいい出会いでも用意されかねない。
合コン三昧か? そうなのか!? いやいや、私はもう少し独りでいたい! 週末の昼から酒を飲みつつネットサーフィンという天国プランが出来なくなるなんてまっぴらだ! ああまっぴらだ!!







92 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 00:49:27.25 ID:lbnm/+LS0
「あ、梓!」
「へ?」

ブーケをキャッチするのは自分で無いと高を括っていたのか、間抜けな返事をよこしたアホ猫。その顔と身体がこちらを向いた瞬間、丁度ブーケが私の目の前に飛来した。

「許せっ!」

そう言ってブーケが私の胸に当たろうとした瞬間、私は学生時代にベースのフィンガー奏法で培った指の力を用い、わざとキャッチし損ねたフリをして梓の方へとブーケを弾いた。
人並み外れたバネを持つその中指はブーケの胴体部分を見事に捉え、抜群のコントロールで軌道を修正させる。
そして誰もがその行方を目で追う中、シュート回転を加えられた純白の幸せの素は見事梓の腕の中へと着弾を果たしたのだった。

「……ん?」

そのまさに一瞬の出来事にアホ猫が呆けた瞬間だった。

「わ~っ! あずにゃんおめでとう! 次幸せになるのはあずにゃんだよ~!」

花嫁の大きなはしゃぎ声を皮切りに、一気に巻き起こる周囲の女性達からの拍手と歓声。
敗者となった彼女らからの鋭い羨望の眼差しを受け、梓はようやく自身が手にしているブーケへと目を落としたのだった。

「に゛ゃあああああああああああああ!?」

ブーケ、観衆、ブーケ、観衆、ブーケ、観衆、観衆、ブーケと目線を移行させる梓ではあったが、ようやく状況を理解したのか、先の叫び声の後すぐに私へと半泣きの目を向けてきたのだった。

「な……な……何て事を…………」

それに拍手で返す私。






95 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 01:00:28.87 ID:lbnm/+LS0
「ああ残念だー。取りたかったけどキャッチに失敗しちゃったよー。よかったなー梓ー。私の分まで幸せになれよー」

棒読みだが気にするな。棒読みだが気にするな。棒読みだが気にするな。

『ブーケをキャッチされた方、誠におめでとうございます! 御友人でいらっしゃいますか?』
『はい! 私の大事な後輩です! あずにゃ~ん! おめでと~!』
『皆様、見事近未来の幸せを獲得されましたあずにゃん様に今一度盛大な拍手をお送り下さいませ!』

マイク越しの拡張された割れ割れ声で後輩に祝福を叫ぶ唯。だが、その後輩は今にもブーケを地面に叩き付けそうな勢いで肩を震わせている。
客観的に見れば感動している風にも見えなくはないが、生憎私には梓の戦闘力が五十万を突破した事しか分からなかった。
まあ気円斬を撃たれたら律にでも受けさせようか。元々はあいつのせいだし。……あ、ついでだから唯とムギに「りっちゃんの事かー!!」と突っんでもらおうか。面白そうだし。

「やったな梓! これでお前にもいい恋が訪れるぞ~!」
「おめでとう梓ちゃん! 結婚指輪は私の店で!」
「結婚式の二次会は三十名様から貸し切り可能の歌舞伎町歩靄ビル三階、エレベーター降りてすぐの『RISE』で!」

よろしくぅ~!と声を合わせるムギ律コンビ。あ~あ……知らないぞ。気円斬撃たれても知らないぞ。







96 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 01:11:28.08 ID:lbnm/+LS0
「もう……これで生涯屈指の出会いが用意されでもしたらどうするんですか……」

ヘッド部分にMARTINと金のロゴが入ったアコースティックギターを膝に駆け、チューニングを施しながら梓は嘆いた。
ギターを志す者なら誰もが憧れるキングオブアコースティックギター(梓談)・七十四年製のMARTIN D‐45だ。
懇意にしてもらっているプロデューサーから売ってもらったということなのだが、ピックガードが擦り切れる程弾き込まれているだけあって鳴りが凄まじい。
恐らくここ数年が最高の音を出すから是非ライブで使って欲しい、と廉価もいい所の値段で売ってもらったとは聞いていたが、こんな逸品がたった十万で手に入るとは……こいつの人脈も恐ろしいものだ。

「もういいじゃないか。その時はその時でちゃんと向き合えば」

私はその音を耳で拾いながら先日購入したばかりのギターを調弦する。これも同じくマーチンなのだが、こちらはレフティーモデルのD‐28だ。
梓のそれよりランクが若干下な為ロゴの形が異なってはいるが、こちらも本当にいい音が鳴る。
梓に使えるだけのコネクションを使ってもらい最高級のピックアップを無料で搭載してもらったので、アンプを通しても極めて生音に近い音で演奏することが出来るのだ。
まだ若いギターだがもう音が枯れ始めていて、奴曰くこのまま弾き込んでいけば『妖艶』な音になるらしい。そうなればあのD‐45にも負けないのだとか。

「それより、昨夜憂ちゃんがあんなだったから練習できなかっただろ? 大丈夫か?」

その言葉に梓はムッとした顔を見せ、ちょろっとギターを鳴らしてみせた。
九十年代のロックシーンを台頭したイギリスのバンドの代表曲。そのギターソロを目を閉じたままほんの些細なミスも無く奏でてみせるその姿は、やはりこいつがプロ中のプロなのだと再認識させられるような物だった。

「だてに武道館で三回も演ってませんよ」

してやったりな顔だ。こいつは本当に……。

「敵わないな、まったく」

その言葉にニコッとして頷く梓。







97 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 01:23:11.58 ID:lbnm/+LS0
「じゃ、ホッチキスで指ならししときましょうか」

もう懐かしいという言葉以外当てはまらないようなその曲。学生時代お互い何度マメを作りながら練習したんだろうな。
高校時代はベースだったがまさかこの年になって、それもギターで、おまけに練習用にとスローテンポのバラード調にアレンジしてこの曲を演奏しているなんて、あの頃の自分が知ったら果たしてどう思うだろうか?

「ワン、ツー、スリー……はい!」

唐突にとられたそのカウントを合図に私も演奏に参加させられる。

「Fのコード進行は素人には難しいんだぞ?」
「難無くグリップで弾いといて言うセリフですか? そこら辺のフォーク喫茶で演ってるおじさんなんて問題にならないくらい上手いですよ」

この披露宴の為にアコギを始めたのが今から約一ヶ月前。まだバリバリの素人だと思うのだがな。


その一ヶ月前に話は戻る。時期で言えば世の新年気分が落ち着いて来た一月中旬の事。

「余興って……私がか?」

それは、結婚式の招待状について来た返信用葉書の出席可に丸をしてポストに投函してから約一ヶ月後の事。
自宅で一人酒を煽っていた時に掛かって来た唯からの電話で世間話の後に切り出されたのは、なんとも面倒臭くそして断り辛い依頼だった。

『うん、あのね……』

なんでも結婚式で余興の為に時間を割くかと問われイエスと即答をしたのは良いものの、そんな事を頼めるのが両家合わせて私達くらいしかおらず、もしこれに断られたら余興が無しになってしまうので是非引き受けて欲しいという事なのだそうだ。
そしてそれは、出来れば高校時代に私と唯が一緒に所属していた軽音部内のバンド『放課後ティータイム』のメンバーで一曲二曲演奏をして欲しいという何とも有りそうで無さそうな依頼だったのである。
無論、花嫁の唯以外の四人でという事は付言しておこう。







98 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 01:32:26.43 ID:lbnm/+LS0
「私……結婚式とか出た事無いけど、ドラムとかアンプのセットちゃんとやったら大変そうじゃないか? それに、私達全員で合わせる時間なんて絶対無いぞ?」
『個人練習して前の日に合わせて本番! とか無理かな?』
「おいおい……」

いくらなんでも簡単に考え過ぎじゃないか?

「私は時間あるからいいけどさ、律は平日OLで週末はバー、ムギは仕事で西日本飛び回ってるだろうし、梓はスパビネのバックでツアー中。今日は福岡で明後日は大阪だ」

ちなみにスパビネとは『SPARKLING VINEGAR』というガールズバンドの略で、オリコンチャート上位の常連である。
現在ミニアルバム発売に伴うプチツアー中で、梓はそのツアーにサポートメンバーとして参加中。スタジアムクラスを余裕で埋めるアーティストのライブハウスツアーということで、出待ち対策等色々と大変だと電話で言っていた。

『う~ん……じゃあ澪ちゃんのベース漫談とか!』

おいおい……。

「私は佐賀出身じゃないし、第一放課後ティータイム復活案がさっそくどこかにぶっ飛んでるぞ」
『はっ! ホントだ!』

相変わらずなのはいいが……こいつは本当に結婚なんかして大丈夫なのだろうか? 醤油を買いに出てハーゲンダッツを買ってくるなんて事がざらにありそうで怖いな。

「まあ私から皆に聞いとくよ。唯は式の準備とかで忙しいだろ?」
『そうなんだよね~……。一日八時間しか寝られなく』
「お前……ムギにその言葉言ったらぶっ飛ばされるぞ?」
『覇王翔吼拳?』
「使わざるを得ないな」

そんなどうしようもない話で終了した通話だったが、唯の口調からは本気で私達に演奏して欲しいという懇願にも似た切望が大いに感じ取れた。
それにもどちらかと言えばやってみたい気がする。毎週毎週休みの日にはネットサーフィンと酒盛りしかしていない為、久々にベースを弾いてみるのもいいかな?なんて感じたからだ。







99 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 01:40:04.78 ID:lbnm/+LS0
……だが。

『演奏? ドラム実家だし……卒業以来叩いてないし……』
『ピアノは今ちょっとね……。時間も無いし……』
『今打ち上げ中なんで無理ですね……。雑炊冷めるし……』

三者三様の理由で断りの返事が受話スピーカに飛び込んで来た。やはり皆忙しいんだよな……。仕事もあるし……。
唯の事は祝ってあげたいけど、こればかりは各々の生活も絡んでくる。強制は出来ないよな……。

…………。

「だが梓、テメーはダメだ!!」
『えええええぇぇ!? 何でですか!』

言わずともがなだ。

「お前プロのギタリストだろうが! 譜面見ればボサノヴァでも一発で弾けるんだから一曲ぐらいなんとかなるだろ!」

それに大体だな……

「雑炊だと! 何モツ鍋なんて美味そうなもん食ってんだよ!」
『失礼な! 水炊きです!』

なん……だと……?

「お前東京に戻ってきたらキャメルクラッチ決定! 嫌なら披露宴で演奏! いいな!」
『ええ~!? そんな理不尽な!』

まあそんなやりとりを挟みつつも、なんだかんだで梓は披露宴で演奏する事を承諾してくれた。ただし、なかなか厄介な条件がついてきたとは付言しておこう。それは……。







100 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 01:45:58.52 ID:lbnm/+LS0
『先輩にはベースじゃ無くてアコギを弾いてもらいます』

なんてムチャ振りだった。
……最初は勿論抵抗したさ。エレキならともかく、アコギなんて触ったことも無かったしな。……けど。

『アコギ×ベースよりアコギ×アコギの方が私は好きです』

という梓の個人的な好みと

『実はいつもお世話になってる店にめちゃくちゃいいレフティーのアコギが置いてあるんです。あれを先輩が買えば二人で気軽にセッションが出来ます』

という梓の個人的な望みと

『コーチは私が引き受けます。もともと素養があるんですから、プロが毎日教えれば一カ月でもそれなりには弾けるようになりますよ』

という梓の個人的な申し出に負け、結局は電話越しに「分かったよ……。じゃあよろしく」と全ての段取をお願いしてしまったのだ。

結果、その電話から二日後には私の仕事場にアコギ入りのハードケースがドンと届き、営業課用のFAXからは奴が選曲した初心者向けの楽譜と
ギターの弾き方からメンテの仕方までが図にまとめられた紙が垂れ流しとなり、私はオフィス中から早くも忘年会の練習に着手し始めたと妙な誤解を受ける羽目となったのだった。……まだ一月なのに。

……というか本当に大丈夫なのだろうか?
本番までは一ヶ月しかないし。アコギなんて本当に触ったことも無いし。結局私がボーカルまでする事になったし。
アホ猫は電話越しに「どうにかなります!」の一言で済ませていたが……。ああ……不安だ……。







101 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 01:51:09.66 ID:lbnm/+LS0
なんて考えていたのだが、まあこうしてアホ猫の言う通りどうにかなってしまったわけだ。
恐るべし梓大先生。やっぱりあんたすげぇよ……。マジで……。

「先輩ベースやってたからですかね? すっごく低音の響きがいいですよ」

ほら来た。これがアホ猫流指導要領だ。

「ギターが良いからじゃないか? 特別意識はしてないんだけどな」
「そうですかね……? 私には腕が良いからにしか思えないんですけど……」

そう。褒めて褒めて褒めまくる。褒めて褒めて褒めちぎる。こんなレクチャーのされ方をして伸びない奴が居るものか。人間とは褒められて伸びる生き物なんだな……と、この一ヶ月でよく実感させられた。

「まあ私の場合コーチが良いからな」
「おっ? 分かってるじゃないですか~!」

逆に褒められてご満悦といった感じのコーチ様はさっきからずっとハイポジションで私の演奏に味付けをしている。二人ともこれだけ喋りながら手の動きが全くブレないのはひとえに特訓の成果だろう。

「あの~、お取り込み中申し訳ございません」

突然話し掛けられた私は思わず演奏を止めてしまった。ノリノリで合わせていた梓もそれに倣って渋々手を止める。

「秋山様と中野様でしょうか?」
「は、はい。そうです」

その声の方に目をやれば、そこにはスーツ姿の男女三名が立っていた。
一人は先程式の司会を務めていた男性で、もう二人は胸ポケットに『STAFF』と書かれた名札を銜えさせた女性と、まだ二十歳くらいの若い女の子だ。爽やか成年、脂の乗り始め、大人の階段登りかけ、といったところか。

「えっと、出番の確認と打ち合わせに参りました。本日はよろしくお願い致します」

なるほど、そういう事だったか。







102 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 01:53:53.82 ID:lbnm/+LS0
なんて考えていたのだが、まあこうしてアホ猫の言う通りどうにかなってしまったわけだ。
恐るべし梓大先生。やっぱりあんたすげぇよ……。マジで……。

「先輩ベースやってたからですかね? すっごく低音の響きがいいですよ」

ほら来た。これがアホ猫流指導要領だ。

「ギターが良いからじゃないか? 特別意識はしてないんだけどな」
「そうですかね……? 私には腕が良いからにしか思えないんですけど……」

そう。褒めて褒めて褒めまくる。褒めて褒めて褒めちぎる。こんなレクチャーのされ方をして伸びない奴が居るものか。人間とは褒められて伸びる生き物なんだな……と、この一ヶ月でよく実感させられた。

「まあ私の場合コーチが良いからな」
「おっ? 分かってるじゃないですか~!」

逆に褒められてご満悦といった感じのコーチ様はさっきからずっとハイポジションで私の演奏に味付けをしている。二人ともこれだけ喋りながら手の動きが全くブレないのはひとえに特訓の成果だろう。

「あの~、お取り込み中申し訳ございません」

突然話し掛けられた私は思わず演奏を止めてしまった。ノリノリで合わせていた梓もそれに倣って渋々手を止める。

「秋山様と中野様でしょうか?」
「は、はい。そうです」

その声の方に目をやれば、そこにはスーツ姿の男女三名が立っていた。
一人は先程式の司会を務めていた男性で、もう二人は胸ポケットに『STAFF』と書かれた名札を銜えさせた女性と、まだ二十歳くらいの若い女の子だ。爽やか成年、脂の乗り始め、大人の階段登りかけ、といったところか。

「えっと、出番の確認と打ち合わせに参りました。本日はよろしくお願い致します」

なるほど、そういう事だったか。







103 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 01:58:59.04 ID:lbnm/+LS0
「あ、ブーケをキャッチされた方でしたか。あずにゃん様……でしたっけ?」
「いえ、中野様です……」

バツが悪そうな顔でがっくしと頭を下げる梓。それを微笑ましく眺める女性が言葉を引き継ぐ。

「私、この式のPAを担当させて頂く者です。どうぞよろしくお願い致します」
「そのアシスタントです」

そう頭を深々と下げる女性達。
……が、そのアシスタントと名乗り出た女性は視察をした直後、何を思ったか目をまん丸にさせて梓の持つギターを凝視し始めたのである。そしてそのヘッド部分を指さし、彼女は梓に問った。

「あ……あ……あ、あの!」
「は、はい?」
「そ、それひょっとしてD‐45ですか!?」

何だか挙動不審極まりなく見えなくもないが、後で梓に聞けば少しギターに詳しい人間ならばこれはごく普通のリアクションなのだそうである。

「は……はい……。そうです……けど……」

そのあまりの勢いにたじろぐ梓。だがアシスタントの勢いは止まらない。

「凄いギター使ってらっしゃるんですね! こんな所でD‐45を見られるなんて感動です! 私昔デュオ組んで路上とかやってたからマーチンなんて憧れてたんですよ!」

なるほど、この娘はどうやら生粋のアコースティック信者だったようだ。ここまで興奮するのもまあ頷ける。

「専門学校行ってる時も誰も持ってなかったのに……ああ……凄い……」

そう言って繁々と梓の抱えるマーチンを眺めるアシスタントちゃん。







104 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 02:04:34.81 ID:lbnm/+LS0
「ん? 専門学校?」

梓が食い付いた。

「はい。私、ギタリストになりたくて駅前の専門学校に通ってたんですよ。でも才能が無いからって機材コースに回されちゃいました」

苦笑いでそう答えるアシスタントちゃん。その顔に向け、梓は言った。

「なんだ、じゃあ後輩になるんだ。私ギター科卒だよ。一応プロやってる」
「ええっ!? そ、そうなんですか!?」

そこでハッとした顔になった彼女は、思い出したかのように言葉のラッシュを繰り出してきた。

「じゃ、じゃあひょっとして……!卒業式ではぶっちぎりの首席卒業だからって特別表彰された直後に「つまらない一年間でした」と吐き捨てて出て行ったというあの伝説の卒業生、中野梓先輩ですか!?」
「後輩なら一つは褒めんかい!!!」

徐に目を尖らせて犬歯を剥き出しにする梓。その襟首を掴んでアシスタントちゃんに飛び掛かろうとするアホ猫を抑える。

「お前一体どんな学校生活送ってたんだよ……」
「ち、違いますよ!」

必死に弁明を図ろうとする梓。

「卒業式は親が来て無かったからどうせならと思って笑いを取りにいったんです!」
「大切な席で何やってるんだお前は!」
「だって楽しくなかったんですもん……」
「ぶりっ子しても歴史は変わらん!」







107 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 02:09:58.09 ID:lbnm/+LS0
涙目でうぐぅ~……と何かを訴えるアホ猫。何処だ? 鯛焼きは何処だ!

「あ、それから下田先生に音作」
「に゛ゃあああああああああああぁぁ!!」
「きゃっ!」
「こ、こら! 後輩に噛み付くなこのタコ!」
「あ……あの~、そろそろ打ち合わせを……」
「に゛ゃああああああああああぁぁ!!」
「司会の人にも噛み付くなこのタコ!」

……まあそんなこんなありつつ、打ち合わせは結局五分程で終了した。
出番の時間とセッティングのタイミング。演奏後に使う退場ルート。それからあとは梓が入念に音作りに関する注文を付けていた。
LRの音の振り分けがどうだとか、ミドルのロー強めで高音削りの柔らかめの音だとか、ラインは自前のがあるからそれを使う……とか、色々言っていた気はするが些か専門的すぎてついて行けなかった。
まあ、こういうのは専門家に任せておけば大丈夫だろう。素人の物言い程意味が無くて空気の読めない物は無い。私がこの打ち合わせに口を挟む事など、ラムネ瓶の中のビー玉くらい意味が無いのだ。ここは黙って頷いておこう。

「では、本番よろしくお願い致します」
「はい、お願いします」
「え? あ……よ、よろしくお願いします!」

なんて思っていたら打ち合わせ自体が終わってしまっていた。……少しボーっとしすぎたか?

頭を下げて去っていく三人を見送り、私と梓もケースにギターを仕舞った。
招待客はそろそろ着席しておかなければならない時間だ。披露宴用のドレスに身を包んだ唯を早く見たい。

「それにしても気になりますよね」

ん? 何だいきなり。







109 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 02:15:28.20 ID:lbnm/+LS0
「何が気になるって?」
「決ってるじゃないですか」

ニヤ~っと悪い微笑を浮かべて言葉を続ける梓。

「花嫁の手紙ですよ」

ああ……なるほどね……。

「あの唯先輩がどんな感動的な手紙を書くかと考えただけ期待大じゃないですか?」

どうせそんな事だろうと思ったよ。ロクでもない事しか考えていない時の顔だ。

「お前の言葉からは悪意と野次馬精神しか伝わってこないな」

はあ……と息を一つ吐いてみせ、披露宴会場の入口を目指して歩き出す。

「あっ、待ってくださいよぉ~! ……って、アレ?」

その声と共に背後から駆け寄る音が止まった。

「何だ? 床にねるねるねるねでも落ちてたか?」
「違いますって……ハンカチが無いんですよ」
「ハンカチ?」

そう言って身を漁りだす梓。右ポケット左ポケットもう一回右ポケットから左ポケットと指が這い回る。だが、ティッシュは出て来るもののハンカチは一向に出て来ない。







110 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 02:21:10.07 ID:lbnm/+LS0
「あれ~? さっきまであったのに~……」
「あの水色の奴だろ? さっき使ってたじゃないか」
「そうなんですよ……。おかしいな……」

漁れど漁れど出て来やしないハンカチ。もうこうなったら!と梓が着ている服を脱ぎだそうとして私が強烈なツッコミを入れた時、丁度天井に張り付いてあるスピーカーが鉄琴四つのチャイムを奏でたのだった。

「あ~あ~、式始まっちゃうぞ? もうティッシュでいいんじゃないか?」
「花嫁の手紙の時にティッシュで涙を拭う人なんていませんよ!」
「泣く事前提かよ……」

そんな事を言いつつ、何だかんだでトイレに戻ってみたりギターのケース内を探ってみたりと一緒に駆け回ってはみたのだが、いい加減着席を終えていなければならない時間になっても結局その青いハンカチは見つからなかったのである。

「ああもう……仕方ない。時間が無いから式の後で探そう」
「え~……」

あからさまに物憂げな表情を浮かべた梓ではあったが、もう一度鉄琴四つのチャイムが鳴ったのを聞くと黙って頷いた。

「ちゃんと探してやるから式場でそんな顔するなよ?」
「……はい」
「ほら、行くぞ」

そう言って足早に会場へと向かう私の後を梓がトコトコとついて来る。そんなに花嫁の手紙で泣くつもりだったのか? 相変わらずよく分からん奴だ……。

……まあ大丈夫だろう。料理でも食べて、酒でも飲めばそれなりにテンションも上がるだろうしな。
そしてすぐテンションを切り替えられるのがこいつの良いところだ。何も心配なんていらない。







111 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 02:26:30.94 ID:lbnm/+LS0
「まあ万一見つからなかったら新しいの買ってやるよ。ちょっと古そうだったもんな、アレ」

梓はその言葉に返答する事は無く、黙って私の後ろをついて来るだけだった。そんな梓の態度に首を傾げつつも二人の歩くスピードは段々と早くなっていく。
そして私達が軽音部関係者で固められたテーブルに飛び込むように着席してすぐ、幸せに溢れた披露宴は始まったのだった。


「よっ」

親族席で一人烏龍茶なんかを飲んでいるその娘の肩を叩く。

「ああ、どうも」

椅子から立ち上がろうとするのを手で制し、直前まで花嫁の母親が座っていた席に失礼ながら腰を掛けさせてもらう。

「ほら、乾杯」
「あ、はい」

二つのグラスが奏でる高音。キン、と甲高い音が鳴るのは二人の持つグラスの中身が少ないからだ。その残り少ない液体を互いに口に注ぎ、空にしてテーブルに置く。

現在披露宴は花嫁のお色直し中で、それに伴いこの席の主は一緒にメイク室へと出張中である。
その他の親族席の面々は新郎に酒を注ぎに行ったり関係者各位への挨拶回り等で忙しい様で、このテーブルは現在彼女と私が独占している。

「披露宴で烏龍茶か。よっぽど酒が飲めない人みたいだぞ?」

眉を八の字に曲げ、まさしく苦笑いといった所の彼女。言わずともがなだが、彼女とは今朝銭湯帰りのタクシーで別れた憂ちゃんである。

「あの、梓ちゃんは?」

はぁ……と息を一つ吐き、軽音部関係者のテーブルを親指で指す。







112 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 02:31:41.35 ID:lbnm/+LS0
「あ……あれは私がわ」
「言い訳なんか聞きたくないわ! 飲みなさい!」
「すいませんお兄さ~ん! ビール一本追加で!」

眼鏡の挟み打ちとでも名付けておくか。

「ど……どうしたんですか一体?」

まあ当然の疑問だろう。

「和と先生、ブーケ取りたくて必死になってたのに唯が自分達とは明後日の方に投げたからむしゃくしゃしてるんだとさ。おまけにキャッチしたのが結婚願望ゼロの梓ときたもんだから八つ当たりしてるんだよ」
「あ~……なるほど……」

妙に納得している憂ちゃん。だがその顔は止めた方がいいな。あらぬとばっちりを受ける事になる。

「唯……やっぱり綺麗だな」
「……はい」

その短い返事を聞きつつ、チラと高砂の席に目をやる。そこには今まさに自身のお色直しの為に席を立とうとしている新郎が居た。
……あれが憂ちゃんが心から祝いたくないと言っていた新郎か。結婚式の時には唯ばかり見ていたし、今行われている披露宴では席が遠いので顔をしっかり確認するのはこれが初めてだ。

「ん~……まあ見た目には悪い男には見えないな」

イケメンだがイケメン過ぎず、笑顔だがはしゃぎ過ぎず。一言でいえば合コンでモテるタイプか。

「まあ中身までは知らないけどさ」
「ええ……」







113 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 02:36:47.12 ID:lbnm/+LS0
その新郎の方を見ようともしない憂ちゃん。実は披露宴の途中にもチラチラとこの娘に目をやっていたが、私の知る限りでは一度も新郎を……いや、高砂の席を見ようともしていなかった。どうやら憂ちゃんは本当にあの男の事を毛嫌いしているようだ。
昨夜の奇行じみた一人酒盛りを肯定する訳ではないが、そこまで気にくわない男と姉が結婚する事を考えればムシャクシャするのも当然か。正直式に出てくれただけでも殊勲物な気がするな。

「失礼致します、お飲み物をお持ちいたしましょうか?」

横から入って来たのは慇懃な口調で高身長の男性スタッフだ。三十代半ばといったところか。

「私は結構なんでこの娘に烏龍茶をお願いします」
「かしこまりました」

そう一礼し、キャンドルの火も揺らさないような足の運びでスタッフルームへ入っていく男性スタッフ。そういえば話し掛けられるまで気配すら感じなかったな。 ……ま、それはいいとして。

「憂ちゃん」

自身の膝元へと落として居た目をこちらに向ける憂ちゃん。……新郎新婦入場の時から思っていたが、あまり楽しそうな目じゃないな。

「あのさ、今朝も言ったけど……あの男が嫌いならそれでもいいと思うんだよ。それは憂ちゃんが決める事だし、誰も口は挟めない。たとえ唯だってな」

そこでまた下を向こうとする顔を制し、小姑じみた言葉を続ける。

「でも、唯のことは見ててあげて欲しい。どんな奴とくっついても今日が唯の人生で一番綺麗な日って事に間違いは無いだろうからさ。……それを見逃すなんて勿体ないよ?」

十五秒程黙っていただろうか? 結局沈黙は言葉で満たされる事無く、小さな首肯で返された、……私もとんだお節介者だな。オフィスでお局様と呼ばれてなければいいが。

「愚痴なら東京に帰ってから梓と一緒に聞いてあげる。今思ってること全部聞いてあげるからさ」

その細い肩にすっと手を置く。今にも折れてしまいそうな華奢な身体だ。この身体がずっと支えてきた姉の結婚式。……この妹以外が喜ばないで誰が喜んでいいって言うんだ。

「唯の事だけでも……見ててあげてくれよな」







114 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 02:42:04.36 ID:lbnm/+LS0
度は二十秒程の沈黙だっただろうか? それを切り裂いたのは首の運動では無く、口から発せられた音の塊。

「……はい」

たったそれだけの返事だった。

「約束だぞ?」
「……はい」

よし、と笑って立ち上がり、軽音部関係者のテーブルで玩具にされているアホ猫を見る。眼鏡コンビからだいぶ飲まされてはいるが、これくらいで酔い潰れる程やわな調教はしていない。

「じゃ、余興行って来るな。聴いててくれよ、卒業ライブ以来の私の演奏」

そう言って歩き出す私。……おっと、いけない。

「長女と三女で頑張ってきます!」

なんて言いつつ、敬礼なんてして見せる。憂ちゃんはそれに微笑と首肯で答え、私はそれを見て手を下ろしテーブルを離れた。
それと入れ違いにテーブルへ歩み寄る先程の男性スタッフ。トレイの上には烏龍茶だ。

「テーブルに置いていらっしゃるグラスはお下げてもよろしいですか?」

すっかり忘れていたな。まあ今から親族席へ戻るのも何だかかっこ付かない。

「すいません、じゃあお願いしてもいいですか?」
「かしこまりました。お任せ下さい」

私に一礼して道を譲る彼に頭を下げ、私はゆっくりとその前を通り過ぎた。……そしてこの時私が考えていた事は一つ。
何の罪も無いのに理不尽な責めを受け続けているアホ猫を救出するのが先か、はたまた私のバケットを勝手に摘んでいる幼馴染と女社長をとっちめるのが先か、どちらを優先すべきかという事だけだった。







117 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 02:47:14.62 ID:lbnm/+LS0
暗がりの披露宴会場。その隅の小さなお立ち台のようなステージ。
その上でスポットライトが客席の間を進む新郎新婦を照らし出すのを見つつ、私は二フレットに銜えさせたカポのネジを締め直し、もう一度チューニングを合わせる作業をして意識を指先に集中させていた。

「唯先輩……本当に綺麗ですね」

隣からするアホ猫の声。拍手に掻き消されそうな小さい声を必死に聞き取り、合の手を入れておく。

「そうだな……」

それしか浮かばない自分のボキャブラリーが貧困なのか、はたまた浮かべさせない唯のドレス姿が美し過ぎるのか。……まあどちらでもいいか。

「なあ梓」

間髪を容れずに返ってくる言葉。

「何ですか?」

少し意地悪な質問でもしてやるか。

「武道館とこの披露宴、どっちが緊張する?」

ああ……と梓。

「私、基本的に緊張しないんで。ライブハウスでも武道館でもスタジアムでも変わりません」

何だ……つまらないな。

「そうかい。つまらない質問して悪かったよスーパーミュージシャン様」
「……何かトゲがありますね?」







119 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 02:52:48.98 ID:lbnm/+LS0
無い無い。私は仰々しく手を振って見せる。……質問を変えてみるか。

「じゃあさ、今までのライブと今日のステージ、どっちが大切だ?」

答えるのも無駄だと言わんばかりの口調で言葉を放つ梓。

「ステージに上がる以上は常に百パーセントを出すのがプロです。どれが大切だなんて順位付けをするとそれがブレます。私はそういうのが大っ嫌いです」

思いの外御立派な答えが返って来た。やはりプロフェッショナルの何たるかを熟知してる人間は違うな。そこら辺のライブハウスでファッション感覚の音楽やってるチャラい兄ちゃん達に爪の垢でも煎じて飲ましてやりたい。

「流石だな……。聞いた私がバカだったよ」

そう言った瞬間、丁度高砂の席の壮麗な椅子に新郎新婦が腰を下ろした。両者とも素敵なお召し物だ。特に唯が身に纏っているライトグリーンのドレスなんて輝いて見える。

「でもさ、あのお姫様の為なら百二十パーセントくらい出してあげてもいいんじゃないか?」

その言葉を聞いた梓は高砂の席を見つつ、小さく息を吐いた。視線の先には絵本から出てきたようなお姫様だ。
そしてアホ猫は暫し黙った後その息に負けないくらい小さなボリュームで

「……特別ですよ」

なんて甘ったるい言葉を吐きやがった。普段なら盛大に噴き出す所ではあるが、まあそういう訳にもいくまい。

「ああ……特別な」

そんな言葉を受け、隠しきれない照れ隠しを必死に隠そうとする梓。……可愛いものだ、まったく。







120 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 03:01:15.75 ID:lbnm/+LS0
高砂の席からスポットライトを譲り受け会場内の視線がこちらに集中する中、私は梓の取るカウントを合図にマイナーセブンのコードで音を爪弾き出した。
この日の為に練習を繰り返した結婚式の定番ソング。曲説もしなかったが誰もが知るイントロに会場内から小さな唸りが聴こえる。
足元のモニターから返ってくる音は私の奏でるアルペジオと梓のリードがミックスされた何とも言えない柔らかい音だ。
梓の指示の出し方が的確だったのか、はたまたあのPA二名が優秀だったのかは分からない。だが思わずグッとくるリードの響きの良さと、自由気ままに加えられるアドリブを聴けばどうやら梓好みの音になっているようだ。調子の乗り方でよく分かる。
思わずこのままセッションを続けてしまいたくなるが、残念ながらこれは本番だ。私は見るからに高そうなコンデンサーマイクに向けそっと歌声を紡ぎ出す。素人の域は出ないだろうが、それでも元バンドガールとしてやって来た事は今ここで全て出しきってみせるつもりだ。
梓に百二十パーセントを出すよう要求しておいて自分だけ百パーセントで済ませる訳にはいかないからな。

それにしてもこの歌、本当に歌詞が良いと思う。
二人の門出を適当に祝うだけの煩雑な結婚ソングが世に溢れる中、この歌は新郎の目線にぐっと入り込んでただただ新婦を見つめているというその一点だけを描いている、何と言うか……ちゃんとした芯のある曲なのだ。
私達が今日この曲を演奏しようと決めた理由も、実はそこにあったりする。

結婚式で新郎新婦の二人の事を祝うのは当然だ。そんな事は子供でも知っている。だが、よくよく考えれば私と梓は唯の事しか知らないのだ。新郎の事なんて顔さえ知らない。
そんな状況で「二人ともお幸せに~」なんて言っても説得力があるだろうか? いや、説得力云々では無くて私達がすっきりしないのではないか?
当日演奏する曲を選考している時にその懸案事項とぶつかった私と梓。そしてある日の長電話の末、梓の言い出したこんな言葉でその懸念はあっけなく終結に至った。







121 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 03:12:00.47 ID:lbnm/+LS0
『私が祝いたいのは唯先輩です。どんな人と結婚しても私は唯先輩の為に式に出ます。
だったら、唯先輩の相手のことなんて考えなくてもいいんじゃないですかね?
世間は二人の門出を祝う為に結婚式があると思っている人が多いかもしれませんけど、
見ず知らずの人の為に高い御祝儀渡して、ばっちりドレスでオシャレを決めて、
堅苦しい親族のスピーチ聞くのなんて普通に考えたらまっぴらですよ。
私が祝いたいのは唯先輩だけなんです。だから唯先輩だけを祝います。
……そんな感じでいいんじゃないですかね? 結婚式なんて』

柄にもなく良い事を言った梓のその言葉により、私達が演奏するのは花嫁を祝う為の歌にしようと決まったのだった。
そしてそれに該当したのがたまたま私の家のCDラックで眠っていた男性デュオのベストアルバムの中の一曲。誰もが一度は耳にしたことのあるであろうこの有名なバラード曲だったのだ。

その歌の最後のCメロ部分を歌い上げ、曲は最後の大サビへと流れて行く。
ギターを弱めて歌声を強く。一人で再三練習した抑揚をつけたボーカル。そこに梓の出しゃばらないリードが重なっていく。
眩しいスポットライトの端からふと見えた親族席には、こちらをじっと見てくれている新婦の妹の姿が見えた。表情までは確認する事が出来なかったが、顔を上げて見てくれているだけで十分だ。そのまま高砂の席を見てくれればもう何も言う事は無い。

そんな事を思いつつ、私は最後のワンフレーズをマイクに向けて紡ぎ出した。チラ、と横を向いて音を切るタイミングを図りつつ、梓の合図を待つ。

……本当に出来てしまったな。一ヶ月でギター演奏。アホ猫に感謝だ。
そんな私の心を読むように梓は演奏に入り込んだプロの顔を緩め、少しだけ口元を緩めてギターのネックを軽く持ち上げた。私もそれに倣い、同じ角度までネックを持上げる。
そして二人同時にそれをゆっくり振り下ろし、私はノーマルのコード、梓はセーハのコードで曲を締めた。
その音の余韻が止むまで、見合わせたこの顔が離れるまで、暫く拍手が起きて欲しくないと思ったのは私だけでは無いはずだ。

初めての梓と二人のステージ。……私はもう少しだけここに居座っていたい気がした。







122 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 03:17:08.22 ID:lbnm/+LS0
「二人ともお疲れ! ほら、飲め飲め!」
「はいはい、ギター片付けたら行くから待ってろ」

演奏を終えた私達は会場中から割れんばかりの拍手と大歓声を頂き、今しがたステージを下りて軽音部関係者の席へと戻ってきた所だ。
まあこんな事を言うのは本来正しくないのだろうが、正直言うと会場の反応などどうでもよかったのだ。私と梓の目標は唯を喜ばすこと。その一点に向けられていたのだから。

「大成功ですね」

絃をタオルでさっと拭いてケースに超高級ギターを仕舞う梓。その視線を追って私も高砂の席へと目をやる。

「ああ、間違いないだろうな」

そこには司会が進行を躊躇う程に泣きじゃくりながら顔を手で押さえる花嫁の姿があった。おかげで式は一時中断中。この後式は友人のスピーチ、祝電披露、そして花束贈呈でフィニッシュとなる。

「……子供みたいだな」

別に泣きじゃくるのは良いがドレスを汚してくれるなよ? 私達に請求書が来ても一切関知しないからな。

「お疲れ様です」

小声で話し掛けられた相手が自分達だと気付くのには数秒の時間が要った。最初に梓、倣って私が目を向ける。

「すっごくよかったです!」

相変わらず周りに聞こえないよう小声ではあるが、今度は親指を立てて私達を称賛してくれたその娘。
ピンスポを浴び続けて目が慣れていなかった為最初は判別できなかったが、よくよく目を凝らせば先程式の前に打ち合わせに来たPAのアシスタントちゃんだった。







124 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 03:22:21.24 ID:lbnm/+LS0
「ああ、ありがとう」
「上手いねPA。さすがは私の後輩!」
「いえいえ、中野先輩のPAなんて緊張しすぎて倒れるかと思いましたよ……」

そう言ってハイタッチを交わす二人。
時期は被っていないが先輩後輩の関係となればやはり何かしら感じる物があるのだろう。二人とも随分と互いを讃えているように見える。だが確かに音は良かった。
客席とステージでは音の聞こえ方が全く違うとは思うが、ステージの上であれだけ心地いい音が聴けたのだから客席なんて言わずともがなだろう。
音にうるさい軽音部OGの連中が一様に笑顔で迎えてくれたのが何よりの証拠だ。

「でも本当によかったです。ギターも歌も最高でしたよ」
「いやいや、そこまで褒められると照れるな」
「やだなぁ、先輩にはお世辞で言ってるん」
ガツン!!
「に゛ゃっ!!」

このアホ猫はまったく……。

「お世辞でも気分が良いに決まってるだろ! ぶち壊すなこのタコ!」
「ちょっとした冗談じゃないですかぁ~……」

そんなお決まりのそのやり取りを終えた時、場内の照明がスッと暗くなった。式再開だろうか?

「あ、じゃあ私戻りますね。最後まで楽しんで行って下さい!」
「うん、ありがとう」
「じゃあね~」

軽音部関係者の席から程近いPA機材席へと足早に去っていくアシスタントちゃん。その背中を見届け、私と梓も自身の席へと踵を返す。
そしてその私達を笑顔で迎えてくれる仲間達。ちなみに和と先生はもうべろんべろんで、机に突っ伏したままピクリとも動いていなかった。








126 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 03:28:01.19 ID:lbnm/+LS0
「二人とも最高!」
「ホントにな! やっぱり軽音部の二大巨塔は違うな!」

異様に褒めちぎってくれるムギ律コンビに謝辞を述べつつ、私は親族席に目をやる。その視線に気付いたのか、憂ちゃんはこちらに向け二回頷き小さく拍手も送ってくれた。
その顔には見違う事無き満面の笑顔み浮かんでおり、それを見て私は本当に心の底から安堵した。唯も憂ちゃんも喜んでくれている。それは恐らく、心の底から。
その笑顔はこの一ヶ月の私と梓の努力を何よりも労ってくれている、いわば見えない勲章のように思えたのだった。

……やってよかった。……本当に。


その後、友人代表のスピーチでは呂律の全く回っていない和によるスピーチならぬ爆笑漫談が行われ、会場は一人残らず涙を流して腹を抱えるという異様な事態に陥った。
締めの言葉が「もう飲めません……」とはどういう事なのだろうな和さん?
まあ持ち時間の五分を厳守した所は和らしかったのだが、席に戻るなりまたしてもビールをグラスに注ぎ出したところで先生に思いっきりツッコまれ、またしても会場中の爆笑を攫ったのは最早切腹ものだ。
隣に座る私のことも少しは考えて欲しい物だな……まったく。


「ああ……結局見つかりませんでした……」

哀しい面持ちで嘆くアホ猫。そう、式はもう新郎新婦による両親への花束贈呈だ。
それに伴っての手紙朗読が間近に迫っている中、またしてもポケットを漁りつつハンカチを探しているアホ猫は先の通りに嘆いていた。

「ちゃんと探してやるから今はしっかり唯を見ててやれよ。式で一番いい部分だぞ?」

梓はその言葉にシュンとしつつも渋々頷き、溜息を一つ吐いて前を向いた。高砂の席から降りた新郎新婦がゆっくりと両親の待つステージ前に歩を進める。
これから来る感動のシーンに向け、誰もがハンカチを用意していた……そんな時だった。







127 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 03:33:17.21 ID:lbnm/+LS0
「あれ~?」

そう呟いたのは私の隣の席でフラフラになりながらも何とか意識を保っている和だった。何だ? まだ喋り足りないのか?

「みぃ~おぉ~」
「何だ? 静かにしろよ……」

このシーンをぶち壊したら恐らく和は一生唯に頭が上がらなくなるだろう。それは防いでやらないとな。

「しかいのひとぉ~……こっちにむけてぇ~……なにかいってないぃ~?」
「何?」

和の言う通りだった。薄暗い会場の中を切り裂くようなピンスポの漏れ灯が微かに照らす司会の男性の顔。
その口元が私達に向けて大きく動いているのが見て取れた。

「……ん?」

だがよく見れば、その音無き言葉が発せられている先は私達のテーブルでは無く、私達の席の後方、スタッフ用スペースにあるPA席だったのだ。

「何だ?」

振り向いてそのPA席を見れば、手元を照らす為の小さなスタンド照明が放つ灯りに女性スタッフ二名の青い顔が照らし出されていた。
ガチャガチャと音を立てながら機械をいじくりまわす姿は、何処をどう見ても平静の二文字が似合わない。とにかく何かがあったのは間違いないようだ。

私はもう一度司会の男性に目を向け、読唇を図ってみる。暗くてよく分からないが目を凝らせば何とかなりそうだ。
それに花嫁達が動くに連れてピンスポも移動し、司会の男性のの顔は徐々に明るく見やすくなっていっている。







128 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 03:39:32.31 ID:lbnm/+LS0
『びー』

びー? Bか?

『じー』

G……? B……G……

………………

「あっ……」

最後の一文字を見るまでも無い。B・Gと来てPA席に向けられた視線を考慮すれば自然と出てくる文字だ。
そしてそれを繋げて完成する物は今この空間に存在しなければならない、だが存在していない無形の演出物だった。

「おいおい……」

私はそっと席を立ち、梓の肩を叩いてついて来るよう促す。
その行動に不思議そうな顔をした梓だったが、私の顔が真剣だと気付くやすぐに頷いて席を立ってくれた。
その梓を伴って駆け寄った先は当然PA席。慌てふためく二人の女性スタッフに私は話し掛けた。

「鳴らないのか?」

驚いた顔をしてすぐにブンブンと首肯するアシスタントちゃん。

「音を出す装置が故障したみたいで……。マイクの音は鳴るんですけど……」

どうやら悪い予想は的中したようだ。







129 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 03:44:40.57 ID:lbnm/+LS0
「鳴らないって……何がですか?」

まだ事態が飲み込めていない梓の口から質問が飛んで来る。

「BGMだよ」

そう、司会の男性やこの二人が慌てているのはそのせいなのだ。
BGM、バックグラウンドミュージック。花嫁の手紙朗読に向けて恐らくはもう鳴っていなければならないはずの背景音楽が、この会場内にはまだ鳴り響いていなかったのだ。

「ええっ!? 鳴らないって……マ、マズイでしょ!?」

そう、マズイ。ここは式として何が何でも感動させなければならないような場面だ。
この花嫁の手紙朗読はやはり式で一番記憶に残りやすい。実際今日初めて結婚式に出席している私だってこの場面より他に感動するようなシーンは無いと確信すら覚えているのだ。
この場面は今日出席した全員の心に間違いなく一生残る。それには花嫁の朗読を盛り立てる為のBGMは不可欠なのだ。

「梓、お前何とか出来ないのか?」
「ええっ!?」

ムチャ振りもいい所かもしれないが、普段スタジオでプロの機材をいじりまくっているこいつならあるいは……。

「む、無理言わないで下さい!」

あっけなく却下かよ。

「PA担当の人間が直せない物を一介のギタリストが直せる訳ありませんって!」

その通り。その通りなのである。その通りではあるのだが……。







131 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 03:49:49.44 ID:lbnm/+LS0
「どうしよう……。どうしよう……」

この顔を見て見捨てられる訳無いだろう……。

「ああ……始まっちゃう!」

言われて振り返ればもう既に唯は便箋から紙を取り出している所だった。司会の男性も諦めたように顔を引き攣らせていて、PA担当の女性は小声でインカムに向け「鳴らないんです!」と繰り返している。
せっかくここまで上手くいった式。気にしない人も居るかもしれないが、これはスタッフ側から見れば恐らくプロとしての意地の問題だ。
このBGMが鳴らない事によって少なからず責任を感じる人間は出る。そしてそれを追求する人間も……。
親友の結婚式でそんな事を起こらせてたまるか。全員が気分よく、携わった者全てが笑って終わらなければならない式なんだ。
何か……何かいい方法は……。

「あっ!」

突然梓が体を跳ねさせた。

「何だ? どうした?」

その言葉と同時に梓がある物を指さす。

「アレ!」

それは二本のマイクスタンドと、その先に鎮座している二つのマイクだった。
そしてその後ろには私達が式が終わるまでという約束で置かせてもらっているギターケースが二つ。これは……。

「……あっ」

ここまでの物が目に入って流石に気付かないはずが無い。そうだよ、さっきまでこいつを使って一曲演ってたじゃないか。何で気付かないんだよ。








133 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 03:55:02.38 ID:lbnm/+LS0
「マイクは入るんだよね?」

梓の問いにブンブンと首肯を繰り返すアシスタントちゃん。よし……、何とかなるかもしれないぞ。

「セットして!」

そう指示を飛ばし、ギターケースへと駆け寄る梓。私もそれに倣い慌てて駆け寄る。
まだ手紙の朗読は始まらない。パッと見だが、どうやら唯のドジっ娘魂に火が着いて便箋から手紙を取り出すのに一苦労しているようだ。
ナイス唯。お前はやれば出来る子だと思っていた。

「あ、先輩待って!」

ケースからギターを取り出し、カポを取りつけようとした所で梓から待ったが入った。

「何だ? さっきの曲じゃないのか?」

首を横に振る梓。そして何故かこんな時に悪~い顔をして私に耳打ちをしてくるのだった。

「ピンチ窮地は大逆転の為に起こるんですよ」

そう言って梓が告げた作戦。まあ作戦という程の物でもないが、この発想には正直恐れ入った。

「お前天才かよ?」

その言葉にピースで応える梓。それと同時にマイクのジャックを機械に繋ぎ終えたアシスタントちゃんが自身らの座っていた椅子を私達に差し出してくる。
それにさっと腰掛け、PA席の小さなスタンドの灯りを頼りに私は右手でB♭メジャーセブンのコードを抑えた。……ついでだから言っておくか。







134 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 04:00:10.31 ID:lbnm/+LS0
「Fのコード進行は素人には難しいんだぞ?」
「はいはい」

怪訝にも掛けず梓は笑ってそう言った。
それを合図にしてかは分からないがアシスタントちゃんは鼻の前で人差し指を立て、機械のスイッチをパチリと押して私達にジェスチャーで「どうぞ」と言ったのだった。

「ワン、ツー、スリー……」

梓が小さな声と共にギターの腹を親指で叩いてカウントを取り、私はB♭メジャーセブンのセーハーコードを抑える指にぐっと力を込める。
そして、一瞬のハウリングを伴ってその曲は奏で始められた。あの頃の私達が指の皮を幾度も破りながら練習していたこの曲。

……一体誰の書いたシナリオなんだろうな。
梓が練習用にとこの曲をバラードバージョンにアレンジして私に楽譜を渡したことも、すぐにマイクで音が拾えるアコースティックギターを選んだことも。
もっと言ってしまえばこの曲を聴いて梓が軽音部に入ろうと決めたなんて事も、全部全部が始めから一つの線上にあったとしか思えない。

『えっ……?』

ギターの音を聴いて振り返った唯の声を小さくマイクが拾った。おまけにタイミングよく私達にまでピンスポが当てられる。一体どれだけレベルの高いスタッフワークをしているんだろうね、この式場は?

『あっ……』

そんな言葉を漏らして呆然となる花嫁を司会の男性が促し、二、三度頷いて前を向いた唯によって漸くその手紙は朗読され始めた。
残念ながら人の話を聴きながらギターを弾く余裕は私には無い。そして梓も一度演奏に入り込めば他の音が耳に入らなくなってしまうと言っていた。

だから唯が手紙を読み終えるまで、私と梓は耳を塞ぐようにギターを弾いた。
思い浮かべる情景はただ一つ。この歌を無邪気に歌う高校時代の花嫁が居る音楽準備室だけ。
そこに置いて来た沢山の思い出達を閉じた針を外しつつ、私と梓はギターを弾いた。







135 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 04:10:32.12 ID:lbnm/+LS0
「澪ちゃああああああああぁぁん!!!」

そう言いながら涙でぐっちょぐちょの顔で私に抱きついて来たのは他ならぬ花嫁、唯である。片手にはピンクのハンカチ。随分と子供じみた色だな。

「サプライズな゛んて゛……ぎぃでだいよ゛ぉ~!」
「そりゃそうだ」

聞いてたらサプライズじゃ無い。……というかまず私も聞いてなかったんだ。寧ろこっちがサプライズだ。

「ああ゛!! ばずにゃ~ん!!」
「何ですかそのメタルバン……うぶっ!」

ツッコミを遮るように抱きつく唯。そしてその低い胸に埋められる梓。
……ごめん、今の「低い」は撤回する。「人並み」と訂正しておこう。


披露宴は最後の最後で起こったトラブルを何とか回避して終了し、今は招待客が式場を去るのを新郎新婦と両親が見送っている所である。
……結局BGMを流す機械は直らなかった。もう仕方が無いと新郎新婦退場まで私と梓はギターを弾き続け、先程それを終えて全参加者中一番最後に式場を出てきた訳である。

もちろんスタッフ一同からは大感謝をされた。式場の最高責任者まで出てきた時には流石に焦ったがな。
これから一度帰って二次会。……正直疲れていてあまり気乗りはしないが、まあ行かない訳にはいかないんだろうな。

「それにしても良くあれだけスムーズにギター弾けたな? どこかで聞いたことある曲だと思ったらまさかホッチキスだったなんてびっくりしたよ」
「本当、二人が席に居ないと思ったらギター弾いててびっくりしたわ」

あ~……と頭を掻きつつ、私は答える







136 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 04:17:15.20 ID:lbnm/+LS0
「不慮の事故だよ。世の中助け合いさ」

やや興奮気味に話し掛けて来るムギ律を軽くあしらい、私はロビーの隅のソファーでじっと座っている花嫁の妹を見つけそこへ向かって歩き出した。
ちゃんと顔を上げて唯の事は見ててくれたと思う。だが……結局高砂の席の二人を見て最後まで笑う事は無かった。
姉の一生一度の晴れ姿。……祝ってくれたんだろうか?

「あの、すいません」

ん? 何だ?

「はい」

声のした方を振り返れば式場のスタッフと思わしきスーツの女性が立っていた。
ピシッと決めた大人の女性。梓が身長伸びて礼儀正しくなって髪切って仏頂面じゃ無くなったらこんな素敵な女性になるのかもしれないな。

「失礼ですがこれはお客様の物ではございませんか?」

……あっ。

くるっと振り返ってそのブツの所有者を見る。

「のわあああああああ! 澪先輩たしゅけてぇ~~!」

気付けば花嫁だけでは無く、その場に居た一同からもみくちゃにされているアホ猫。もう少しそうしてろよな、まったく……。

「知り合いの物です。何処にありました?」
「えっと、チャペルの前ですね」







137 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 04:24:10.77 ID:lbnm/+LS0
ああそうか、多分律に引っ張られた時だな。それしか考えられない。……まあ見つかったからいいか。お咎めは無しにしよう。

「私から渡しておきますね。ご丁寧にどうも」
「そうして頂けるとありがたいです。では……」

丁寧な四十五度の礼をして去っていく女性スタッフ。この隅々まで行き届いた接客のノウハウを是が非でも学んでみたいものだな。きっと世の中何処に行っても通用することだろう。
……おっと、目的を忘れる所だった。私は受け取ったブツをスペースのないポケットに無理矢理押し込み、そっとソファーに近寄った。

「隣……いいか?」

返事も首肯もせず、かといって拒否をしている風になんて甚だ見えず、彼女はただただ自身の手の甲を見つめ続けている。
私は一瞬躊躇ったが結局ソファーには座らず、彼女の後ろ立ってその細い肩へと両の掌を乗せたのだった。

「……憂ちゃん、正直に答えて」

またしても返事も首肯も返って来ない。……だがいい。そうしたいのならそうすればいいのだ。
私はそれも受け止める。……約束したから。

「……楽しくなかったろ?」

ピク、と掌に直接伝わる感情の起伏。イエスかノーかなんて聞き直すだけ時間の無駄だ。

「……辛かったろ?」

……まただ。またしても身を竦めて反応する彼女。

「正直者は大変だよね。こういう時にも嘘がつけないんだからさ」

首をブンブンと横に振ってそれを否定しようとする憂ちゃん。だが、小刻みに震える肩が一向に止まる様子はない。……我慢は体に良くないってよく言うんだけどね。







138 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 04:29:35.27 ID:lbnm/+LS0
「……東京に帰ったら、一緒に飲もうな」

それだけ言って私は彼女の肩から手を離し、ポケットから自分の白いハンカチを取り出して彼女の重ねられた手の甲の上にそっと置いた。

「月曜、会社で会おう」

そんな言葉を残し、私は彼女に背を向けた。
話はいつでも聞いてあげられる。何があってもそばには居てあげられる。求められれば何でも出来る、望んでいれば察する事が出来る。
だけど……一人にしてと言われたらそれまでなのだ。外野にはどうする事も出来ない。人を求めようが拒もうがそれはその人物の勝手。そこに土足で踏み入って傷付けずに退出する事が出来る程私は人間が出来ていない。

……そして彼女は何も言わなかった。

それは間違い無く彼女が彼女なりに示すサインであり、それを見極めてあげるのが私の役目だ。彼女は一人になりたがっている。そこに私が寄り添うのは違うと思う。
辛い時寂しい時はそばに居るなんて陳腐な歌詞の一節にありそうな言葉を私は決して好まない。
その相手が寄り添いたいと言うまで、一緒に居たいと望むまで傍観をしてあげるのが本当の優しさだ。……私はそう思う。

だから憂ちゃん。今は一杯傷付いて、どうにもならない程落ち込んで、ちょっとだけ甘えたくなったらこっちにおいで。
私と梓が徳利とお猪口片手に待っててあげるからさ、いつでもおいでよ。悪いけど……私にはそれ位しか出来ないんだ。

……不出来な姉でごめんね、憂ちゃん。


そしてやはりというか何というか、二次会に憂ちゃんは来なかった。
気分が悪いと唯に告げてかつての自室に閉じ籠ったまま、結局強引な誘いにも応えずに家で寝ていたのだとか。
さわ子先生や和が暴走して大波乱となった二次会を乗りきった私と梓は結局その店で別れ、翌日の帰都以降暫く奴のスケジュールの関係で顔を付け合わせる事は無かった。
憂ちゃんは私達とは別の飛行機で東京に戻って来たらしいが結局連絡は入らず仕舞い。週が明けても体調が優れないと会社を休み、私も流石に心配したが連絡は一向に取れず、結局それは月曜の黄昏時まで何の音沙汰も無い状態が続くのであった。







139 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 04:35:39.91 ID:lbnm/+LS0
鬱鬱真っ盛りの月曜四時半。
さすがに真冬なだけあってビル風が酷く冷たい。頬を撫でるなんてロマンチックな表現はとてもではないが似合わないな。まるで殴られているようだ。
私は今日一日を得意先回りに当てていた。相方がいないので話す相手も居らず、それはそれは寂しい道中であったのは言うまでも無い。
……ああ、相方というのは勿の論で憂ちゃんの事だ。今日は風邪で休むと課長に連絡があったのだとか。
やはり私には言い辛いのだろうか? ……まあそれも仕方ないだろう。
直接連絡を取ると色々聞かれると思っているのだろうな。別にそんな事は無いのだけれど、彼女からすれば気の重い話なのだろう。
そんな事を思いつつ、見慣れたビルの見慣れたオフィスへと帰還を果たす私。暖房の効いたフロア内に入ると途端に耳が冷たく感じだす不思議。ほんの数瞬前までは耳だけがやたら熱く感じて堪らなかったのに。

「ただいま」
「ああ主任、お帰りなさい。寒かったでしょう? お茶入れますね」
「まだ主任じゃないっての」
「まあいいじゃないですか! 秋山しゅ・に・ん!」

終業間際で若干表情の緩んできている我が班の一同がうんうんと頷きつつ迎えてくれる。それを受けながら自分のデスクに腰を掛ける私。隣の空席がやはりというか何というか、ズンとボディーに来た。

「……ん」

コートを丸めて机の上に置き、さっとポケットから携帯を取り出して今しがた呻りを上げ始めたバイブレーションを止める。
サブディスプレイに表示されたのは見た事も聞いたことも勿論付き合いも無い男性の名前。……またアドレスを変えなければならないようだ。

「そんなに出逢いなんか求めて無いっての……」

二つ折りのそれを開いて即刻その迷惑メールを削除し、同時に溜息を一つオフィスの虚空へと吐き出す。
先程までと違って微塵も白くならない息に若干の違和感を覚えつつ、私は手に握った現代科学の粋で本日三度目となるコールを隣の席の主に飛ばしてみた。







140 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 04:41:00.14 ID:lbnm/+LS0
プルルルルルルルル……

ワンコール

プルルルルルルルル……

ツーコール

プルルルルルルルル……

スリーコール

プルルルルルルルル……

……ダメか。

留守番電話サービスセンターに接続されてしまう前にこちらから電波を遮断する。メッセージを残しておいても無駄とは思わないが、何となく憂ちゃんが留守電を聴くとは思えなかったからだ。

「主任、お茶どうぞ」

そう言って出された緑茶に礼を言って手を伸ばす。
もう主任という言葉にツッコミを入れるのはヤメだ。どうせ四月からは本当にその役職に就くわけだし、慣れておいてもいいだろう。

「平沢さん、電話出ませんか?」

去年の四月に入ってきたばかりのおっとり女子社員の口から飛んできた質問に首の動きだけで答える。溜息の同伴出勤付きだ。

「風邪ですかね~? 最近のはタチ悪いって聞きますし、移動で疲れたんでしょうか?」







141 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 04:46:22.32 ID:lbnm/+LS0
それを言うなら私だって同じだ。おまけに地元の町から空港まで車を運転した分私の方が疲れているに決まっている。
それに憂ちゃんが体調管理を怠るなんて到底思えない。今は……他の理由で苦しんでいるのだろう。まあこの女子社員には悉く縁の無い事なのだろうが。

「書類上がってる?」

目の前の中年サブリーダへと声を掛ける。
私より年上の人間が大半を占める我が班なのだが、会社の規定で上司は目下の者に敬語を使ってはいけないと厳格に定められている為、慣れないながらもこの口調で話すしかないのだ。
正直言う、リーダーになってもうすぐ一年が経つが未だに慣れない。

「OKです。後はリーダーと課長に目を通してもらって部長に持って行くだけです」

私より十歳も年上のサブリーダーが笑顔でその書類を差し出してくる。入社当時はあれだけ厳しかったのに、いつの間にか立場が大逆転しているな。
正直今でもこの人の前では委縮しかけてしまうというのが本音なのだが……それでもえばって敬語を使わせなければならないというのがちょっとアレだ。出世とは……いろいろな意味で辛いんだな。

「ありがとう。じゃあ後は月末報告書の上申欄に記入する事を各自に纏めさせといて。今日はそれで上がり。残業が無い人は一秒でも早く帰れるよう早急に終わらせると良いよ」
「了解です、主任」

ニタ~と笑って班員に指示を飛ばすサブリーダーの彼。四月からは彼がこの班のリーダーなのだ。
苦節十年、後輩に追い越され追い越されしてきた彼もこれでやっと出世街道のスタートラインに立てる訳だ。
まあ私は立ちたくも無いのに気付けば立たされていた訳なのだが……今更文句は言うまい。
そのおかげで四月からは仕事も給料も増えるのだ。ダラダラしていると頭を抱える回数が増えるだけ。剣呑そうな顔をしたらこの仕事は負け。部下だってそれをちゃんと見ている。それにはまずはこの報告書から。細かい所からじっくりと、ね。



帰り道、電車の中で私は甚だ意外な人物と顔を合わせる事となる。
私が会社の最寄り駅からいつもの人がごった返す環状線車内へと飛び込んだ瞬間、パッと目の前に現れたその人物と目が合ったのだ。







142 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 04:51:37.06 ID:lbnm/+LS0
「あっ……」
「おお? 珍しい」

律だった。いつもならこの電車は使っていないはずなのだが……。

「こんな時間に帰宅とは……流石に一流企業さんは違うね」

眉を八の字に曲げて律は笑った。そういう自分は帰宅途中では無いのだろうか?

「まだまだ。今から会社に返ってちょっと仕事しなきゃ。残業代稼がないとね」

やはり大変なようだ。定時で帰れることの方が多い私と違い、身を粉にして働いているのが分かる。だがきっとこれが普通なのだ。その分自分の就労状況があまりに恵まれているのだと痛感させられるな。

「いや~、それにしても二泊三日で地元へ凱旋旅行ってのもキツいね。身体が悲鳴を上げてるよ」
「結婚式込みだもんな。おまけに仕事でゆっくりしてる暇も無いときたもんだ」
「お互い辛いよな~。澪は何かのリーダーしてるんだろ? 人の上に立ってるんだから尚更だよな」
「四月からは主任だ」
「げっ……また昇級かよ」

そこで溜息を一発。傷付いたスーツ戦士達がベースキャンプに帰るような静まり返った車内ではそれすらも煩く感じられる。

「課長が辞めるからだよ」
「ああ……そっか、みっちゃんの分の繰り上げ昇級か」
「そんなとこ」

まったく……おめでたい話だ。結婚と仕事、天秤に掛けたら絶対に仕事を取るなんて言っていたあの人がもうすぐ笑顔で嫁いでいってしまうのだからな。
きっと喫煙者はこういう時に煙草の量が増えたりするのだろう。……まあ吸った事が無いから分からないが。







143 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 04:57:05.21 ID:lbnm/+LS0
「そういう澪も意外と結婚近かったりしてな」

冗談顔で言う律。だが……

「止めてくれ」

マジ顔で拒否してしまう自分が居る。とても結婚式で幸せの空気をお裾分けしてもらったばかりの人間とは自分でも思えないな。……いや、出席したから尚更か。

「唯……幸せそうだったな」
「……ああ」

そこは否定しない。否定しないが……

「でも……すっごく疲れてたな。二次会も途中で寝ちゃったし」

あの倒れるように寝入ってしまった姿を見ると……どうもな……。

「披露宴の準備って大変らしいからな。花嫁の手紙読んで泣いたりする時も実は感極まってとかじゃ無くて式を挙げるまでの苦労の日々を思い浮かべて、それが終わって一安心した時に来る安堵の涙だったりすることもあるらしいし」

何だそれ?

「本末転倒じゃないか。高い金払って豪勢な式挙げて、準備で苦労した分勝手に泣いてって……そんなの何が良いんだよ」

律は優しく笑って返す。

「それでも挙げたいんだろ。ウエディングドレスなんてやっぱり女の子の憧れだろ? 実際唯もめちゃくちゃ綺麗だったしな」

まあそれは認めるにしても……だ。







144 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 05:02:29.76 ID:lbnm/+LS0
「やっぱり私には分からないな。結婚の良さも、結婚式の良さも」
「おやおや、結構楽しんでいるように見えましたが澪さん?」
「出席側としてはな。だけどいざ自分がと考えたら死んでも御免だ。今ならムギの持論に百二十パーセント同意できる」
「ああ……ここにも少子化を促進する若き乙女が一人……」
「何とでも言ってくれ」


三駅ほど過ぎてだろうか。律は自身の会社のある最寄り駅へと向かう為に電車を降りた。また一人になった私は白い吊革に掴まって寂しく家路を急ぐ。
まあ家に帰る前に寄るべき所もあるし別に急ぐ必要も無いのだが、それでも私は一駅毎に降りては乗って来る同じような顔をした企業戦士達と顔を合わせるのが嫌だったので、妙にイライラして目的地までの到着を待つ事となった。

私もこの風景の一つになってしまっているのだろうか? 疲れた都会の一風景に溶け込んでしまう顔をしているのか?
そんな事を思った時、汚れた窓に映る自分の顔と目が合った。……大丈夫。隈も出来ていないし、顔色も悪くない。だが何だろう? 何かスッとしない。

「……バカバカしい」

そのとりとめの無いもやもやの正体に私が気付く事は無く、吐き捨てるように息を一つ車内の虚空に残してその場を去った。
妙にイライラした年頃のOL。ヒールをツカツカと鳴らして人々の喧騒をBGMにホームを歩く
……何だよ、完璧に東京名物の夕暮れ風景じゃないか。
そんな事を思いつつ、私は電子パスを取り出す為に鞄の中へと手を伸ばしたのだった。







145 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 05:09:03.75 ID:lbnm/+LS0
「……大丈夫か?」

首肯で返事をするベッドの主。だがどう見たってどう考えたって大丈夫では無い。やせ我慢ここに極まれり、だ

「……嘘つくなよ」

今度は首を横に振ってみせる彼女。これで大丈夫なら世の人間は大抵の場合仕事や学校を休まなくて済む。

「電話……」
「ん? どうした?」

蚊の鳴くような声だ。細くて弱い、それこそ今にも消えてしまいそうな。

「出れなくて……すいません……」


現在午後六時ジャスト。
我が麗しの秋山宅から徒歩五分の場所にある平沢宅へ到着した私を出迎えたのは、鍵も掛かっていない玄関の分厚いドアだった。
……そしてそれを不審に思いつつも勝手にお邪魔して最初に目に飛び込んで来た光景がコレ。
玄関に置きっぱなしのスーツケース、床に脱ぎ散らされた洋服、そしてベッドの上で苦悶に声を喘がせる部屋の主。
暖房も入っていなければ照明も点いていないという何とも寒々しいこの部屋で彼女は一人、このどうしようもない戦いに丸一日明け暮れていたというのだろうか。
……本当に風邪だなんて微塵も思わなかった自分をブッ飛ばしてやりたいな。

「気にするなよ。会社にちゃんと連絡入れてたんだからそれ以上は言わないさ」

そう言って照明のスイッチを入れ、彼女が横になっているベッドの枕元へと歩み寄る。
灯りに照らされたその火照り顔を見れば額も首もパジャマまでびっしょりじゃないか。恐らく全身汗まみれなのだろう。







146 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 05:19:35.08 ID:lbnm/+LS0
「結構酷そうだな……」

そこで私は身を震わせた。そういえば暖房が着いていなかったんだっけな。いくら何でも寒過ぎる。これでは治る物も治らない。

「暖房のスイッチは?」

布団の中から弱々しく這い出た指で差された先に目をやる。それを目で追えば小さな本棚の上にブツが鎮座していた。
ほんの少し温度を高めに設定しても別に文句は言われないだろう。地球さん、ごめんなさい。

「ちょっと待っててな」

そう言って家中を漁り回り用意した物は看病用具一式と着替えだ。
パジャマの生地が変色するまで汗を掻けるとは逆にその治癒能力を讃えるべきなのかもしれないが、いずれにせよ濡れたままでは治らない。それに汗も掻きっぱなしでは気持ち悪いだろう。

「憂ちゃん、着替えようか」

そう言って彼女の軽い体をベッドからゆっくり起こし、パジャマを脱がせて濡れタオルの後に乾いたタオルで体を拭いて行く。
流石に下着の着替えは自分でやってもらったが、それでも病気の相手を気遣いながらこういう作業をするのは結構骨が折れる物なのだと実感した。
本職の介護に比べてればこんなのウォーミングアップ程度にもならないのだろうが、それでも生まれてこの方看病なんてしたことが無い私にとっては明日の筋肉痛を呼び起こすのに十分な物に違いなかったのである。

「よし、寝ようか」

テレビでたまたま見ていた病人の体の扱い方を真似、首に負担が掛からないようにゆっくりと手を入れて枕へと着地させる。……明日は右腕が上がりそうにない。

「薬は……あるな。ご飯は……」

弱々しく横に振られる首。晩春の風に吹かれる摘み忘れの土筆のようだ。







149 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 05:25:42.11 ID:lbnm/+LS0
「……そりゃそうだよな」

もう一度顔の汗を乾いたタオルで拭い、よく冷えた冷却湿布を狭い額に張り付けて台所へと向かう。流石に清潔感抜群だな。シンクに至っては問屋から卸したてのようにビカビカ輝いている。

「……欲しい」

なんて戯言はいいんだ。どうせ「やる」と言われても持って帰れないしダブるし。今は黙って卵のお粥でも……。ほれ、ガチャッとな。

「……ああ?」

どこかの江戸大工の頭領のようなべらんめぇ口調で開いた冷蔵庫の中へケチをつける私。……だが、これではケチの二つや三つくらいつけたくもなるというものだ。

「何じゃこりゃ……」

ここまで呆気に取られたのは人生でそう何度も無いぞ。まさに不意打ち八兵衛だ。
冷蔵庫の中に入っていたのは酒、酒、酒、あとはつまみと思しき食材と調味料がほんの少し。賞味期限間近の豆腐とパックのロースハム。あとは醤油&ケチャップ&マヨネーズ&焼き肉のタレ。それ以外は全部酒。
安物発泡酒のロング缶、各種カクテルのロング缶、トニックウォーターに日本酒のカップに未開封の白ワイン。

「ん? トニックウォーター?」

まさか……と思いつつ冷蔵庫と入れ替わりに開けた冷凍庫の中を見てまた愕然。今度は敷き詰めるように並び置かれ、霜まで被った大量のジンの瓶が居座っていやがった。

その端の方にはほんの申し訳程度にロックアイスと冷凍のポテトが顔を覗かせている。これは……。

「おいおい……」

頭を掻きつつそのまま台所中を引っ掻き回す。棚という棚、シンク下の収納スペース、開ける所は全て。
頼むから出てきてくれと懇願しながらの作業ではあったが、結局その五分間は徒労と銘打たれてしまった。出てきたものと言えばスルメ、乾き菓子、ブロックチョコ、やはりつまみの品々ばかり。







150 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 05:30:51.30 ID:lbnm/+LS0
「どうなってるんだよ……」

そう、この家には米一粒、卵一個、小麦粉一グラムすらも存在していなかったのだ。
それどころか今更ながらこのキッチンを見渡せば更なる違和感に気付く。そう、あまりに綺麗過ぎるのだ。
いくら家事が上手な人間が万全の心構えを持って調理に臨んだとしても、約九ヶ月も住んでいてこの清潔さと調理器具の無傷さを保っていられる事など百パーセント不可能だろう。

この清潔さは保たれた物では無い。最初に在った状態を保存しているに過ぎないのだ。私には分かる。
何故なら……これは私が今の家で一人暮らしを始め、まだ炊事をしていなかった時と同じ状態だからだ。

「憂ちゃん……」

キッチンからそっと顔を覗かせ、ベッドの上で息を荒げる彼女を見る。今にも泣き出しそうな顔で只々苦悶するその姿に、ふと大学時代の自分が重なった。
友人も居らず、頼れる人間も居らず、只々苦しみ悶えた大学二年の冬のアパート。薬を買いに行こうにも足腰が立たず、何かを胃に入れようにも吐き気がそれを拒み、終わりの無い輪廻のような絶望感に打ちひしがれたあの時の思い出が脳裏を過る。

……きっと昨夜も苦しかったんだろうな。だったら……一刻も早く楽にしてあげなくてはなるまい。

「憂ちゃん、ちょと待っててな。家に帰ってお粥作って来てあげるから」

その言葉が聞えたかどうかは分からない。
返事も首肯も無かったしな。まあ意識が朦朧としているかもしれないし、首を振る気力が無いだけかもしれない。

私はそんな彼女を一人残し、冷蔵庫の中にあった豆腐を掻っ攫って自宅へと踵を返した。
体に良いと聞くし、絹ごしなので細かく切れば喉越しもよくなるだろう。明日までに食べきらなければゴミ箱行きというなら絶対に食べた方がいい。
そんな浅はかかつ真理的な理由でお粥の具となる事を決められた絹ごし豆腐を片手に、私はコンクリートの階段を駆け降りる。

……何だか憂ちゃん関連だとヒールで走らされることがデフォになりそうで怖いな。
そんな事を思いつつ、私はやはり踵を折る覚悟でアスファルトを蹴り、自宅までの短い道のりを走り出すのだった。







151 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 05:36:02.36 ID:lbnm/+LS0
「えっ?」

白衣の男性の口から発せられたその言葉は、割とあっけらかんと考えていた私の胸を徐に串刺しにした。

「詳しく検査してみないと分からないけど、恐らく過労とストレスが原因だね。後は偏った食生活と過度の飲酒。」

入院。先の私の小さな呟きの前に告げられた泊まり込み前提の治療。
点滴打ってもらって、適当な物食べて、薬飲んで寝とけばそれでOKだろうだなんて考えていた私にはやはり驚嘆の一言でしか無かった。


今更ながらではあるのだがここは病院だ。
都内でも大きい方に入る総合病院で、ここいら地域一帯の医療を全て担っている言わば近隣住民の保健室的存在なのである。
私は社会人になるに当たって西東京の学園都市からこの東東京のベッドタウンに越してきて以来ずっとこの病院に世話になっている。
医者も看護士もそれなりに人の良い人間が多い感じで、「入院する際は是非当院で!」と何度か不吉なお誘いを受けた事もある。

まあこの人生中は周囲の人間も含め入院などという言葉とはてんで無縁に歩んで来ていた為、その時は笑って「考えておきます」とやり過ごしたのだが、まさかこんなに突然その機会が訪れる事になろうとは思いもしなかった。
実際に入院するのは私では無いのだが身内も同然の人間が数日間この病院に缶詰にされようとしてるのだ。流石に動揺を覚えない訳が無い。

そもそも憂ちゃんをここに連れてきたのは薬を飲んでも高熱が治まらなかった為、点滴でも打ってもらおうという軽い気持ちでの事だったのだ。
朝一の開診時間に合わせてタクシーで乗り付け、まあ仕事には少し遅れるくらいの気持ちで居たのだが……。

「えっと、ご家族の方は?」
「ああ……この娘一人暮しなんです。何か問題がありますか?」
「いや、問題という程の事では無いんだけどね」

中肉中背初老の白髪医師は腹を掻きながら続ける。







152 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 05:41:32.63 ID:lbnm/+LS0
「着替えとか身の周りの物を持って来てあげて欲しいんだよね。平沢さん……だったよね。平沢さんはこのまま入院できるように用意出来るんだけど、病院の者が家まで上がり込んで着替えを取ってくる訳にもいかないしねぇ」

それもそうだ。昔の田舎ならいざ知らず、現代の東京でそれをやる医者が居たら間違いなく地域誌朝刊の三面記事くらいにはなる。

「じゃあ私が取って来ます」
「そうしてくれるとありがたいよ。ああ、彼女の保険証は受付に預けてくれているかな?」
「はい。間違い無く」
「よし、じゃあ書類なんかは取り敢えず後回しにしよう。すぐにでも着替えなんかを取って来てあげるといい。ああ、何なら仕事の後でもいいんだけど……」
「それは……」

ダメだ。今日は得意先との飲み会が入っている。とても一回病院に寄っている暇は無い。あそこの部長は気難しくて嫌いだ。

「いえ、都合があるのですぐに持って来ます」
「分かった。戻ってきたら受付で部屋番号聞いてね。あとご家族の方には一度病院まで電話するよう言ってちょうだいな」
「分かりました。どうもありがとうございます」
「ん、付き添い御苦労様。お気を付けてね」

にっこり微笑む老人医師に頭を下げ、私は急ぎ足で病院の廊下へ飛び出した。
やる事がとにかく山積している。会社への報告、一日のスケジュールの組み直し、時間の調整。微々たるものから人の段取りを着けなければならない物まで様々だ。

……それにしても今週いっぱい憂ちゃんが居なくなると考えただけで本当に頭が痛い。
彼女が居ないということはつまり書類のタイピング担当が居なくなるという事で、それはつまり作業全体がそこで滞ってしまい遅々として進まなくなるという事を意味しているのだ。
我が班……というよりは私の彼女への依存度は本当に高いのだな……と改めて実感させられてしまう。そんな事を頭を掻きながら考えている内に気付けば建物の外に出ていた。







153 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 05:46:38.93 ID:lbnm/+LS0
医療機器に障害が出るからと電源を切らされていた携帯電話をさっと開き、赤い表記の電源ボタンを押し込みながら列を成して客待ちをしているタクシーへと乗り込む。

「二丁目のスーパーの前までお願いします」
「最近出来た方ですか?」
「はい、お願いします」
「承知しました。ワンメーターで着かせます」

頼もしい限りの言葉だ。なら私も硬貨は二枚以上出さないぞ。

「発車します」

その言葉の二秒後、サイドブレーキを解かれた白のタクシーは長い長い坂を下り始めた。
携帯が立ち上がり、電話帳から本社営業課長のデスク直通の番号を拾い上げたのはそれから間もなくの事だった。



昼休みの給湯室。
後輩から売ってもらったあんパンを一気に頬張ってお茶で流し込んだ私は、備え付けの小さな冷蔵庫を背凭れにして地元の友人へと急ぎの電波を飛ばしていた。午後一番の会議の用意があるのであまり時間は取れない。
ちなみに電波を飛ばしている先はもちろん先週末に式を上げたばかりのフレッシュ新妻、唯の携帯である。

『お掛けになった―――』

ワンコールも鳴らずに受話スピーカーから流れてきたその女性の声に心の中で舌打ちをし、すぐさま電源ボタンを押し込んで電波を遮断する。
まあ正直半分こうなるとは思っていた。今はどう考えたって仕事中のはずだ。パティシエの業務内容までは知らないが、恐らくホールケーキでも焼いているのではないだろうか?

「店は……っと」

英語で掲げられた店名を何とか思い出し、さっと電話帳のその文字にカーソルを合わせて通話ボタンを押す。
無機質な呼び出し音を鼓膜がキャッチしていると今度は先程とは逆にワンコールで通話が開始された。







154 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 05:51:48.56 ID:lbnm/+LS0
『お電話ありがとうござ』
「唯、私」

接客基本用語の至極常套的な出だしをさっと遮り、私は何の躊躇いも無く彼女との会話を切り出した。
まさか結婚式の二次会で散々くだを巻いた相手の声を忘れてはいまい。これで和と勘違いでもされれば些かショックだな。

『あっ、澪ちゃん! この前はありがとうね~。今夜にでも電話しようと思ってたんだ~』

いつもながらほんわかふんわかほんわかほい♪なのはいいのだが、今はそれどころでは無い。あと五分後には資料を会議室の机に並べ終えておかなければならないのだ。
社長も欠かさず出席する月一の営業全体会議。最終チェックの手が抜ける程甘っちょろい物ではない。

「唯、世間話で電話したんじゃないんだ。今から言う事落ち着いて聞いてな」

受話スピーカーの向こうから『ん?』と不思議そうに喉を鳴らすような声がした。大方首でも傾げているのだろう。

「憂ちゃんが入院したんだ」

息を一つ挟んで言ったその言葉には別に何の含みも持たせていない。只々有りのままを述べたまでだ。

『……え?』

その声の裏でカツン、と本当に小さな音がした。恐らく手に持っていたボールペンでも落としたのだろう。

「そんなに大袈裟な病気じゃないんだ。普段の食生活とかが乱れてて体力が落ちてたみたいでな、一昨日こっちに帰って来てから体調崩してずっと寝込んでたみたいなんだよ。多分移動で一気に疲れが出たんだろうな」

その間スピーカーからはノイズ以外何も聞こえなかった。息遣いすら感じ取れやしない。







155 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 05:56:58.77 ID:lbnm/+LS0

「昨日仕事休んだから私が看病に行って、今朝病院に連れて行ったらそのまま入院。殆ど検査みたいなもんだけど、ついでにゆっくりさせた方がいいってお医者さんに勧められてな。悪化でもしたら流石に責任取れないからじゃあ……って事でお願いしたんだ」

出来るだけ簡潔に経緯を伝える。もちろんチラチラと壁掛け時計に目をやるのも忘れない。

「で、唯。やってもらいたい事があるんだ」
『え……あ…………』

どうやらお姉さまは言葉が出て来ないようだ。まあ突如妹が入院しただなんて告げられてもこうなるのが関の山なのだろうな。そこは素直に賛同しよう

「唯、床に落としたペン拾ってメモの用意」

だが生憎だがその妹が入院したおかげでこちらの仕事量はマシマシなのだ。まさしくチョモランマ状態。
別に憂ちゃんのせいではないし、上司同僚として欠員のカバーをするのは当然の事なのだが、生憎それを処理するのに掛かる時間という永世万理的中立物とだけは激しく折り合いがついていないないのだ。

つまり決った時間で普段以上の仕事をこなさなければならず、尚且つ今日は六時からの楽しくも無いアルコール摂取が義務付けられている。
悪いが唯の心情を察する事は出来ても、それに心から同情している暇など今は一秒だってない。……無いんだ。

「早く」
『あ……う、うん』

衣服が擦れる音がする。屈んでペンを取ったのだろう。

「今から言う番号に電話して欲しい。病院の番号だ。一応家族にも説明しておかないといけないからって言われたからな。……メモの用意出来てるよな? 言うぞ?」
『いいよ。言って』

微かに震えて感じたその声での返答を受け、私は手に握った診察券を見ながら九桁の電話番号を集音マイクに向かって告げた。それを二回繰り返し、唯にも復唱させる。







156 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:02:07.22 ID:lbnm/+LS0
「じゃあ早めに連絡入れてくれよな。私も出来るだけ多く病院に行って面倒看るからさ」

そこでもう一度時計をチラリ。もうそろそろ限界だ。いい加減給湯室なんかに籠っていていい時間では無い。

「私、そろそろ仕事に戻らないといけないから切るな」
『う……うん、分かったよ澪ちゃん。ありがとね。憂にお大事にって……』
「ああ、言っとくよ。じゃあな」
『うん、バイバイ』

最後の言葉を聞き届け、唯がまだ耳に受話器を当てているかと思いつつも、私は手早く電源ボタンを押し込んで電話会社を中間に挟んだ電波の飛ばし合いを終了させた。
これで一応の義務は果たした事になる。次は私自身の務めを果たさなければならない。新人が初めて上げた定期報告書にタイプミスが無い事を祈り、私は給湯室を後に……

「おお秋山さん」

突然掛けられたその声の主が誰かと聞かれればそれは十中八九間違いなく正解が出せる相手なのだが、目を上げればやはり課長だった。
つい昨年末までは出世街道まっしぐらのエリートコースをひた走っていた女課長なのだが、年明け一発目の突如の結婚宣言と共に来月いっぱいでこの会社を去る事が決定している。この会社に入って研修時代からずっとお世話になっている身としてはやはり寂しいものだ。
本来なら満面の意味で祝ってあげなければならないはずなのに、左手のシルバーリングが些か疎ましく感じてしまう自分の性格が……少し憂鬱だ。

「早くゴートゥー会議室! 仕切る人が居ないと士気も上がんないよ~?」

笑顔で私の肩をバシバシ叩いて来るこの些細なやり取りが、あと何度味わえるだろうか。……考えただけで寂寞の想いが胸を占める。

「はい、すぐ行きます」
「あ、ひょっとして平沢さんのご家族に?」

グーから親指と小指を広げ、受話機を模して見せる課長。
……言えない。そのリアクションから昭和の香りがプンプンするだなんて口が裂けても言えない……。







157 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:12:35.57 ID:lbnm/+LS0
「は、はい。連絡も着いたんで一安心です。後は平沢さんの分の仕事の分担を決めるくらいですかね」
「む、よろしい」

私も流石に職場で憂ちゃんだなんて言っている訳ではない。向こうも私を秋山先輩だ。もうすぐ先輩の代わりに主任が付く。

「今日はリーダーが接待もあるし、秋山班はバッタバタだね」
「はい、でもそれは仕方ないです。まさか入院までさせられるなんて思いもしませんでした」
「平沢さん顔色良かったもんねぇ? 私も健康管理はバッチリと思ってたんだけどなぁ……」

そう言って課長は私の横をすり抜け給湯室に入り、冷蔵庫から箱入りの栄養ドリンクを取り出した。

「それ……確かすっごい高い奴ですよね? コンビニなんかじゃ売ってない」

クイッと腰に手を当て、課長はカッコよく一言。

「安物は……アタイの身体に染み込まないのさ」

敵を切って捨てた用心棒が骸に向かって語りかけるようなその口調。要は安物を飲み過ぎて効かなくなったという事でいいのだろうか?

風情漂う給湯室での栄養補給。気つけ薬のような匂いがこちらまで漂って来るような瓶の中身を、課長は一気に口へと流す。

「プハー! まっずい!」

そんな良薬を口に流す機会などもう数える程も無いのだろうな。
再来月にはもうこの御姿が拝めなくなる。早かれ遅かれいずれは来ると思っていた別れの足音がゆっくりと近付いてきているのだ。

「やっぱ高いのは違うねぇ! 胃の底から熱を感じるよ!」

まあ……精々その薬を苦く感じてくれている事を祈ろう。財布から出した金に見合うだけの働きをどうかこの人に。今日の会議は……長い。







158 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:17:42.24 ID:lbnm/+LS0
「食前の薬」
「持ちました」
「ミントガム」
「OKです」
「今日の目標は」
「二軒目に誘われる前に敵将を潰すことです」
「その為には」
「やはりチャンポンかと」
「成功する確率は」
「七割程度かと」

二人してぶつくさ言いながら集合場所の一階フロアへ向かう私と課長。日頃の行いの良さが幸いしてか、何とか会議もその他の雑務も恙無く終了させることが出来た。
まあ会議で問題になった書類の誤字脱字は班員全員に連帯責任として猛省してもらうとしよう。今日はリーダー命令で私以外の秋山班員は全員残業だ。

「あの店美味しいんだけど、いっつも軟骨の唐揚げ売り切れてるんだよね~。あれ目当てで来る客も多いってのに……仕入れ多くなんないのかな?」
「敢えての品切れでプレミア付けてるんじゃないですか? リピーター獲得作戦とか」
「あ~、あるかも。鍋が美味しいからどうしても嫌いになれないんだよね~」
「それ完全に術中にハマってますよ」

そんな哀れな班員達をオフィスに残し、私達はこれから一緒にモツ鍋屋に行かなければならない。自発的なアルコール摂取ならばいいのだが、これは生憎得意先との飲み会だ。
接待が男の仕事だなんてもう昔の話。やはり向こうも独身の女と話した方が楽しいのか、わざわざ私達二人に御指名が入ったのだ。
キャバクラじゃないんだから……まったく……。

「ま、さっさと帰れるように尽力しますか」
「了解です」

と、その時


ピリリリリリリリリリ







159 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:26:13.31 ID:lbnm/+LS0
「あれ? 私?」

少なくとも私の携帯では無い。こんな煌びやかな音色の着信音を設定した覚えは無いし、オフィスの中では常にマナーモードだ。……あなたから教わったんですよ、課長?

「ちょっち待っててね」

小さなトートバッグを漁りながらフロアの隅へと消えて行く課長。
愛しのダーリンからのコールだろうか? いや、婚約をしているからフィアンセか。何にせよすぐに話をつけて戻ってくるだろう。接待とはつまり仕事の一環。
あの人がプライベートの電話なんかで仕事の待ち合わせ時間に遅れるような事態を発生させるなんて、滝登りをしたメダカが鳳凰になって人々に災いを齎すくらいあり得ない事なのだ。

……と、そんな至極どうでもいい事を思いながらふと床を注視してみる。
ビカビカに磨き上げられた白い床に仕事上がりの同僚達が様々な表情を浮かべて出口へ吸い込まれていく様を見届けつつ、その先にあるそれぞれの暮らしなんかを勝手に想像してみたりなんかする。

あの女の人は顔やスタイルはいいが性格が頗る悪いので彼氏が出来ず、休日には似たような友人達と洒落たオープンテラスのカフェに集まって「いい男いないよね~」なんて愚痴をこぼし合っていそうだ。まずは自分を見直しなさい。

あの男の人は派遣社員で正社員と同じ量の仕事をこなしながらも給料は約四分の一程度。その上彼を疎ましく思っている正社員から受ける覚えの無い執拗な叱責を飛ばされていそうだ。憂さ晴らしに今夜も一人で居酒屋かな? 頑張って。

そしてあの女の人は何だかんだで勝ち組になりそう……って、課長じゃないか。
手に携帯を持っていない所を見るともう通話は終了したようである。やはり話を付けるのが早い……って、何だあの笑顔?

「接待中止!」
「ええっ!?」

両手で大きくバツ印を作る機敏な動作があまりにも豪快だ。たちまちフロア中の視線がこちらに集まる。
まあどうせ皆「またあの人達か……」くらいにしか思っていないのだろうが。……それにしても。

「何かあったんですか?」

とても追加の仕事が入った様なリアクションでは無いのでそこだけは安心できるが。







160 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:31:33.85 ID:lbnm/+LS0
「何かあったぜぇ!」

テンション上がりっぱなしの課長がく~るくるスピンを決めながら万歳を三唱する。あの……まだ火曜日ですよ?

「向こうの社員さんが二人飛んじゃったんだって! お陰で朝から大パニック~! 飲み会どころじゃないんだってさ~!」

ケラケラ笑いながらいう割には由々しき事態だな、オイ。

「じゃあさっき電話は……」
「うん、向こうの部長さん。半泣きでキーボード打ってたよ。その向こうは阿鼻叫喚JI・GO・KU……!」
「ありゃりゃ……」

なんて言いつつ、正直そんなに驚く話でも無かった。あの会社がブラックだっていう事は知れた話だったし、いつも接待の席に同行する下っ端社員達の顔の青い事青い事。
一体どんな人使いをしていたのだろうかね? まあ見てみたい気がしないでも無いが、味わいたくは絶対に無いな。

「じゃあもうここで解散でいっか。律儀に飲みに行く事も無いっしょ?」

一年前なら構わず行っていたのだろうが、流石に栄養ドリンクを飲んでまで臨んだ平日業務の後に乾杯をする元気は無いか。それこそ婚約者に会いにでも行くのかもしれないしな。

「はい、じゃあここで失礼させてもらいます」
「ん、よろしい! じゃあまた明日!」

そう言って再びトートバッグから携帯を取り出し、電光石火の早業で出口へと消えて行った課長。最後の笑顔は恐らく私に向けられたものでは無かったな。
そう、あれは男を見る目だ。それも最愛の人を見る時の目。つい三日前に地元の立派なチャペルで同じ目を見てきたから間違いない。

「そういえば……」







161 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:36:49.59 ID:lbnm/+LS0
唯はちゃんと病院に連絡しただろうか? 恐らく大丈夫だとは思うが、一応確認するだけ無駄では無いかな?
何故か高校時代の唯が脳裏に浮かんで「大丈夫だよぉ~!」なんて言ってきたが、その分逆に心配になってきてしまった。

課長と同じくバッグから携帯を取り出し、発信履歴の上から二番目の番号にカーソルを合わせて通話ボタンを押し込む。
相変わらずパティシエの業務内容までは知らないが、恐らく今頃は売れ残ったマカロンでも齧っているのではないだろうか。

『お掛けになっ―――』

ワンコールも鳴らずに受話スピーカーから流れてきたその女性の声に今度は溜息で応え、すぐさま電源ボタンを押し込んで無駄に回線を支配している電波を遮断する。

「あっ……」

ディスプレイの右上に申し訳程度の小さなアラビア文字で表示された時刻が目に飛び込んで来た。
そうだ。接待があるからなんて安っぽい事情で断念していたが、それが無くなってしまったのだから今からでも舵を切るなんて事は十分出来るじゃないか。

私はまたまたバッグを漁り、日曜の昼間にムギの店で買ったばかりの長財布を手に取った。
本当にユニークなデザインだな。TとKのアルファベッドが重なったブランドロゴが、まるで山方の彼方に消える夕陽のような金の光を放っている。
まるで野球球団のようなロゴだが、これを考案した人間が全国に十二個あるプロ野球チームの名前を一つも上げられなかった事を考えると、関係性は全くは無いのだろうな。

まあこの財布の事はいい。今は中に収まっている長方形のカードに用があるのだ。それをカードホルダーの一番手前に見つけ、さっと取り出して右下枠外の小さな表記を確認する、

『面会時間:午後一時~午後八時迄』

よし、大丈夫だ。今から行けば移動時間を差し引いても暫くは居座ることが出来る。
私は診察券を財布に戻して鞄に仕舞い、携帯をポケットに入れてまるで溢れんばかりの人が吸い込まれるように向かっている出口へと向けて歩を進め出した。

現在時刻は十七時十五分。日付が変わってからまだあんパンとお茶しか入っていない胃が悲鳴を上げているのを軽く無視しつつ、私は最寄駅へと向かう人々の流れの中へと身を投じたのだった。







162 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:42:07.15 ID:lbnm/+LS0
「えっと、今日からお世話になってる平沢憂の見舞いに来たのですが」

朝と同じ受付で彼女の居る病室を訊ねる。
名札の写真よりやや年配気味に見える看護師さんは最初三十くらいに見えたが、何とまあ以前私が診察を受けた時に保険証を見て「同い年ですね!」と意味も無くはしゃいでいたハイテンションナースだと気付いた時は流石に気マズかった。
余程の激務に耐えているのだろう。笑顔が浮かんでいるだけでも殊勲物だと言わんばかりの濃い隈が私を睨んでいた。

「えっと……平沢さん平沢さん…………あっ、A棟の三〇二号室ですね。事前に放送が入りますが二十時になると入り口が閉まってしまいますので、余裕を持っての退出をお願い致します」
「ご丁寧にどうもありがとうございます。お仕事頑張ってください」
「はい! ありがとうございます!」

あの頃と元気は変わらないようだが、吐く息に微かに染みついた煙草の匂いが哀愁を感じさせた。彼女のような人間を天使と揶揄しないで一体どんな女性を天使と呼べというのだろうか。
何度でも言う、頑張って下さい。

「あ、お客様!」
「はい?」

病院でもお客様なんだな。まあ金を払う立場には変わりないので別にいいのだが、感覚的に違和感が生じるのは正直言って否めない。

「携帯電話の電源は……」

何だそんな事か。最後まで聞く必要も無い。

「もう切ってます」

そう告げると看護師さんはニコッと笑い、院内A棟へと歩を進める私をジッと見送ってくれた。
人生色々。この道に従事すると決めた時にはあんな隈が出来ると想像していたのだろうか?
夢とは……儚くて恐ろしいものだ。







163 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:47:12.36 ID:lbnm/+LS0
三〇二と書かれたプレートの下に六つある入院患者の名前が記されるべきスペース。その六カ所に書かれてあった文字は合計で漢字が三つ、『平』と『沢』と『憂』だけだった。

「うわ~……ほぼってか完全に個室じゃんか」

何とも厚待遇な話だ。入院などした事が無い私でも流石にこれが羨望の眼差しを向けられるべき状況なのだという事は理解できる。
全くの赤の他人が同じ部屋の隣のベッドで寝息を立てているだなんて、私にとっては想像しただけでも身の毛がよだつ事態だ。
もしいつか何らかの事情で私が入院なんかをする日が来でもしたら、その時には貯金を全て叩いてでも個室に入れてもらうよう周囲に言いくるめておこう。
まあそれを何の苦も無く手に入れてしまった女性がこの扉の向こうに居る訳だ。……ラッキーガールめ。

コンコン、と無機質な音を響かせて部屋の内部へとお伺いを立てる。まさか帰れとも言われないだろうが、親しき仲にも礼儀ありだ。
そこは絶対に譲れない第一線。それは、私の私たる確固たる所以の一つなのである。

『どうぞ~』

おやおや、起きていたか。正直「寝ている」にベッドしていたのだがな。まあ声も朝よりは元気そうだしいいさ。

「入るぞ」

そう言って引き戸のドアを開いた私の目に飛び込んできた光景は、とてもではないが自身の視力を疑わざるを得ないような混乱を脳に来たしたのだった。
一度ドアを閉じ、両目を擦りに擦って頬を片方ずつ張る。それが三往復程続いた所で『見間違いじゃないよ~?』という声がやはり目の前のドアの中から聞こえ、私は頭をブンブン振ってもう一度引き戸を開けた。

「ええっ!?」

もう絶対に見間違いでは無い。目の錯覚でも蜃気楼でも幻術でも壮大なドッキリでも無いのだ。……いや、ある意味ドッキリはドッキリなのだろうが……。

「しーっ」







164 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:52:24.11 ID:lbnm/+LS0
鼻の前に人差し指を立てて発せられたその擬音語に、私は激しくデジャヴを覚えた。
それは去る土曜日の朝一。地元のスーパー銭湯でアホ猫にツッコミを入れていた私が「声のボリュームを抑える様に」と諭される様に示されたジェスチャーだったのだ。
だがその諭しを入れた張本人はベッドの上。私の耳には届かないが明らかに寝息を立てていた。……にも拘らずあの時と同じ顔に同じジェスチャーが飛んで来るとはこれ如何に?

「起きちゃうから静かに」

三、二、一……で時間切れ。正解など言わずともがなか?

「三日ぶり、澪ちゃん」

声を控えてウインクを飛ばす昼間の電話相手、そしてベッドで寝息を立てる彼女の姉である新妻様がそこには居た。

「な、な、な、な……!?」

何で!?の一言も出て来ない私の口を手で塞ぎ、彼女はベッドへ向き直って小さく囁く。

「じゃあね憂。また明日来るから」

優しい姉の表情で彼女がそう言った次の瞬間、私は両肩を押されて気付けば強制退室させられていたのだった。本日の面会時間、約三十秒。タクシー代返せこの野郎。……ってか。

「唯!? 何でここに居るんだよ!?」

ああ……やっと出た。

「しーっ! 澪ちゃん声大きいよ」
「あっ……う、うん……」







165 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:57:41.99 ID:lbnm/+LS0
そういえば病院内だったな。朝一のスーパー銭湯とは訳が違う。
いつものボリュームで声を荒げればナースなんかがすっ飛んで来て敷地外へ摘み出されかねまい。注意せねば。

「憂が心配でね、飛んで来ちゃった」

恐らく文字通りなんだろうな。飛行機でひとっ飛びか。

「仕事とかあったんじゃないのか?」
「あったけどさ、身内の入院と比べたら流石に計りにかけられないよ」

まあ、と唯。

「とりあえず出ようよ。私あんまり病院の匂い好きじゃないから倒れちゃうかも……」

それはいけない。唯がそう言うなら本当に倒れかねないからな。せっかくの個室を姉妹の相部屋にするのは流石に忍びない。ミイラとりをミイラにするわけにはいかないしな。

「分かった。行こう」

そう言って私は唯を背に伴って今来たばかりの廊下を正面出口に向かって歩き出した。

……まあその出口まで来た時、唯が「鞄忘れた~!」と大声で叫んで病室に引き返し、私がカーデガンを羽織った例の看護士さんにぺこぺこと頭を下げたというのは最早御愛嬌だ。

唯は唯だな。ああ唯だ。







166 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:08:37.88 ID:lbnm/+LS0
病院を出て、街。
色々と話したい事もあったが互いにろくな昼食を摂っていなかったという事が判明し、私達はふと目に入ったレストランに入った。
我が秋山宅から近過ぎて入った事も無かったが、平日ながらなかなかの盛況ぶりだ。これは期待してもいいパターンだな。

「み、み、み、み……澪ちゃん? 一番安いハンバーグが二千円って……てげ高ぇこっせん?」
「何で宮崎弁になるんだよ……」

何をそんなに驚く事があるのだろうか? 店の雰囲気からして至って普通の値段だと思うのだが。

「わ、私……あんまりお金無いよ……」

その割によく飛行機でかっ飛んできたもんだ。まあ挙式直後なので本来なら出費は抑えたかった所なのだろうが……。

「今日は私が奢るよ。何でも好きな物食べなって」
「ええっ!? わ、悪いよ~!」

学生時代に二十五万のギターを五万にマケてもらった奴のセリフだろうか?

「気にするなって。現金もカードも貯金もちゃんとあるし。……一人暮らしのOLナメるなよ?」

皮肉の文言をさり気なく呪詛代わりに飛ばし、私はさっと洒落たベージュのメニュー表に目を通す。
肉、魚、野菜に各種コース物と様々な品名が軒を連ねてはいるが、どうも納得のいかないメニューを野菜欄の枠外に発見してしまった。

『気まぐれシェフの日替わりサラダ ¥550』







167 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:13:47.87 ID:lbnm/+LS0
この何処の店にもほぼ常套的と言っていいくらいの確率で存在するアホ臭い野菜の盛り合わせが私は嫌いだ。
ある日はミミガーが入っていたり、またある日は山盛りの大根が入っていたり、そのまたある日は鬱憤を晴らすかの如く大量のプチトマトが皿に盛られて出てきたりするこの気まぐれシリーズ。
……ここまでされて気付かないバカも居ないだろう。そう、これは捌けなかった野菜の在庫を一気に処理できる言わばデッドスットックメニューなのだ。
つまり賞味期限間近で新鮮さの欠片も無い野菜達をシェフの遊び心という目隠しで誤魔化し、笑って客に食べさせようというまさしく悪魔のメニュー。それがこの気まぐれシリーズなのだ。
なので気軽に頼んではいけない!! マズい野菜を腹いっぱい食わされることになるぞ!!
……と、以前課長に聞いて以来一度たりとも注文する事が無くなったメニューがこれなのだ。そりゃ嫌いになるってもんだよ。

まあ気を取り直して……。

「私はこの牛肉の赤ワイン煮込みにしそうかな」

ライスでも付ければ腹も膨れるだろう。値段もこのメニューの中では安い方だ。







168 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:19:33.67 ID:lbnm/+LS0
「ひっ! さ、三千百五十円もするよ!? 澪ちゃんホントに大丈夫!?」

ここまで金銭感覚がシビアになるのはやはり自営業をしているからだろうか。
夫婦で洋菓子店経営なんて楽しそうなものだが、やはり財布の紐は固く固くと生きているのだろう。私にはご遠慮願いたい境地だな。

「いいから早く頼もうよ……。あんパンしか食べて無いからお腹空いてるって言っただろ? 唯だって昼抜きって言ってたじゃないか。それに、私はこう見えても金持ちなんだぞ?」

まあ使い道が無いから金が溜まっていく一方なだけなのだが……。

「え、えっと……じゃあ……!」
「決ったか?」
「この神戸牛のレアステーキで!」

それ五千円じゃねぇかこのタコ。

「ライスは大盛りで!」

……まあ言い出しっぺは私なので別にいいのだが。

「すいません」

近くに居たベスト姿のギャルソンに声を掛けた。バチッとハードワックスで固められた髪が男前を演出している。
まあ人並み程度の男前顔なのだが、こういう仕事服できちっと決めているのを見ると二段階ほどランクが上に見えてしまうのは単に私が仕事着フェチだからなのだろうか? ……ゲレンデマジックには気を付けよう。
そんな事を密かに思いつつ、私はメニュー表だけを見てさっさと注文を述べた。

「以上で。お願いします」
「かしこまりました。ワインはお飲みになりませんか?若くて手頃な値段の物が幾つかございますが」
「ああ……えっと……」







169 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:25:04.75 ID:lbnm/+LS0
正直飲みたいが……。

「遠慮しておきます。まだ火曜日ですし」
「左様でございますか。では暫しお待ち下さいませ」

丁重な口調と所作でお伺いを立ててくれるギャルソンに微笑みかけ、厨房へと消えて行くその背中を見送る。
……やはりべストを着ていないと魅力三割減だな。人は決して見た目ではないが、別にそこにウエイトを置いたって何も悪くは無いはずだ。

「ん? どうした?」

何故か目を丸くして呆けている唯に問う。ワインでも飲みたかったか?

「こ……こ…………」
「こ?」
「神戸牛……ボケたつもりだったのに……」
「分かりにくっ!」

さよなら樋口一葉さん。牛さんの代わりにレジに行って下さいませ。文句はこの若妻が受け付けます。







170 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:30:16.31 ID:lbnm/+LS0
「ふぃ~……。いいお湯でした!」

下ろしたてのバスタオルで髪をワシャワシャと掻き回す唯。オレンジのパジャマが良く似合っているな。……多少子供っぽいとは口に出すまい。

「普段はお湯なんて張らないんだけどな。お客さんが来た時だけ」
「ええっ?! 何で?」

そんなに不思議な事だろうか?

「手間掛かるし、掃除も楽だし、湯船に浸かる時間が勿体無いし、汚れを落とすなら髪と体を洗うだけで十分じゃないか? 若い人は多いんだぞ?」
「そ、そんな……お風呂で一息つく時間の幸せに変わる物なんて……」
「……ぼた餅食べるか?」
「頂きますっ!」
あるじゃないか……。

「普段洋菓子しか食べて無いから和菓子は新鮮なんだよね~」
「食べてるのか?」
「うん、売れ残りはよく食べてるよ。まああんまり残らないんだけどね。」

いい事じゃないか。このご時世自営業で生計を立てているなんて本当に大したものだ。まして洋菓子店なんてライバルも多そうなものなのに立派に黒字で計上を上げているというのだから尚更だ。

「仲良し夫婦の美味しいお店で通ってるらしいな。ムギから聞いたよ」
「何だか一昔前のキャッチコピーだよね。でも店の名前が売れるのは嬉しいよ」

そう言いながらむしゃむしゃとぼた餅を頬張る唯。
甘い物は別腹説は信じていないタチなのだが、神戸牛をあんなに貪っておいてまだ胃に物が入るというのだからやや認識を改めざるを得ないのかもしれないな。

「支店は出したりしないのか? 今は無理でもお金が溜まったら無理な話でも無いだろ」







172 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:35:29.43 ID:lbnm/+LS0
だが唯はすぐに首を振り

「私達にそんなノウハウは無いよ。ムギちゃんみたいに経営の勉強を専攻した訳でもないし、毎日店の切り盛りだけで手いっぱいだもん。プロの製菓って実はすっごい神経を使う肉体労働なんだよ。雑念が入ったら目の前のお菓子が美味しくなくなっちゃうよ」

ハッキリとそう言った。随分と自分の身の丈を弁えたように聞こえる発言だが、ただ謙遜しているだけのようにも見えて何だか「ちゃんと経営者やってるんだな~」と感心させられたのだった。

「で、その切り盛りが大変な店を飛び出して東京に来た訳だ」

ピクッと体を跳ねさせる唯。口は相変わらず動いたままだ。

「ビックリしたよ本当に……。来るなら来るで一言言ってくれれば色々準備くらい出来たのに……」
「えへへ……悪うございましたなぁ……」

苦笑いで湯気の上がる緑茶を啜る唯。

「でも……憂の事が心配だったから」

そうなんだろうな。そうでなければ鞄一つで東京なんかに出て来るものか。私なら死んでも御免だ。

「……ホントにいいお姉ちゃんだな」


その言葉をきっかけに、部屋には少し沈黙が訪れた。
唯はぼた餅を食べ終えてもいないのに両手を膝の上に乗せて何だか虚ろな瞳でテーブルの木目辺りを注視しだし、それを見ると何故か私も声を掛ける事が出来ず、只々その姿を眺める事しか出来なかった。
普段は気になる事も無い換気扇の羽音や壁掛け時計の秒針が規則正しく刻むスタッカート音が妙に鼓膜に突っかかって来る。
そしてその沈黙が破られたのは、スタッカート音が約三百回程聞こえた頃だった。別に数えた訳では無い。五分経っていただけだ。
唯が口を開く。







173 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:41:00.27 ID:lbnm/+LS0
「……結婚式の前の日ね」
「うん」
「……憂が家のみんなと喧嘩したんだ」

あの日、私と梓がレンタカーで地元の町へ帰ってきた時間、平沢家ではとんでもない修羅場が発生していたらしい。
何でも唯がヤボ用を終えて出先から帰ってきた時、家の中では酒に酔った憂ちゃんが唯の旦那に向かって罵詈雑言を飛ばしていたそうなのだ。
両親の制止も聞かずにとんでもない言葉を吐きだし続ける憂ちゃん。そしてそれを困り果てた顔で聞き続けている唯の旦那。
唯が間に割って入っても結果は変わらず、それどころか事態は悪化の一途を辿るばかり。
そして業を煮やした母親が頬を張った事で憂ちゃんが泣き出し、そのまま家を飛び出したのだとか。
憂ちゃんは翌朝戻ってきたそうなのだが結局家族とは一切口をきかず、その最悪の空気のまま式を迎え、同じように口をきかずに東京へ帰って行ったそうだ。

「そんな事があったのか……」

流石に苦笑いも出なかった。まるでテレビのバラエティー番組で紹介でもされそうなド修羅場じゃないか。あの時の憂ちゃんの暴走っぷりも頷けるってもんだ。

「で、憂ちゃんは何で唯の旦那に啖呵を切ったんだ?」
「啖呵って……」

反論でもしようとした感じのリアクションだったが、当時のVTRが脳内で再生されたかのように「……でもそうだよね」と口を噤んだのだった。
そして唯は仕切り直して続ける。

「実は結婚の前から憂はあの人の事よく思って無かったの……」

それは知っていたのだが、唯はこれまた結構な告白をしてくれた。

「あの人……昔すっごい遊んでたの」

大人が言うからには流石にビー玉やベーゴマでは無いだろう。ズバリ、女だ。







175 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:46:31.53 ID:lbnm/+LS0
「地元であの人の女癖の悪さを知らない人は居ないってくらいの遊び人だったらしくって、私と付き合ってる時も実は色々と噂があったの。私は知らなかったんだけどね」

それはそれは……。人は見かけによらずとはよく言ったものだ。式の時には実直そうに見えたのだがな。

「それで付き合い出して二ヶ月の頃かな? あの人、憂をナンパしちゃって……」
「うわ……」

何だそれ……。とんでもないな……。

「私はツーショットの写真とか見せてたから憂はあの人の事知ってたんだけど、あの人には写真どころか妹が居るなんて話してもいなかったからそんな事になっちゃったんだよね……」
「……で、憂ちゃんは?」
「……お察しの通りです」

トランスフォームだったんだろうな……恐らく。考えただけでも鳥肌がスタンディングオベーションだ。

「まあその騒動がきっかけで他の女の人とは手を切ってもらって私としてはOKだったんだけど、憂はその事がどうしても引っかかってたみたい。私以上に私の事を考えてくれる子だもん……。不甲斐ない姉で申し訳ないよ……」
「唯も唯でよく許したな……」
「初恋だったもん。それに……好きだったから」

お熱い事だ。今でもラブラブチュッチュなくせに。
……ちょっと古かったか?

「で、その事をずっと腹立たしく思っていた憂ちゃんが酒の力で大暴走した……と?」

唯は黙って一回頷いた。まるで自分の事のように申し訳なさげだ。

「そのせいで式でも全然楽しそうじゃ無かったし、二次会に誘っても部屋に籠りきりで話も聞いてくれなかったし……」

ずっと心配だったの……と、唯。







176 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:53:56.86 ID:lbnm/+LS0
実は唯が式の途中もずっと親族席を……いや、憂ちゃんを見ていたのは知っていた。だがまさかそんな事情があったとはな。

「だから式が終わった後もどうにか出来たんじゃないか……ってずっと思ってたんだ。憂が去年の五月から東京に出ちゃったでしょ? その少し前から私の家で三人で暮らしてたからもう大丈夫って思ってたんだ。
憂もあの人と同棲することに賛成してくれたし、あの事ももう許してくれたんだなって思ってた。もし許してくれてなくても、一緒に暮らしてればいつかは分かってくれる……って」

確か結婚が決まったくらいの頃から唯の家で三人暮らしを始めたって前にも言ってたな。憂ちゃんがどういう心持でその特殊な同棲を肯定したかは分からないが、本人は気分のいい物では無かったと酒の席で言っていた気がする。

「でも……そんな時期に憂の転勤が重なっちゃったんだよね。凄く東京に行きたそうにしてたからその時に分かったの。憂はまだあの人の事を許してない。それどころか存在も快く思って無いって……」

はぁ……と息を一つリビングの虚空へと送り出す唯。

「だから止めた。東京に行かないでって必死に止めたの。もう少し……もう少し時間があれば絶対に分かってくれる。憂もきっとあの人の事を許してくれると思ったから……」

でも……。

「憂は行っちゃった……。私とこのまま一緒に居るといつまでもお互い自立できないからもう離れよう、成長しようって言って東京に出て行っちゃった。拒むと嫌われそうだったから私も止められなかったの……」

それは悪い事をした。何故なら憂ちゃんを東京に呼んだのは他ならぬ私だからだ。
お互い自立できない云々と吹きこんで東京に出る口実を作らせたのも私。知ったような口をきいて平沢家の輪を乱したのは私なのかもしれない。
……なんて思っていた時、唯はハッとした顔をして身を乗り出した。テーブルの上の皿がカタンと音を立てる。

「ご、ごめん! 澪ちゃんを責めてるんじゃないの! ただ時期が被ったってだけだから気にしないで!」

結果論でもそれは無理だ。事情を知ってしまったからには責任を感じずにはいられない。

「……いいよ。私も憂ちゃんから色々と話は聞いてたけど、そんな事情があったとは知らなかった。……ゴメン」

謝った所で済む事では無いが、それでも頭を下げずにはいられない。これは気持ちの問題だ。

「わ、私こそ……ゴメン」







177 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:59:12.47 ID:lbnm/+LS0
何だか少し空気が重くなる。またしてもスタッカート音が無遠慮に鼓膜をノックして来て少し憂鬱度を引き上げた。
流石に今度は三百回分も耐えられそうにない。私は仕切り直すように静寂が蔓延るリビングの中空へと声を飛ばした。

「まあ……その話は別としてさ、唯は憂ちゃんと何か話したのか?」
「今日?」
「うん」

あ~……と、唯。

「私が着いた時にはもう寝てたから。一時間くらいして澪ちゃんが来たから出て来ちゃったけど、全然目を覚ましそうになかったよ」

まあそうだろうな。しっかりと栄養を摂ってゆっくりと休むことが目的の入院だ。昼夜問わずに寝てもらっていなければこちらが困る。

「お医者さんから聞いたけど、ろくなもの食べて無かったんだって?」

あの白髪医師に聞いたのだろう。ペらペらと何でも喋りそうな顔をしている昭和の医者だ。これ以上余計な事は喋らない方がよさそうだな。

「ああ、冷蔵庫の中は殆ど酒だったよ。食材なんてぜんぜ……」

そこで私はとんでもない事に気付いた。

「ああっ!!」
「ひっ!?」

思わずテーブルを叩いて立ち上がる。
今朝の自分の愚行に今更気付くとは……私の脳は本当に大丈夫なのだろうか?

「憂ちゃん家の鍵掛けて無い……」
「え、ええっ!?」







178 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:04:38.64 ID:lbnm/+LS0
そう、私は今朝歩くことも出来ないくらいに弱った憂ちゃんを背負って玄関を出、予め呼んでおいた黒のタクシーにやっとの事で乗り込ませ、そのまま迷うことなく病院に直行したのだ。
その間に入るべきドアの施錠という行程を完全に忘れ去っていた。

「わ、わ、わ、私、行って来る!!」
「み、澪ちゃん待って!」

電光石火で玄関から飛び出そうとした私の肩を唯が掴む。

「私も行くよ! 一人より二人だよ!」

いやそんな……と制そうとしたが、よく考えれば時間も遅い。一応ついて来てもらっても損にはならないだろう。

「じゃあ行こう! 走るよ!」
「イエッサー!」

敬礼をしながらスニーカーを突っ掛ける唯。私は生憎律では無いので気の効いたネタ振りが出来ない。
何から何まですまないな。まあ神戸牛のステーキでチャラにしてくれ。樋口さんも喜ぶさ。







179 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:09:49.83 ID:lbnm/+LS0
「よ、よかったぁ~……」

パソコン、テレビ、アクセサリー類が入っているであろう鏡台の鍵付き引き出し。それら全てが今朝のままである事に安堵し、私は思わずカーペットの上に膝を着いた。
万一これで部屋が荒れ放題にでもなっていたら私は憂ちゃんに泣いて詫びなければならない所だった。……まあ施錠を忘れた時点で十分それをする理由にはなるのだが、そこはドジっ娘澪たん御愛嬌萌え~だ。
……嘘です、憂ちゃんごめんなさい。

「うわ……!? こ、これは……」

玄関方向からしたその訝し気な声でなんとか平静を取り戻し、生まれたての小鹿のような頼りない動作で立ち上がる。
まだ先程までのダッシュの余韻でふらつく体を何とか制御して辿り着いたピカピカのキッチンでは、唯が冷蔵庫のドアを開いてショックに打ち拉がれていた。

「私も随分驚いたよ……。おまけにこの家には米も小麦粉も無い。気付かなかった私も私だけど、一体どんな食生活を送ってたのか不思議でた……」

プシュッ

「……おい? 今何かプルトッ」

プシュ

「おい?」

唯さん、あなた一体何を……?

「はい澪ちゃん!」

そう言って差し出されたのは安物の発泡酒のロング缶だ。しかもプルトップも押し込み済みときている。これの意味する所は……。

「はいって……おい」
「はいはい!」







180 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:15:32.62 ID:lbnm/+LS0
「おわっ!」

無理矢理その缶を握らされる。

「乾杯!」

そう言って私の左手のロング缶に自身のそれをぶつけて来る唯。それと同時にゴン、と鈍く緩い音が台所の中空に鳴り響いた。

「人の家の物を勝手に……」

と説教を垂れる前に、唯はもう腰に手を当てて缶の内容物を胃の中へと流し込んでいた。

「ああもう……」

知らない、と私もそれに続く。悪いのは唯だ、私じゃ無い。

「プハー!」

と重なる二つの歓声。断腸の思いで断った赤ワインを今更惜しみつつ、私は唯と一緒にロング缶を半分以上飲み干した。もちろん一気で。
しかしいくらアルコール度が低いとはいえ、この量を一気に胃に入れると流石に少しカッと食道辺りが熱くなる。
これで酔った気になれるのだから発泡酒とは紛れも無く大の付く素晴らしい発明品なのだ。……まあ決して美味しくは無いが。

「いや~、染み渡りますなぁ~!」
「……おっさんかよ」

バカバカしく感じつつも何故かこんな事で笑えてしまう自分が居る。アルコールの力はやはり偉大だ。

「よ~し、せっかくここまで来たんだから妹のお宅拝見と行きますか」
「止めとけ止めとけ」






182 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:21:20.78 ID:lbnm/+LS0
そう言いつつ全く止める気が無い私。
唯の性格上そんなに手荒な事はしないだろうし、しようとしたなら止めればいい。それだけだ。

「ニヒヒ」

なんて不気味に笑いながらリビングへと歩を進める唯に倣い私は台所を出た。もちろん発泡酒を啜るのも忘れない。

「ではまずプライベートな香りが蔓延るこちらの机の中からです!」
「いきなり本丸かよ」

唯はその言葉ににへら笑いで返し、ロング缶をクイッと煽って机の上に置いた。
今まさに目の前で行われようとしているプライバシーの侵害に私は眉を八の字に曲げていただろうか? いや、訝しげな顔すらしていなかっただろうな。

「ではまずはタイムマシンが入っていそうなこの引き出し! こちらからいき……ま……」

どこぞの進行が下手くそなタレントさんのモノマネを突如唯が止め、掌で引き出しを指していた右手がダラリと垂れる。
その力無くこの星の重力に従うだけとなった一肢体とは間逆に何故か視線だけは机の上に置き去りとなっていた。

「どうした?」

そう言って私も唯の目線を追う。今置いたばかりのロング缶、木目、ペン立て。

「……あ」

そのペン立ての隣に置かれている木枠の四角形の存在に気付く。百円均一の店で売っていそうなチープな香りのする図工の授業レベルの別に何のことの無い机の飾り。
ただ彩りを添える為に置いてあるようにも見えるそのスタンドの中では、どこぞの仲良し姉妹がどちらともなく腕を組んで寄り添い合っていた。
姉が制服を着ているので高校時代の物で間違いないだろう。場所は私達の母校の正門前。
卒業証書授与式と書かれた巨大看板の側ではしゃぎながら二人してピースをしているこの姿に、私は間違いなく見覚えがあった。何故なら……。







183 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:26:43.61 ID:lbnm/+LS0
「……私が撮ったんだよな、この写真」
「……うん」

そのフォトスタンドに手を伸ばす唯。ガラス部分に指紋が付かないようちゃんと両の掌でサイドを包んでそれを胸の前まで持ってきたのには拍手を送りたい。

「……憂」

感慨深げながらもどこか哀愁に満ちた顔でガラス越しの過去を覗く唯。
もうギターも背負っていなければ髪にピンもしていないその姿は、写真の中よりずっとずっと大人になっていた。
単に成長や加齢というおざなりな言葉だけでは決して説明が付かないステップを踏んだ彼女。
……この美しい女性を写真の中に帰してあげる術は無いか? それがたとえ一瞬でもいい。この寄り添う二つの笑顔を一度でいいからその瞼で直接見せてあげたい。……割と切実な望みだ。

「唯……」

私は生憎だが青いネコ型ロボットでも特殊な眼鏡を掛けた発明家小学生でも無いので、時空を超える術などは当然持ち合わせていない。
……だが、この二人の間を生きてきた私には知っている事がある。それは一定方向に流れる時間にちゃんとしがみ付いて来たから知り得た事だ。
すべからく時間を勤め、こなしてきた日常の中で得た答え。それは……机の引き出しなんかには入っていない大人の答案用紙なのだ。
タイムマシンに頼れずに生きてきたやり直しの効かない人生の解答を、私は持っている。
私は唯の肩に掌を乗せて話し掛けた。

「憂ちゃんな」

その言葉に肩を跳ねさせる唯。今の彼女の中でそれ程大きな言葉は他にあるまい。

「その唯の家族達と喧嘩した日の夜、梓の家で大酒飲んで大騒ぎしたんだぞ」

えっ? と振り返る唯。私は続ける。







184 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:31:57.59 ID:lbnm/+LS0
「無理に上がり込んでカクテルのロング缶三十本くらい飲んでな、本当にべろんべろんのぐでんぐでん。あんなタチの悪い酔っぱらい今まで見た事無かったよ……」
「う、憂が……?」

頷く私。

「式まで時間が無かったから何とか酔いを醒まさせないと……ってなってな、梓と色々調べてとにかく色々やったんだ。憂ちゃんが式に出なかったら唯のテンションが最悪になるって思ってな。まあ憂ちゃんが酒に強くて助かったよ。夜明け前までにはちゃんと酔いが醒めた」

そこで私はロング缶に口を付ける。麦芽の香りが微塵もしない冷たい液体が喉を熱く湿らせ、ゆっくりと食道を流れ落ちて行った。

「で、何でそんな事したかった訊いたらさ、唯の旦那さんの事を祝いたくないから式に出たく無かったって答えたんだよ。その旦那さんとくっつく唯の事も見たくない……ってさ」

唯の肩から力が抜けて行くのが分かる。露骨にショックを受けているようだ。

「でもな」

その肩に置いていた手に力を入れ、しっかりと聞かせる。

「唯の事だけでも祝ってあげて欲しいって言ったら……頷いてくれたんだぞ」

ハッとして顔を上げる唯。頭を掻きつつ、私は続けた。

「私な、唯達の事知らないから結構失礼なこと言っちゃったんだよ。唯の旦那なんか祝わなくていいじゃないか!とか、唯の為だけに式に出ればいい!……とかさ」

今考えればそんな事を言うべきじゃなかったんだな。唯がどれだけ旦那と憂ちゃんに仲違いを止めて欲しかったかなんて考えてもいなかった。結果論とはいえ、我ながら嫌になるな。

「憂ちゃんも散々悩んだんだと思う。正直披露宴に来ない確率だって二割くらいはあると思ってた」








185 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:37:08.65 ID:lbnm/+LS0
でも……。

「憂ちゃん……来てくれたじゃないか」

そう、来てくれたんだよ。私はロング缶を机に置く。

「憂ちゃんはきっとまだ旦那さんの事をよく思ってないと思う。正直これから先もそれはあんまり変わらないんじゃないかな」

あの騒動に直面した私なりの意見だ。憂ちゃんが「あんな奴」とまで揶揄した人物。どれだけの時間を費やせばそう思わなくなるのかなんて誰にも分からない。

「でも、憂ちゃんはきっとそれで悩んでるんだ。このまま旦那さんの事を嫌いなままだったらその内唯の事も嫌いになる。そう思ってるんだよ」

そんな葛藤を消化できなかったから、誰にも話せなかったからきっと今もこんな事になってるんだ。
ストレスから来る私生活の乱れ、アルコールの過剰摂取、そして何よりそれをさせるだけの心労。そばに居たのに気付けなかったけど……実はボロボロだったんだ。

「だから……。せめて……せめてさ……」

……そこから先は言えなかった。
私がこれ以上入り込めるような問題じゃないし、他者が介入すればきっとこの韓流ドラマばりに厄介な三角関係を更に掻き乱してしまうだろう。
それはきっと誰から見ても望ましくない事で、三角形を形成する頂点側からすれば尚の事なのだろう。そのくらいは流石に私でも分かる。

そして、きっと唯も分かっている。
私が言いたかった事、地元に置いて来た旦那と東京の病院のベッドの上で寝息を立てている妹の事。それと……自分自身の事も。

人間関係とは難しい。一つを追えば別の一つを手離さなければならない時も有るだろう。
だが、それが決して出来ない人間が目の前に居る。優しくて、優し過ぎる寂しがり屋。一人の人間と永遠を誓うというのは一体どういう事なのか?
そんな難しい問題をこれからずっと考えていかなければならない彼女が薬指にはめているリングが、私にはどうも楔に見えてならなかった。







186 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:42:27.96 ID:lbnm/+LS0
金曜、空港。
三泊四日の在京を終えようとしている唯は航空チケットを片手にロビーのソファーでコーヒーを飲んでいた。チケットもコーヒーも私の奢りである。

「チケット代ごめんね……。ちゃんと返すから」
「いいって」

別に金持ちを気取りたかったわけでは無い。
私が思っていたよりずっと金欠だった唯の台所事情を聞くと、チケット代くらい出してあげなければ逆に申し訳ない気がしたのだ。
人付き合いに金は惜しまない。私の座右の銘其の捌だ。

「それより……本当に良かったのか?」
「……うん」
「今なら払い戻しも出来るぞ? キャンセル料掛かったって構わないんだし」

その言葉に唯は首をブンブン振って笑った。眉も八の字だ。

「これ以上お店休んだらスタッフが倒れちゃうよ。それに最近週末は輪を掛けて忙しいもん」


実は唯は東京に来てからまだ一度も憂ちゃんと話していなかったのだ。
別にお互い気まずかったとかそういう事では無く、この四日間ずっと面会時間に被る時間帯に憂ちゃんが睡眠を取ってしまっただけなのだそうだ。

例の白髪医師曰く、憂ちゃんは夜中から昼前まで起きていて正午辺りからまた夜中まで寝てしまうという昼夜逆転のリズムで約半日に当たるの睡眠時間を取っているらしい。薬を飲むと副作用でずっと寝てしまうのだとか。
体を休めることが優先なので面会が無いのは逆に早く治るかもしれないなんて笑っていたが、それは果たして遥か東京まで見舞いに来ている姉を前に言っていい事だったのだろうか?
些かモラルが欠如しているその発言に正直イラッとしたが、まあ今年度で定年退職らしいのでよしとしよう。明日退院する憂ちゃんを迎えに言ったらもう二度と会う事も無いだろうな。

「ちゃんと伝えるよ。唯が面会時間中付きっきりで憂ちゃんの側に居たって」
「いいよ。私が勝手にした事なんだから」







187 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:47:52.67 ID:lbnm/+LS0
そう言って手のコーヒーを空にする唯。ロビー内は暖房もついているし人も多いのだが、雨のせいか何処かじめじめとしていて溜息を誘う。
迷信が本当ならもう一体どの位の幸せを逃した事になるのだろうか? 今度ネットで調べてみる事にしよう。

「それよりごめんね。見送らせちゃって」
「別に」

伸びをしながら答える。

「仕事が思ったより少なかったんだよ」

まあ正直に言えばこれは真っ赤な嘘だ。
憂ちゃんが居ない分本来なら多かったくらいなのだが、昨日課長がそれを全部引き取ってくれて「見送りに行ってあげなよ」と半休をくれたのだ。……私は幸せ者だね。

「お土産買わなくていいか?」

まだ少し見て回る時間も有る。空港土産はこれでなかなか面白い物があったりするのだ。……だが。

「妹の看病に来たのにお土産なんて買って帰ったら逆に怒られるよ。うちのスタッフはみんな年上だからね」

それに……と、唯。

「売ってるのって九割お菓子でしょ?」

ああそうか……。

「洋菓子店の面々にそんな物買って帰っても喜ばれやしないか」
「うちの商品の方がずっと美味しいしね」







188 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:53:04.21 ID:lbnm/+LS0
唯は自信満々にそう言って立ち上がり、紙のコップを捨てて戻ってきた。
だが唯は椅子には座らず、何故か私の前に立つと突然深々と頭を下げだしたではないか。一体何のつもりだ?

「四日間本当にお世話になりました。向こうに帰ったらすぐにお金も返します。
それから、これからも憂が何かと迷惑を掛けるとは思いますがその時はどうかよろしくお願いします。
もう下げられる頭も有りませんが……何も出来ない私からの一生のお願いです。どうか……どうか憂を……妹をよろしくお願いします!」

流石に呆気に取られてしまった。そんなに畏まって深々と頭を下げられたらなぁ……。
そんな事をまず断る理由が無いし、大体東京での面倒は全部見るという条件付きで憂ちゃんをこの街に呼んだのは他ならぬ私なのだ。
この親友の一生のお願いを無下に取り下げられる程私は肝が据わっている人間ではない。何処にでも居る、普通のOLだ。

「……任されたよ」

一応優しく言ってみたつもりだ。こんな言葉の吐き方は梓の前では出来ないな。絶対バカにされる。

「……へへ」

少しはにかんで唯は顔を上げた。やはり少し照れくさそうだ。この旧知の仲でこんなに改まった会話をしたのは実は初めてなのかもしれない。……いや、旧知の仲だからこそ、か。

「……そろそろ時間だね」

手荷物の検査所と巨大な離発着提示ボードの時計を交互に見て、唯はソファーの上の荷物を取った。
何とも名残惜しいものだが、残念ながら時間は絶対に待ってくれないのである。私は立ち上がってコートの裾を払った。

「次は……正月かな?」
「そだね。本当はお盆にでも帰って来て欲しいんだけど……」
「我が社は怒涛の繁忙期でございます」
「……ですよね」








190 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:02:22.24 ID:lbnm/+LS0
私達は互いに顔を見合わせて笑った。そして私は先程唯が目をやったボードに視線を向ける。離陸予定時間まではあと三十四分。確かに丁度いい時間だ。

「ここでいいよ澪ちゃん。あそこ抜けたらもう顔も見えないし、後は一人で行けるから」
「……そっか」

大きめのリュックを愛らしい掛け声とともに背負って、唯はにっこり微笑んだ。……お別れの合図だな。

「じゃあ……またな」
「……うん、またね」

少し眉を八の字に曲げ、唯は名残惜しそうに後ろを向いた。手荷物検査所も空いている。三十秒後にはその姿も見えなくなるだろう。

「……バイバイ」

髪に隠れたその耳に向け、決して届かないレベルのボリュームで声を飛ばし、私はその場で唯を見送る。
……正月か。……長いな。


「お姉ちゃん!!」


突如鼓膜を揺らしたその声に思わず肩を竦めてしまった。周囲の人間がその声の主をギョッとして注視したのが分かる。
……何だよ。とっくに諦めてたのにさ……。

「お姉ちゃん待って!!」

声の主が歩を止めた唯の元へと音を立てて駆け寄る。
そのコートの後ろ姿が視界の隅から中央部までスッとフェードインして来た時、私は生れて初めて……ほんの少しだけ、どこかの神様に感謝をした。……仏教徒だけどね。







192 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:10:19.21 ID:lbnm/+LS0
「やれやれ……」

私はそう小さく呟きつつ、少しだけその姉妹の元へと歩を進め出した。決して二人の邪魔にならぬよう、声の聞える程度の位置まで。

「えっ……?」

そう言って徐に振り返る唯。そして突如目の前に現れた妹の姿を見て表情は一変、一瞬で驚愕に満ちた顔つきとなった。

「お姉ちゃん……」

肩で息をしながらそう言った妹は、目をまん丸にさせる姉の前で立ち尽くした。
そして、そのまま沈黙が続く事約二十秒。口火を切ったのは、何とか息を整えた妹だった。

「ごめんなさい……」

そして

「ごめんなさい……!」

そう言って突然泣き崩れる妹。それはそれは、もう嗚咽で何と言っているかも分からないような泣きっぷりだった。
彼女が何故その謝罪の言葉を述べたかが私には痛いほどよく分かる。

それは去年の五月、彼女が実家を出てからずっと姉に言いたかった言葉なのだ。

「憂……」

一度別れの挨拶をしてカッコよく背を向けていただけに、唯は何だかよく分からない表情を作って私に首を傾げた。私もすかさず笑って首を傾け返す。
それを見た唯はガクッと首を垂らし、次の瞬間には自分に縋り付く妹をしっかりと抱きしめた。







193 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:16:55.50 ID:lbnm/+LS0
「……何で謝るの?」

ゴムで止められていないその妹の頭をグシグシとがさつに撫で回しつつ、すぐに笑顔を作る唯。

「憂に謝られる事なんて……何も無いよ?」

だって……とその言葉は続く。

「私は……憂のお姉ちゃんなんだもん」

その言葉が全ての事を洗い流してくれるとは思わない。
これからも歪な三角形は歪なままで在り続けるだろうし、今の関係がいきなり好転するだなんて微塵も思わない。

……だが、今はきっとそれでいい。
「いつか必ず」だなんて不確かな言葉は嫌いだが、それに高額チップを全てベッドしてもいいと思えるくらいの確率でこの姉妹はきっとそれを超えていける。


だって……仲良いじゃないか、この二人。







194 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:28:59.16 ID:lbnm/+LS0
「本当にご迷惑をお掛けしました……」

ペコペコと頭を下げて謝罪の意を伝える私に若い女医師と例の看護師は「いえいえ」と笑ってナースセンターへと引き返して行った。
そのほとほとに疲れ果てた様な笑みを見て私が「ああ……本当に傍迷惑な事をしたんだな……」と猛省せざるを得なかったというのは言うまでも無い。
ポリポリと頭を掻きつつ、私は隣で一緒に頭を下げたこの部屋の事実上の主に目をやった。

「……怒られなかったな?」
「……怒られませんでしたね」

ふふ……と二人して疲れた顔をし、私は彼女をベッドへ寝るよう促した。彼女もまたその指示に素直に従い、コートを脱いでパジャマへと着替え出す。

「あっ……」

チャラ、と鳴った金属音で彼女はコートの内ポケットに入っていたある物の存在に気付き、すぐさまそれを取り出して私に差し出した。

「本当にありがとうございました。退院したらすぐに……」

その言葉を掌を差し出して遮り、そのまま差し出されたブツを指で挟んで下品に攫った。

「後輩に交通費出させる程金に困ってないよ」

でも……という言葉に蚊でも払うかのような所作で応え、さっさと服を着替えるよう促す。そして彼女が頭を下げてコートをハンガーに掛けたのを確認し、私は今しがた受け取ったブツをじっくりと見つめる。
それは数時間前に唯と共にこの部屋を訪れた際、私が眠り耽っている彼女の枕元にこっそりと置いて行った三万円入りの茶封筒だ。そしてその茶封筒の表面にはこんな事が書いてある。

『唯が火曜日から看病に来ていて、今日の夕方帰ります。十七時半発の飛行機です。あなたがもしそれまでに目覚めて尚且つ動き回る元気があるのなら、このお金で空港まで……。澪より』

入院患者に脱走の手筈。普通に考えたら社会人失格レベルの愚考だ。
おまけに彼女は疲れを抜く為に入院しているというのに、どう考えたって肉体疲労を上乗せさせるような指示まで出していたのだからもう手に負えない。







195 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:34:41.09 ID:lbnm/+LS0
「何やってるんだろうね……まったく……」

ポツリと呟き、やや大きな息を吐き出して頭を掻く。

……ま、いいか。

「澪さん」

ん?

「どうした?」

呼ばれて振り返ればそこにはきちっとパジャマに着替えた彼女が姿勢を正して立っていた。

「本当に……色々とご迷惑をお掛けしました」

最近よくデジャヴを見る気がするが、出来ればこれで打ち止めにして欲しいものだ。あまり礼や謝罪を自分に向けられるのは慣れていない。
……ま、同じ角度の深礼もやっぱり姉妹ってとこで御愛嬌にしとくか。

「別にいいよ。憂ちゃんが謝る事なんて一つも無いさ」

よく考えればこれもどこかで聞いたような台詞だな。まあ姉同士良いって事にしといてくれ。著作権料なら飛行機のチケット代と宿泊費でチャラだ。

「色々話したい事も有るけど、それは明日にしようか。退院してから憂ちゃんの家で酒でも飲みながらね」
「あ……はい」







196 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:41:14.85 ID:lbnm/+LS0
……一応ダメ押ししておくか。

「もちろん飲むのは私だけだぞ? 憂ちゃんは上司命令で暫く飲酒禁止だからな」

あ、そうだ。

「あと、つまみを作るのも憂ちゃん。あのピッカピカの炊飯ジャーで米を炊いたらさぞ美味しいだろうから焼きおにぎりでも作ってもらおうかな? 後は食後のデザートにパンケーキでも焼いてもらおう。楽しみだな~!」

ニヤニヤしながら話す私の顔を見ていた彼女だったが、そこまで聞いて遂にガクッと首を垂れた。

「……明日から必要最低限の外食を禁止します。監査役は私。上司命令」
「……はい」

あと一週間くらいの追加入院が必要と感じるような青い顔をして彼女は返事をした。
別に悪気がある訳じゃない。全ては彼女の為なのだ。

……憂ちゃんの事は任されたぞ、唯。正月まで首を長くして待っててくれよな。

「あ、でも……」
「何だ?」
「秋山主任の昇進いわ」
「YOUは烏龍茶だZE☆」
「うわ~ん!」

……当然だろ。

……このタコ。







197 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:46:49.86 ID:lbnm/+LS0
「もう……そんな顔して飲むとせっかくのお酒が美味しくなくなりますよ?」

一軒目のビアホールからそんな事を言われている気がするが、そんな言葉は全く耳に引っかからない。

「うるさい。じゃあ何か芸でもしてみせろ。私を笑わせる事が出来たら甘~い夜をくれてやる。もちろん添い寝付きだぞ?」
「その時は法廷で会いま」
ドガッ!
「の゛おっ!!」

蛇拳一発 to 脊椎。

「私と過ごせる夜より神聖な物などない。サンタクロースも真っ青だ」
「だからって殴らなくても……」
「殴ってるんじゃない。暴行を加えているんだ」
「言い方変えただけじゃないですか!」

その力の込もった抗議を軽く無視し、カウンター後方にあるアラビア文字の洒落た壁掛け時計に目をやる。

「遅いな……」

約束の時間からもう大分時間が経つ。遅刻は毎度の事なのだが……それにしても些か遅すぎやしないか?

「……あのバカ」

まあどこかで油でも売っているのだろうと思いつつも随分と遅い到着に若干の苛立ちを覚え、お猪口の隣に放置していた携帯電話を手に取った瞬間だった。

―――キイイイイイィィ

出入り口のドアから発せられる軋音。また油か切れたのだろうか? 一回直ってたのに……何だかお化け屋敷みたいだな。夏だけに。






199 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:54:12.73 ID:lbnm/+LS0
「遅れてすいません! 本当にすいません! 死ぬ程反省してます!」

そう言ってバタバタと店内に入って来るギターを背負った女性。……いや、猫か。アホ猫だ。
見れば余程焦って走ってきたのだろう、額には玉のような粒が浮かんでいる。

「いらっしゃいませ『RISE』へようこそ! 久し振りだな~梓。注文は何にする?」

律が小慣れた感じで接客用語を叫び、さっとカウンターを出て本人が命より大事だと主張するオールドのテレキャスターが入ったケースを丁重に預かる。

「えっと、ハイボールお願いします。あとチーズの盛り合わせを」
「はいはい、座って待ってな。チーズ盛りで~す!」

そう叫んで店の奥へと消えていく律の背中を見送り、私は袖で汗を拭うアホ猫をさっさと座るよう促す。

「いくら何でもこの時期に長袖は無いんじゃないのか?」

約半年ぶりの再会だというのに顔を付け合わせて最初の会話がこれだとは、流石に自分でも笑いが出るな。
まあほぼ毎日電話をしてるとこんなものなのだろうか? 顔を見ても全く懐かしいとか久し振りという言葉が浮かんで来ないな。

「オシャレですよオシャレ。澪先輩こそ何ですかそのクールビズ実施中の銀行員みたいなシャ……」

おっ? 気付いたか?

「あ……アレ?」

掛かった。猫が大きな釣り針に掛かったぞ。

「やっほ~梓ちゃん! 半年振り~!」
「え……あ……う、うん……?」







200 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:00:13.18 ID:lbnm/+LS0
椅子に座りもせず、カウンターの前に突っ立ったまま私と彼女を交互に見て固まるアホ猫。
額に「茫然」と書いてあるのが分かる。可愛い顔が台無しだぞ?

「あの……一つお聞きしてもよろしいでございましょうか?」
「ん? 何だ?」

あ、あの……えっと……と、何とも歯切れの悪い前置きをしてアホ猫はその質問を飛ばしてきた。その間も視線は私に行ったり彼女に行ったりしていたと付言しておこう。

「何で……二人とも同じシャツ着てるんですか?」

……よくぞ聞いてくれた! ダテに私が調教している訳では無いな!

「それは……なぁ、憂ちゃん!」
「ええ、澪さん!」

密かに行った打ち合わせの通り、二人同時に立ち上がってポーズを決め、私達は一緒に叫んだ。

『ずばり、ペアルックです!!』

―――三人の間に訪れる静寂。
厳密に言えば二対一で赤道直下と南極点くらいの温度差がある。中間で気圧の谷でも発生しそうそうだ。

「ぺ……ペア?」

私と憂ちゃんは寸分の狂いも無く右手を握って体の前に突き出し、全くの同時に親指を立てて一言。

『イエス・ザッツ・ライト!』






201 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:07:10.02 ID:lbnm/+LS0
―――またしても訪れる静寂。
そしてこの固まった空気を払い除ける役は目の前のアホ猫に振られている。
さあ梓、言え、言うんだ! 台本通りのあのセリフを!

「あ……っと。二人が良いならそれでいいと思いますけど……、あまり時代に逆らうのはよろしくないかと……」

……なん……だと?

私は憂ちゃんと目を見開いて顔を見合わせ、眉を八の字に曲げて涙目で梓に背を向けカウンターに座り直した。こんな……こんなはずじゃ……!

「ちきしょう! 親父っ、がんもと竹輪だ!」
「こっちには牛スジと卵をっ……!」
「あ、あれ!? 何? ひょっとして私何か地雷踏みました!?」

今更になって慌てだすアホ猫。そのマヌケ面に向かい、いつの間にかハイボールを作り終えた律が漫画のキャラのような口調で梓に諭しだす。コースターの上にキンキンに冷えたウィスキーの炭酸割りを乗せながら。

「お嬢ちゃん……。たった半年二人と絡みが無かっただけでこのノリについて来れねぇんじゃあ……もういっぺん幼稚園からやり直しだな」
「うわ~ん! 梓ちゃんがいい年して童謡を歌わされるよぉ~!」
「憂ちゃん……辛いだろうけど耐えるんだ! これは試練! 試練なんだ!」
「うわ~ん! 梓ちゃ~ん! 梓ちゃ~ん!」

そこでチラッと三人で梓を見てみる。何だか置いてけぼりな被害者面をしているのが気にくわない。悪いのはどっちだよ?

「ちきしょう! 親父っ、がんもおかわりとこんにゃくだ!」
「すまねえ……こんにゃくは切れちまってて……」
「うわ~ん! 梓ちゃ~ん! 梓ちゃ~ん!」

……梓が半泣きで土下座をしてきたのは、それから本当に間も無くのことであった。







202 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:16:27.28 ID:lbnm/+LS0
「なるほど……じゃあ『羨ましいよぉ~! あずも欲し~い!』って言いながら地団駄を踏めば良かったんですね?」

ブロックチョコサイズの銀紙入りチーズを口に放りつつ、こちらに目を向ける梓が悲しげな口調で訊ねて来る。

「そうだよ。せっかくの半年ぶりの再会なんだからって張り切ってボケたのに……」
「シャツも高かったんだよ?」
「そうなの?」
「そうだよ……だってダイソーだよ?」
「百円やないかい!」

そのツッコミが何でさっき出せなかったかね? 相も変わらず一つ惜しい奴だ。
私は溜息を一つ吐いてアホ猫の皿から勝手にクラッカーを奪い、荒げられる抗議の声にぶりっ子ウインクで返した。

「てへっ☆」
「可愛いつもりかおんどりゃああああぁぁ!! 吐けっ! 吐き出せえええぇ!!」

そうそう、このツッコミ。その声こそが今は何よりの肴だ。

「で、全国行脚はどうだったんだ?」

徳利三本目の日本酒を飲み干し、珍しく梅酒のソーダ割りなんて律に頼みながら梓に問った。
まあ毎日電話をしていたのだから詳細まで知り尽くしているのだが、その上で敢えて聞いてみる。まあ総括でも頂こうかね。

「ん……そうですね……」

そう言ってハイボールにちびりと口を付ける梓。半年前まではウィスキーなんて毛嫌いしていたくせに、やたら美味しそうに飲みやがる。
味覚がやっと大人になったか? まあ私は洋酒が合わないから絶対に飲んだりしないが。







203 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:24:14.21 ID:lbnm/+LS0
「まあ、楽しかったですよ」

そんな満面の笑みで「まあ」と付ける心が知れない。だがまあ、楽しかったという言葉に嘘が無さそうで何よりだ。


半年間こいつが何をしていたかと言えば、おざなりな言い方ではあるが相変わらずメジャーアーティストのバックに付いて全国ツアーを回っていたのだ。
私は仕事と被って見に行けなかったが、芸能ニュースなんかではよく取り上げられていた。
初めてサポートするアーティストだった為色々と気苦労が絶えないと言っていたが、こうして元気に帰ってきたのだから褒めてあげないとな。
まあ飲み代奢りはいつもの事なので別の何かがいいか。
そうだな……今度先月オープンしたばかりの珍味専門店にでも連れて行ってやるとしよう。通称『ゲテモノ堂』だ。
ワニの串焼きでも食わしてやろうかね。あれはささみみたいな味で美味しかった。

「先輩と憂はどうでした? この半年間」

猫に問われて憂ちゃんと微笑み合う。こいつこそ私達の近況など知り尽くしているくせに、律儀なものだ。

「まあ楽しかったさ。いつも二人で飲んでたよ」

私と憂ちゃんにはこれといった変化は無かったかな。
私は予定通り四月の異動を以て営業主任に就任、憂ちゃんは営業五班サブリーダー兼主任補佐という凄いのか凄くないのかよく分からないポジションに昇格を果たした。
互いに給料と双肩にのし掛かる責任が増え、週末には愚痴なんかを肴にたっぷりとアルコールを摂取する生活が春先からずっと続いている。

ちなみに冬終りの入院生活以来憂ちゃんはちゃんと自炊をするようになった。
元々料理が大得意なだけあって冷蔵庫や各種ストッカーはすぐに満タンとなり、私も最近ではよく買い出しに付き合わされている。
サボらないように監視をするという名目で憂ちゃんの家に上がり込んでいる私の家の冷蔵庫が、実は逆に殆ど空になってきているというのはここだけの話だ。
内緒内緒。入院しなけりゃバレないだろ。







204 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:34:22.12 ID:lbnm/+LS0
「あいよ、梅サワー」
「うぃ」

グラスをコースター経由では無く直接受け取り、一気に半分程飲み干して大きく息を吐いた。こうして三人並んで酒を飲むのも何だかえらく久しぶりに感じる。
各々が話したい事を話し、残りの二人がなんやかんやと茶々を入れながら最後には必ず笑って頷く。
かしましいと銘打たれるのはやはり勘弁だが、それでもこうしているのは悪くない。三人揃うとやはり楽しいのだ。
この時間は、何物にも変えがたい。

「ああそうだ、電話で言ってた話って何なんです?」

ハイボールを飲み終えた梓が杏サワーを注文して問ってきた。そうだ、その話を忘れていたな。

「実はオファーが来てな」
「オファー?」

ああ、と私は梅サワーの中に入っていたサクランボを口に放り込んで答えた。
種を出して皿に置く。この種の中に天神様が居ないのは証明済みだ。昔実証してエライ目にあったのをよく覚えている。目の前で杏酒をグラスに注いでいる奴が原因だ。

「うちの元課長が結婚して会社辞めたんだけどさ、十一月に結婚式やることになったんだ」
「ああ……、何だか話が見えました」

さっと携帯のカレンダーを開いて十一という数字にカーソルを合わせ、クイッとボタンを押し込む梓。何だ、いやに物分りが良いじゃないか。

「第三土曜日」
「……うぇ」

途端にえづき出す梓。つられて私が覗き込み、憂ちゃんも席を立って後ろへ回り込んだ。
その小さな画面の中ではずらっと並ぶ数字達が土日平日関係無く殆ど赤で染まっている。……何だこりゃ?







205 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:41:49.96 ID:lbnm/+LS0
「赤は仕事です」
「うわ……」

こいつが本当に売れっ子ミュージシャンなのだと今更ながら思い知らされた。
三ヶ月先迄のスケジュールが曜日関係無くぎっちりと埋まっているだなんて、土日祝日が九十八パーセントの確率で休みな公務員的OLの私にはとても信じられない境地だ。

「ん……? でも……」

何と言う事だろうか。最右列、上から数えて三番目の数字だけが水色に染まっていた。これは……。

「まさか十一月唯一の休日が潰れるだなんて……」

ただひたすらに項垂れるアホ猫。どうやらオファーを断るという選択肢はネズミの毛程も無い様だ。それでこそ私の後輩だな。

「よしよし、よろしくな」

ポンと頭に掌を乗せ、先に労いを見せておく、約束したからには逃がさないからな。

「そういえばさ、お姉ちゃんの結婚式でブーケ取ったの梓ちゃんでしょ?」

再び椅子に腰を掛けながら問う憂ちゃん。

「いい出会いあった? ツアー先とかで」

無邪気なその顔に悪気などはさらさらない様だが、何となく鋭い棘が梓の心に突き刺さる音が聞こえた気がした。

「……無いよ」







206 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:48:25.55 ID:lbnm/+LS0
ふてくされたかのように携帯をポケットに仕舞って唇を尖らせるアホ猫。
ブーケをキャッチしてしまった時には散々私に当たり散らしてきたくせに、実は出会いを求めていたのだろうか?
……あ、そういえば私がこいつにレシーブしたんだったな。すっかり忘れていた。

「そ、そう……残念だったね」

憂ちゃんは苦笑いで親友にそう告げ、最近ハマっているというはちみつシークワーサーのサワーを飲み干した。
私もそれに倣って梅サワーを空にし、それぞれ自身のコースターへとグラスを置く。

「おやおや、今日は二人ともペースが早いね。おかわりは?」

切れていた炭酸水を店の奥に取りに行っていた律が眉を八の字に曲げて問って来る。

「あずさちゃんのと同じので!」
「私もそれでいいや」
「はいはい、杏サワー三つね。少々お待ちを」

梓の為に作っていたグラスの隣に新しいそれを二つ置いた律。それを見つつ、アヒルの化け物みたいな唇をしていたアホ猫がボソッと呟いた。

「杏の花言葉……」

問われたのは私だろうか憂ちゃんだろうか? ……まあいいさ。

「知らない」
「私も……分からない」

それを聞いて梓はようやくフッと微笑み、皿の上にドカッと居座っているクリームチーズの銀紙を剥きだした。
白くて艶のある表面が唾液線を刺激する。一瞬それを奪い取って口に放り込みたい衝動に駆られたが、梓がこの店のチーズ盛りの中でこれが一番好きと知っているので止めた。泣かれては困る。







207 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:59:10.79 ID:lbnm/+LS0
「杏の花言葉は『乙女のはにかみ』です」

何じゃそりゃ……と思っていると、梓はチーズの欠片を口に放って一言。

「つまり、私達のように清らかな女性の事を指すんじゃないでしょうか?」

的を得ているやらいないやら。だが一応「おお~」なんて気の抜けた歓声と感情の籠っていない拍手を送ってやった。

「そっか。私達、清らかだもんね!」

浮ついた声でキャッキャと手を叩く憂ちゃん。笑い上戸のスイッチが入ってきたか?

「そう、清らか」

フフン、と鼻を鳴らす梓。だがそれを破ったのはカウンターの中でその杏をつかった酒を作っている律だった。

「御三方、杏の実の花言葉を知っておられるかね?」
「へっ?」

面食らった様な顔をする梓。その小さな頭の上にクエッションマークが羅列されだす。

「実にも花言葉があるんですか?」
「ああ、あるとも」

ぬかったな梓。律のこの手の知識量は意外と凄いんだぞ?

「杏の身の花言葉はな、『気おくれ』だ。杏サワーばっかり飲んでるといい男とか思いがけない幸運が突然目の前に現れた時に気おくれするぞ~」







208 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 11:06:45.98 ID:lbnm/+LS0
頭上でドラでも鳴らされたかのように一気に静まり返るカウンターの女三人衆。私は憂ちゃんと顔を見合わせ、速攻で頷き合った。

「律、私月見灘のロックで!」
「私ピーチサワーでお願いします!」
「ほえ!?」

慄く梓を二人分の激烈眼力で黙らせ、カウンターの中の律へと追加の注文を告げる。

「梓には杏サワーをジョッキで出してやってくれ」
「ええっ!?」
「アイアイサー澪将軍! 仰せのままに~!」
「ええ~っ!!?」

慌てふためくアホ猫。まあジョッキで飲めばブーケの力と相殺できてもう少し結婚しなくても済むんじゃないか?

「まあ良いじゃないか」

そう言ってアホ猫を窘める。だが、ある疑問が突然頭をよぎった。

「……思いがけない幸運って何だろうな?」


―――金?
金ならまあそこそこはある。今のペースで貯めていけば銀行が潰れでもしない限り、私の老後は間違いなく安泰だ。

―――男?
論外だ。今はまだこうやって気楽に過ごしたい。

―――えっと……?







209 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 11:18:48.52 ID:lbnm/+LS0
ダメだ、さっぱり浮かばない。……というか真剣に答えを考えてもいない私なんかに答えが出せるはずもないか。ここは梓に襷を渡そう。

「お前なら何だ? 男以外でいきなり目の前に現れて欲しい幸せってなんだ?」
「えっ? 私ですか?」
「三、二、一……」

カウンターの中から取られたそのカウントに「わっ!わっ!」と焦りつつ、ゼロ!のロが出る寸前に梓は右手を上げて答えた。

「し、身長! 身長が伸びて欲しいです!」

あまりに生々しく、そして切実なその願望に私達三人は一瞬呆気に取られ、次の瞬間には腹筋が痛くなる程の大笑いを強いられていた。それを見た梓は憤慨した顔で私達に罵詈雑言を飛ばして来る。
やれ高校生と間違えられる悲しみが分かるのか!だの、やれ酒を買うだけで身分証の提示を求められる虚しさが分かるのか!だのと悲しいにも程のある体験談を次々と繰り出してくるアホ猫。

「まあまあ梓、そうカッカしなさんなって。カルシウム摂ってるか? 煮干しが良いよ、煮干しが。身長も伸びるだろうし」

目の端から溢れ出る涙を拭いつつ、律はいつかと同じように子魚の摂取をアホ猫に勧めた。だがそれにハッとして物言いを付ける人物が一名。ズバリ、私だ。

「いやいや律、身長を伸ばすならいい飲み物があるんだよ」

その言葉に「ああ!」と手を叩いて反応する憂ちゃん。律はキョトンとしているがまあ無理もないか。残念ながらこれは三姉妹にしか通じない話だ。

「へえ? そんなのがあんの?」

その困惑顔を他所に私は次女と再び顔を見合わせ、ニタ~とそれはそれは悪い顔でアホ猫へと目線をやった。
そして首を傾げる三女に向け、私は優しくその言葉を放つ。

「明日の夜、空いてるか?」







210 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 11:25:20.55 ID:lbnm/+LS0
明日から世間は盆休み。私と憂ちゃんに休みは無いが、彼女の家にはお客さんがやって来る。
私も色々と話したい事が有るし、憂ちゃんも今度は水入らずで過ごしたいだろう。
その人物の到着は夜。昼まで働いてそれからこちらに来るらしい。甘い甘い、クリームたっぷりのケーキを持って。
そして私達はその人物のプチ歓迎会なんて物を考えているのだ。
あの病院にお礼を言いに行って、あのレストランで神戸牛のステーキを食べて、最近出来たばかりのスーパー銭湯で汗を流すという、至って簡素な歓迎会。
その歓迎会に、私は三女を連れていきたいと考えている。

何故なら私は知っているのだ。その銭湯の脱衣所に併設された自販機の右から二番目。二百円。
そこには、アホ猫の大好きなあのピンクの牛乳が売られているという事を。
きっと喜び勇んで一気飲みするだろう。……髭でも作るんじゃないか?

……まあその時は口でも拭ってやるか。
まだ返していない、本人はもう無くしたと思っているであろうあの青いハンカチで。

「はい、月見灘のロック」

出された高級焼酎をちびりと啜り、私はゆっくり息を吐く。辛い原酒が喉に沁みるな。

ふと目をやれば左に三女、右に次女。こんな可愛い二人の間に挟まれている長女は今、それなりに幸せだ。
こんなささやかな幸せがそれこそ永遠に続けばいいのに……なんて、割りと本気で願う私が居たりする。

そんな勝手な感情が空に舞うバーのカウンター。

私は息を一つ吐き、杏のジョッキを目の前にして真っ青になっているているアホ猫の皿からプロセスチーズを一つ奪い、それをを品も無く貪るのだった。



fin.







211 : ◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 11:26:39.76 ID:lbnm/+LS0
219

終わりです。今回のアニメ放送と同じく完全にマラソンになりましたねwww
俺がスレ立てると大体こんな感じですw マジ独走w

支援してくださった方、ご指摘くださった方、ありがとうございました!

では、おやすみなさい。








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[ 2010/08/01 12:00 ] けいおん!SS | TB(0) | CM(22) | このエントリーを含むはてなブックマーク


乙です!
「同じ窓」の人だよね?続編でないかな
[ 2010/08/01 13:08 ] [ 編集 ]


冒頭に季節は冬、とか春。とか言われるのはやってんの?
[ 2010/08/01 14:25 ] [ 編集 ]


おもしろかったけどすごい長かったな
[ 2010/08/01 15:35 ] [ 編集 ]


いやぁ長かった  けど面白かった。
澪と梓の関係が新鮮だった
[ 2010/08/03 21:56 ] [ 編集 ]


社会人になってますます仲良くなってるけいおんSSも珍しいなー

今まで見てきた仲で最高の澪梓やでぇ

何かだんだんこっちがけいおん本筋に見えてきた…

もうけいおんは澪が主人公にしか見えないどうしてくれる

なげえよ

読み終わったら5時間が経過していた。何を言っているかわからねえと思うがry
でもまあけいおんでは最高のSSのひとつだった。乙
[ 2010/08/03 22:40 ] [ 編集 ]


けいおん後日談の中では最高だった。
[ 2010/08/06 17:47 ] [ 編集 ]


同じ窓から見てた空、のほうがぎりぎり好きかな
こっちも名作だと思います
続きよみてえなあ。乙です、楽しかった。
[ 2010/08/06 18:23 ] [ 編集 ]


やっと続編見れた。長いがこの話好き
[ 2010/08/11 08:49 ] [ 編集 ]


バカみたいに長いしアホかと思った。
だがこの日の記事まで遡りつつ全てのSSを読んできたのは、
このSSに出会うためだったのかも。
ってくらい、よく練り込まれてと今まで読んだ後日談の中で、
最高のクオリティだった。素晴らしかったよ。
[ 2010/08/15 01:39 ] [ 編集 ]


まちがえた、闇速で過去80ページくらいまでiPhoneで読んだあと、
最新の記事を開いて読んでたのでこのSSも過去のやつかとうっかり勘違いしてた。
変なコメントになってスマン。

とりえあえず作者さんはほんとにすげえです。お疲れ様でした。
[ 2010/08/15 01:44 ] [ 編集 ]


澪と梓が結婚式の余興で演奏した曲って何?
誰か教えて
[ 2010/08/15 02:32 ] [ 編集 ]


『永遠にともに』だろw コブクロだ
[ 2010/08/15 07:16 ] [ 編集 ]


同じ窓から見てた空ってのも読みたいな。
[ 2010/08/19 02:25 ] [ 編集 ]


続編マダ?
[ 2010/08/30 03:23 ] [ 編集 ]


さわ子は当然として和がブーケトスに参戦してるのは意外だった
[ 2010/08/31 05:03 ] [ 編集 ]


↑同じ窓から見えた空から見るといい
[ 2010/09/04 23:41 ] [ 編集 ]


名前だけ借りました系の典型的なパターンだな。
[ 2010/09/09 02:39 ] [ 編集 ]


ちょwwwwなげぇwwwwww俺も晩飯挟んで6時間近く経過してるわwwww
でも「同じ窓」の続編に当たる本作もかなり楽しめました
前作では騙られなかった唯と憂サイドも上手く表現されてましたまあ唯の旦那が伊藤誠みたいな奴だったら俺も憂と同じ気持ちになってたけど・・・いつか分かり合える日が来ると俺は信じてます
[ 2010/09/09 20:03 ] [ 編集 ]


色々と胸が痛くなったが
話自体は本当に良かった
[ 2010/09/13 22:01 ] [ 編集 ]


前作も見てるが自分で言うのもなんだが澪が俺の性格に似てきた気がして楽しいやw
皆本編と違って変に大人びててなかなか面白いが
憂に行った酔い覚め方法は鬼畜だったなw あんなことされたら発狂するわw 俺も↑の人と同じで胸が痛くなるところはあるが 良い作品だ 続編楽しみに待ってるよ。
[ 2010/10/07 15:07 ] [ 編集 ]


凄く楽しめたんだけど…。
しかしなぁ…澪梓以外の三人が演奏を断るわけが無いと思うんだが。
断ったのが何か冷たい印象を受けた。
何をおいても参加するんじゃないかなぁ。
澪梓がプッシュされすぎな気が…
[ 2010/12/14 16:47 ] [ 編集 ]


そんなご都合主義な展開よりリアルでいい
[ 2011/01/13 11:37 ] [ 編集 ]
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ひさびさに左上更新してみましたw


とはいえ特に書く事もありませんが(笑)


このブログも開設から1年以上経過するんですね…


とりあえず「けいおん!!」のアニメが終わるまでは頑張って更新し続けたいと思います
2010年7月24日


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